蝶よ花よと大切に育てられたお嬢様は、今年で小学四年生になる。
今はお盆休みの数日前。つまり夏休みだ。
お嬢様は都内有数の小学校から、福島県某所の避暑地に退避していて、なるべく夏から逃げている。
すでに夏休みの宿題は自由研究を残すのみ。余裕だ。
目は石板の電子機器から離さず、指先が腱鞘炎の原因になるくらいまでめちゃくちゃに動かしながら日が暮れるのを待っている。
ネット上で、とある炎上を発見した。
情報拡散が激しく火花を散らせている。またたく間にお嬢様の興味をひく。
思い立ったが吉日。
片手に学タブを持ち、片手に麦茶の入った長コップを持って、好奇心に赴くまま、クーラーのよく効いた部屋を出た。
熱帯夜の常駐する暗く長い廊下を通るとき、ものすごい湿気とミンミンゼミのミンミ〜ンが、大後悔をもたらした。別にチャットで聞けばいいか、いやいや。
廊下を走って数秒後、避暑地の主である祖父の書斎に、ノックもせずに入室した。
祖父はいまだ矍鑠としており、新聞を広げてやれやれと首をかしげている。昨今の乱高下の激しい日経平均株価が気になるらしい。同調して赤ベコのように首を振っている。
「ねえおじさま。聞いていい」
「なるべく手短にな」
ここ数日は、この会話から始まっている。
「今SNSを見たらとある有名人で話題を呼んでいるじゃない。いわゆる、炎上?」
今はパリ五輪の開催中。
世界中が熱狂の渦に巻き込まれているのだが、日本人の金メダル獲得が芳しくないのだろうか。
時間稼ぎか何かで、とある芸人が炎上していた。
ざっと目を流してみたが、割とどうでもよいネタで炎上している。
もちろん、彼女はネットリテラシーが高いので、そんなことは呟かない。
金魚鉢の水槽をみるような目で静観しては、このように雑談の蝶よ花よとしているのだ。
学タブの画面をONにし、見せた。
「ここなんだけどね」
どれどれ、と覗き込む祖父。
老眼鏡の黒いものを上げた。目玉ごと、くいと。
「この謝罪文、末尾に別の芸人を出してるの。○○さんと××さんは関係していませんって。わたし、炎上の経緯を追ってないからよく分からないけど、どうしてかなって」
「まあ、またポロっと書いただけだろう」
電子機器から目を離し、新聞記事に戻る。
「脇が甘いな、何歳なんだ。その厚化粧は」
「うーん、推定30代前半……年齢未公開だけど」
「五年も経てば山婆確定だな。復帰できた芸人の、あの老け顔を思い出す」
祖父はこの通り、毒舌家である。
きっとお嬢様が突撃する前でも、新聞記事についてボロクソに吐いていただろう。でも、
「気になるよ。だって突然出てきたから。見直しとかしないの? こんなところに書いたら、ツッコまれるって。まるで何か、救援メッセージでも投げかけてるんじゃ……」
「それを考えたら思うつぼだぞ」
新聞でも広げながら適当なことをあれこれと呟いた。
「あれでも裏でいろいろとあったんだろう。SNSの連中はSNSのことだけがすべてだととらえがちだが、表があれば裏もある。表の情報だけがすべてじゃない」
「じゃあ、どうしてメラちゃんは、裏の情報を出してきたの?」
メラちゃんというのが件の炎上の人物である。詳細は伏せるが、文字通りめらめらと燃えてしまったのである。
「そのまま表向きの謝罪をして、裏のことは秘密にしてしまえばいいのに…」
「それは300万人のフォロワーが納得しちゃくれんだろう。
ものすごいインフルエンサーだったんだろう? インフルエンサーとは、私にはわからん職業だが、個人経営、信用取引みたいなものだな。ハイリスクハイリターン。普通の人は保険をかけて防御するが、その人は慢心したかで掛けていなかった。おそらく一人っ子のようなものだ」
「一人…、孤独?」
「子供ならその語句が類語になるが、大人になれば自己判断、自己責任。今まではフォロワーが多いということで目をつぶってもらっていた部分もあった。
