22時17分

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つまらないことでも「本当につまらない」と断言することは、異常に簡単で難しい。
なんというか、未知の味のガムみたいなもの。
ひと目見ただけでは取るに足らない一粒。

一向に味がしない、つまんない状態にさせるには、数十分口の中で取り組まないといけない。
かといって、
「あー、噛んでてつまらなかった」
と、ぺっと吐き出して感想を述べるのは常設展示レベルにダサい。率直に言えないのは、天邪鬼めいている。

年齢によっても見方は異なると思う。
六面ダイスのサイコロを振る、一度。
低年齢なら、嫌というほど確率の問題で出くわすから、アタマの中は散らばったサイコロで数多である。
ようやく確率の問題から逃れられた年齢に依れば、サイコロの目によらず、それは一種の比喩へと転じ、多面的な見方をするように仕向けられる。

展開図という単元があった。
特にサイコロのみの展開図を複数種覚えさせられたのは、なんとなく伏線的な香りがする。
教科書に載せられたものの多くは、子どものときには効果を発しない。明らかに遅延的で視覚的な効果だ。

見方を変えるために、とりあえず目の前のものをこねこねするのがいいらしい。
立体を崩して、物体を崩して……、物質にする。

立体的から平面的に、物事を考える必要がある。
ああいう形を作るには、まず図面を描かねばならない。
立体とは、平面的図形の寄せ集めである。
それを見えるように、次元を一つ戻して二次元にし、考え直してから、三次元へ組み立てるように。

たかがサイコロ一つ、所詮運だ。
誰が振ったかなんて関係ない。
反省なんてさらに意味ない。
と落胆せず、そういった考え方のクセを見出して、新たに再構築することが肝要である。

そんな車輪の再開発めいたことをせず、単に「つまらない」と一蹴してもいいのか。

結局「つまらない」と言いたい人は、即断即決に憧れているのだと思う。つまり、あまり考えたくない人。
あるモノを即断即決して「つまらない」と即断即決するから、急速にそれをつまらなくさせている。

まあ、即断即決が一概に悪いとはいえないけど、大概即断即決する人は、即断即決に憧れている人。
即断即決でも、理由は要ると思う。

「どうしてそれにしたの?」
「なんとなく」

僕も靴選びを即断即決しては、よく後悔している。
足は冒険したくないって、駄々をこねている。
毎回同じメーカーの、同じサイズのものしか買わなくなってしまった。
変わらないって正直、とてもつまらない。

8/5/2024, 5:37:33 AM