もう一つの物語。
……おい、むじーお題来たぞ。
これで何を書けばいいんや。
今回ほどはパスをしたいところだ。
こういうタイプは、エンド数が複数あるというゲーム形式のストーリーだな。
ハッピーエンド。ビターエンド、バッドエンド。
全部通してやってみた結果しっくり来なかったエンド。
作者だけが面白いと思ってるだけエンド。
ギャグに逃げたエンド。
など、さまざまなエンドがある。
僕は、こういうタイプは好かん。選択肢を間違えて、Dエンドに到達……なんて、より良い選択肢を選ぶために今の状態をリセットして過去に飛ぼうとするだろう。
ニート的に時間のあるやつがやりそうなちゃぶ台返しだ。
そんなことをしたら、今の状態が疎かになる。無責任になる。どうでもいいやとなる。
現実に「もう一つの物語」とか、いらねーんだよ。
そんな風呂敷広げっぱなしな仮定の話、想像しても辿り着けないなら、考えるな!
まあ、創作であれば、楽しいと言えば楽しいけど。
例えば、人身事故で通勤電車が「逝っとけダイヤ」になった時とか、「おっ、行き先変更したあ!」
と心躍ることがある。
あれ、現実にもあるようだな。もう一つの物語。
つまりあれだ。
条件さえ整っちまえば、並行するストーリーに乗り換えが可能だって話なのよ。
暗がりのなかで、本を読む。
本のなかに込められた文字は、封じられたもう一つの世界を覗き見ているようである。
ファンタジーほど壮大で綺麗である。
静けさの伴った夜の夜。
きっと自分以外は寝ているはずだ。
何台か、微かに走行するエンジン音。唸り声が深夜の道路を滑走路とする。
よく聞こえるなって。こんなものでも、夜になれば、寝静まれば、音はみな綺麗になって、聴きやすくしてくれる
眠れない夜には眠れない人を見つけたほうがいい。
話し相手と話す方が、時間の進みが早いもの。
本を開けば、眠れない人なんてたくさんいる。
別に寝れないからって後ろめたい気持ちになることはない。だって、少なくとも私は寝ていない。
紅茶の香り。
お題から反れるが、仕方ない。
僕の人生は、紅茶という飲み物に対してなるべく避けてきたと思う。
よくある大学生の日常では、リプトンの紙パックにストローを差して、オレはこれを飲めるのだ、と主張の激しかったボサボサ頭の院生を知っているが、それに辟易した訳では無い。
飲む機会がなかった、ということだ。
そういうわけで、子供の舌のまま大人になってしまったので、ある日コンビニにて、大人の雰囲気醸し出す紅茶というものを買ってみることにした。
ストレートティーと書いてあったので買った。
一口飲んで、「甘い!」と思った。
事実甘いのである。
だから、とうとう自分も紅茶を飲めるようになったか、と一人感慨深い気持ちになって、その日から連続3日購入した。
しかし、ふとしたネット記事にて、「いや、紅茶のストレートティーって、ストレートじゃないっすよ」という趣旨を拾い読みした途端、僕は空ペットボトルのラベルを見た。
砂糖入っとるやんけ!
なーにが、ストレートだこのやろう!
砂糖入っててストレートとか、景品表示法違反だろこのやろう!
という気持ちでペットボトルに八つ当たり。
ベクトルは真下。床に目がけてぶんと一球闘魂したためたので、豪快な音が。跳躍するペット。
熱が冷めた時にハッとなって、しゃがんで床が凹んでないか確認したほどだ。
大丈夫なようだ。危ない危ない。
ここ賃貸だったの忘れてた。
……こほん。
ということで、無糖のやつを買いたいところなのだが、あいにく買う元気が無い。
紅茶のティーパックというのも買おうと思ったことはないこともないが、似たような色のパッケージである「ほうじ茶」を見て、ほうじ茶でいっか、飲み慣れてるし。
という感じで、すり替えが生じてしまう。
紅茶の香り……、匂いだけとか売ってませんかね〜。
愛言葉。
最初お題を見た時は「〜言葉」とあったから、
「ああ、花言葉かあ」と早合点してしまって、ラベンダー、ベゴニア、ヒガンバナ、などと花の名前を羅列していくこと早30分。
もう一度お題をみたら、「愛言葉かいっ」となった。
愛言葉となると、おやっと思う。
花の名前のように、羅列できないのだ。
恋愛経験のなさがでてきてしまった。
多数の異性を誑かすほどの魅力はないので、それはそう。仕方ないのである。
合言葉というものがある。
玄関ドアの内と外。
どっちがどっちかは知らないが、ドアを隔てて2人がいる。
そこに合言葉を投げかけてみよ、と言葉が鍵になっちゃって、かこんとキーの解錠音が鳴るかどうかの瀬戸際外交。
当然鳴らない場合も、あり得るんだなこれが。
友達といったら、修学旅行のバスである。
後部座席に陣取って、何やらガヤガヤと叫び散らかすことがなんといっても良い。
青春の1ページを作っているのだ、という意識はその時には何も知らなかったが、今を振り返ると、1ページになっている。
バスのなかの席順は、今の時代は知らないが、当時は自由席だった。友達グループの一角がバスに乗り込み、後部座席を陣取り、その次のグループが後部座席前の左右に散らばり、なんかゲームをするという喋りをしていた。
前とか中間とかは、勉強ができる風の小規模なものがあって、ボッチは前の方しか座れない。
それを後部座席から見ることができるのだ。
修学旅行は、行きのバスと帰りのバスで雰囲気が異なっている。帰りはあとは帰るのみということで、前の連中、中ほどの連中はだいたい寝ていた。
しかし、後部座席の僕たちは、寝ようと思っても寝れない間柄。ひそひそ話をして、寝かせてくれない。
それで修学旅行が終わった学校。
放課後の空気を吸って、ようやく日常に戻れた気分になる。