それが『キャラ』だということで、売名なりマーケティングなりをして数字や金を得た部分もあった」
「CMとか教科書に掲載される予定だって書いてあったよ。それらも今は白紙に戻ったみたいだけど」
「教科書に載るような人物が、冗談でも言っていけないことを呟いたから、とSNSの連中は糾弾するだろう」
「ラジオのパーソナリティも降板されるみたい。『他者を尊重しない誹謗中傷する行為は決して認めることができない』だって」
彼女はふっと、嘆息した。
「やっぱり、干されちゃうのかな」
「SNSの連中も飽きないな。毎度展開が一緒だ」
新聞をたたむ大げさな紙の音。
しかし、書斎内までで熱帯夜の廊下には遠く及ばず、すぐに音は止んだ。音まで一緒に畳まれる。
「SNSの温暖化だ」
「あっ、なんかそれいい! ねぇ、自由研究のテーマにしていい?」
「なんだ、指だけでなく心も火傷したいのか。将来不登校になりそうで、心配になるな」
「それが学生にとっての〝干される〟になるのかな?」
最初から決まってた、ここに変な毛が生えてるってことは。
頭のつむじを原点としてみれば、(3,2)に生えている。
何って、座標だよ座標。xy軸とか、習っただろ。
他の毛は直毛で生えてくるってのに、この毛だけは芸術的だ。
お坊さんの手首にあるものを想像してほしい。
あるいは、ビーズが連なったものでもいい。
触りごこちは、ざらざら。
指先で挟めば、多種多様な凹凸を感じられる。
たぶん毛穴の構造がぐちゃぐちゃなんだろうな。
まだ毛の材質が柔らかいときに毛穴を通ってきてしまって、天然パーマみたく、ぐちゃぐちゃになっている。
僕は正直、ずっと触っていたいという気持ちと、さっさと抜いてしまえの気持ちがヤクザの抗争のように敵対関係にあって、後者の勝ち逃げとなっている。
それで、家で気づけばいいのだが、こんな芸術的毛髪に出会うときに限って外なんだ。
流石に取っておくって愚考、難しい。
だから、名残惜しい感じでゴミ箱に向かうのだ。
その間も、指いじりをするように凹凸感を楽しんで、そして素知らぬ顔で捨ててしまう。
人生にも「最初から決まってた」みたいなものはあるだろう。この毛穴みたいな人生を辿っていても、僕は、そう思える年代にいません。
だって、ぐにゃぐにゃしたいから!
僕は、こんにゃくさんだぞ〜。
まいったか、まいったか!
太陽に歯向かって飛び、羽を焼かれては太陽に挑み続けるバカ天使がいた。
名前は覚える必要もないほどバカだが、一応書いておくと「イカロス」という。
「あいつほんとバカだな」
セラフィムの使いが、今日もまた太陽に向かい、その途上で「あち〜」と言いながらひゅーんと落ちていく様子を見届けた。
ほんと懲りない野郎だな、と呆れ顔である。
「どれ、ちょっとは手助けしてやるか」
セラフィムの使いは、指をパチンと鳴らし、またたく間に夜にした。
「奴はバカだからな、太陽があるから諦めないんだ。一生太陽が出なけりゃ、やつも諦めることだろう」
セラフィムの使いはけらけら笑った。
しかし、バカ天使は生粋のバカだった。
翌日、夜と区別につかない昼間になったあと、あのバカ天使は2番目に輝く恒星、おおいぬ座の一番星であるシリウスに向かって飛び始めた。
「あれ、いきなり遠くなったな」
などと呟いていたが、バカだから気にせず向かっていく。
「もしかして、太陽と勘違いしてんのかな」
すでに太陽は、この世から無くなったというのに。
奴の目は節穴らしい。太陽とシリウスの区別がつかないのだ。
見た目からして違うのに、学がないと本当に哀れだ。
しかも、太陽に比べて近づいても熱くないからずっと飛んでいくタイプだぞ。
少なくとも、太陽の約54万倍は離れている。
もしかして、ずっと飛び続けるんじゃないか?
バカだ。あいつはバカだ。
セラフィムの使いは数日にわたり、アレの無学さにあざけ笑ったが、その行いによってバカ天使を見失う結果になった。
まずい、このままだと自分までもバカになってしまう。
天使の身体だというのに、トラに憑依されたぐらいに自身を切歯扼腕した。
セラフィムの使いは、バカ天使より階級が数段上のため、見失ってしまっては自分の面目が保たれない。
このときばかりは自分もイカロスにならなければならない。
「おっと、もとに戻さなくっちゃあ」
愚直に追跡する前に思い出して、新しい太陽を呼び出した。
ちょっと創りは甘いが、まあいいだろう。
別に生物の知能指数もそうでもないし。
セラフィムの使いは地球を見やって、名残惜しい感じで飛び去った。
それから数千年ほど経った。
セラフィムの使いはあまりに慌てたのだろう。
新しい太陽は、元々あったものより調節が効かなかった。
宇宙を一周したらしい、バカ天使が戻ってきた。
バカ天使はバカなので、太陽に道を尋ねた。
「シリウスはどこか知ってるか。太陽の居所が知りたいんだ」
太陽は、そっちにあるよ、といいたげにプロミネンスで方向を指した。バカ天使は感謝を申し上げ、飛び去った。
だが、後続であるセラフィムの使いは、いつまで経っても追ってこない。
理由は、すでにシリウスに着いているからである。
バカ天使より先に到着したことで、セラフィムの使いはずっと笑っている。ここまで笑い声が届くほどだ。
一方、バカ天使の道しるべのためにプロミネンスを出した太陽だが、それによって地球では大変なことになっていた。地球規模で温暖化が進んで苦しめられている。
地上の祖先はかつて、バカ天使について流れ星の亜種なのではないかと勘違いしていた。
太陽のせいで地球はおかしくなったのだが、今回もまた勘違いするだろう。
舌のような長いプロミネンスを出した。
あっかんべー。
鐘の音は密やかに、日常の通底に流れる。
それが一気に浮上して、ガラーンと鳴った。
昨日、日経平均株価が失墜してしまい、歴代最高レベルの大暴落となった。
SNSが新NISA民終了のお知らせなどといってトレンド入りしまくっている。
特に信用取引・レバレッジなどのFX取引の方々は、追証(おいしょう)と呼ばれる強制ロスカットが今週予想されているようで、
「人生に絶望した形として早朝に電車遅延か?」
「今日は人身事故に注意」
などといって警鐘を鳴らしている。
「あー、これは絶望の鐘の音が轟きましたなあ。年末の除夜の鐘の108倍の威力はありますぞ」
と他人事のように書こうかと思ったのだが、今日になって、すっかり盛り返してきた。警鐘を鳴らして成功だったか?
わりとV字回復といってもいいほどで、昨日のあれはなんだったのか、といった完全犯罪の具合である。
現場に死体以外何も残さず、犯罪者はそのまま留まって第一発見者の一団に潜り込み、素知らぬ顔。
そんな手際の良さだ。やっぱりSNSって大げさ。
これについて書くことがないので、別の鐘の音について書くことにする。
冒頭のように、比喩になってしまうが仕方がない。
早鐘を打つように、という風に、心臓という「いのちの鐘」について触れてみる。
僕が学生の時はまったく覚えてないのだが、今は「いのちの授業」なるものがあるらしい。
この授業、どことなく千家と裏千家みたいな感じで流派があるらしい。
心臓か、赤ちゃん……胎児か。
「いのちの授業」について検索してみると、こんなことを言っているPDFファイルが見つかる。引用↓
〜〜〜
子どもたちに、「命ってなんだと思う?」
と先生が問いかけると、どの子も必ず心臓に手を当てるそうです。
先生は、「それは違います」と優しく諭されて、次のように話されました。
「心臓は「いのち」ではありません。心臓は単なるポンプです。「いのち」は目に見えないものです。確かにあるものだけれど、でも、目には見えない。
では、命とは何か。
昨日も今日も見えないけれど、寝たり、勉強したり、遊んだりするのは、きみたちの持っている時間を使っているんだ。時間を使っていることが、きみが生きている証拠。つまり、命とは君たちが持っている、使っている『時間』なんだよ」
〜〜〜
子供にとって、あまり理解しづらい感じ。
なんか「ふーん」で終わってしまいそうな。
たしかに心臓=命そのものではない。
心臓手術で心臓を止めて、また動かして生還した場合、その人の命の行方はどこに行ったというのだろう。
その場合の説明ができないから、いのちは見えないものだから、時間という見えないもので説明した。
……というのは考えすぎか?
でも僕的には「いのち」って見えたほうがいいよなあ、って思ったりする。現代だと特にそう。
最近の学生たちは、
「もう消えてしまいたい」とSNSで声を上げ、共感しあい、慰め合っている。
どうしてそんなことをしているのかと言えば、鐘の音が聞こえなくなったからだという。
いのちの鐘の音。
救急車のサイレンがうるさくて眠れない街の人のように。
除夜の鐘がうるさくて夜眠れないクレーマーのように。
聞こえなくなったというわけだ。
「いのちとは、時間なんだ」
という、小さい頃に吹き込まれた大人のよくわからない説明からだと思うんだよね。
だから鐘の音は抽象度が高くなって、言語化もしやすくなった。文字起こしすれば、それで鐘の音を鳴らしあっているつもりになる。
実際は胸をさらけ出して(最近は服の上からになりつつあるけど)、聴診器で聞き取らないと聞けない代物なのに。
共感性の方を重要視しすぎて、価値が暴落してしまっている。
普段は大きい音で隠れて聴こえない鐘の音。
音は小さいから、時折耳を澄ます。
最も単調なデバイス。
つまらないことでも「本当につまらない」と断言することは、異常に簡単で難しい。
なんというか、未知の味のガムみたいなもの。
ひと目見ただけでは取るに足らない一粒。
一向に味がしない、つまんない状態にさせるには、数十分口の中で取り組まないといけない。
かといって、
「あー、噛んでてつまらなかった」
と、ぺっと吐き出して感想を述べるのは常設展示レベルにダサい。率直に言えないのは、天邪鬼めいている。
年齢によっても見方は異なると思う。
六面ダイスのサイコロを振る、一度。
低年齢なら、嫌というほど確率の問題で出くわすから、アタマの中は散らばったサイコロで数多である。
ようやく確率の問題から逃れられた年齢に依れば、サイコロの目によらず、それは一種の比喩へと転じ、多面的な見方をするように仕向けられる。
展開図という単元があった。
特にサイコロのみの展開図を複数種覚えさせられたのは、なんとなく伏線的な香りがする。
教科書に載せられたものの多くは、子どものときには効果を発しない。明らかに遅延的で視覚的な効果だ。
見方を変えるために、とりあえず目の前のものをこねこねするのがいいらしい。
立体を崩して、物体を崩して……、物質にする。
立体的から平面的に、物事を考える必要がある。
ああいう形を作るには、まず図面を描かねばならない。
立体とは、平面的図形の寄せ集めである。
それを見えるように、次元を一つ戻して二次元にし、考え直してから、三次元へ組み立てるように。
たかがサイコロ一つ、所詮運だ。
誰が振ったかなんて関係ない。
反省なんてさらに意味ない。
と落胆せず、そういった考え方のクセを見出して、新たに再構築することが肝要である。
そんな車輪の再開発めいたことをせず、単に「つまらない」と一蹴してもいいのか。
結局「つまらない」と言いたい人は、即断即決に憧れているのだと思う。つまり、あまり考えたくない人。
あるモノを即断即決して「つまらない」と即断即決するから、急速にそれをつまらなくさせている。
まあ、即断即決が一概に悪いとはいえないけど、大概即断即決する人は、即断即決に憧れている人。
即断即決でも、理由は要ると思う。
「どうしてそれにしたの?」
「なんとなく」
僕も靴選びを即断即決しては、よく後悔している。
足は冒険したくないって、駄々をこねている。
毎回同じメーカーの、同じサイズのものしか買わなくなってしまった。
変わらないって正直、とてもつまらない。