「地上の人間に恋してはいけない、約束だよ」
小さい頃から、私はこの夢を見続けてきた。
顔も何も分からないけど、誰かが私に優しく声をかける夢。ずっと小さな頃から見続けている不思議な夢。
何度見ても、言う内容は一言一句変わらない。
何が、地上の人間に恋してはいけない、よ。
……したくても、する相手がいないわ!!!!!
私の名前は天野 司。
好きなことは読者。
嫌いな場所は高いところ。
座右の銘は地獄の沙汰も金次第……いや、これは訂正。
座右の銘は募集中。それと合わせて彼氏、もとい旦那も募集中のぴちぴちの36歳成人女性よ。
私は、これまで自分の力で生きる道を切り開いてきた。塾に行くお金なんてなかったから、図書館に通い詰めたし、高校時代は急に蒸発した親に頼らず高校に通い、大学まで行くために必死になった。
先生への媚び売りから、奨学金、特待生制度に、補助金、助成金。使えるものはなんでも使ってきた。
そのおかげで、今では老後に向けた資産形成も終わり、いつでも仕事をやめられる状態になっている。
そう、お金があれば、なんだってできる。そう思っていたから、ここまでガムシャラに生きてきたの。
「なのに、なのに。どうして。どうして、私には恋人の一人もいないのよぉぉもぉ」
家の近くにある、行きつけのバー。そこで今日も今日とて私は一人寂しく酒をあおっていた。
「今日もまた荒れてるわねぇ。司ちゃんに春が来ないのなんげいつものことじゃない」
カウンターの向かいから、雄二ママの塩対応な声が聞こえてくる。昔はもっと構ってくれたのに……
「いつものことで片付けないでよ、ママ……うぅ、どうしてこんなにの家庭的で、お金も稼いでこれて、可愛い私に相手がいないっていうのよ……欠点なんて、胸のサイズくらい」
はっ……まさかそれか、世の男性はやはり胸のサイズでしか女を見てないというのか。
そう思って、自分の胸元を睨みつけていると再び、野太いママの声が聞こえてくる。
「あ、そういえば。よく司ちゃんと飲んでた、あの子、今度結婚するらしいわよ」
「はぁ、Aカップの雛子が??嘘でしょ、あの子私よりよっぽど貧乳よ?!」
ありえない、本当にありえない。と驚きを隠せずグラスをテーブルに打ち付けて、ママの顔を見る。
「あんた、まがりなりにも友達の胸のサイズを公然の前で叫びちらかすのやめなさいよ……だから結婚できないのよ」
冷ややかな目で私を見るに留まらず、ママは私の急所に致命的な一言を突きつける。
「だって…だってぇぇ……ウッ…」
そう言って、再度文句を言おうとした瞬間突然の吐き気によりよろめいた身体が背もたれのないカウンターチェアから落ちていくのを感じた。
これ は や…ばい
「……地上の人に恋してはいけないと約束はしたものの、まさかこんな形で保険が発動するとはね」
ぼんやりとする意識の中で聞き覚えのある声がした。
男性とも女性とも分からない、中性的な声。なぜか親しみを覚えるこの声は……
私は知っている。昔から夢で聞いていた声。ずっと、誰なのか知りたいと思ってた声。高鳴る鼓動を感じながら、私はうっすらと目を開けていく。
そこは真っ白な空間だった。
そんな現実味のない空間の中には。
厚い胸板…立派な上腕二頭筋…濃すぎるぐらいのゲジ眉毛。紛れもなく、そこにいたのは雄二ママだった。
「いやっ…なんで?!?」
「何で、と聞きたいのは私の方だよ……私は、君が最も印象深く思ってる形を象るわけだが、よりによってこいつとは……」
印象、深く。それは、まあぶっ倒れる寸前に見てたのが雄二ママだったなので、印象深くはあるけど、こういうのってさ。自分の好きな人〜とかそういう……そういう、そういう人いなかったな、私。
そんな風に一人で納得していると、目の前の雄二ママ(仮)が話し続ける。
「さて、薄々察しているかもしれないけど、君の夢で語りかけていたのは私だ。私は天使。そして君は元々悪魔だったんだ」
ん、ん。ちょっと待って。
「え、そこは私も天使じゃないの。私、天野司よ。なんなら前世は天使でとか妄想したことだったってあったのに」
私の訴えに対して、奇しくも雄二ママ(仮)は雄二ママと同じような冷ややかな目で私を見つめる。
「君の性格で天使になれるわけがないだろう。君は紛れもなく悪魔適正100%だったんだ」
いや、悪魔適正ってなによ。そんな性格診断みたいな。気になるところはたくさんある。しかし、話を進めなければ仕方がない。頭の中でスイッチを仕事モードに切り替える。
「まあ、いいわ。それならそうだとして、建設的な話をしましょう。今更こんな風にノコノコ出てきたのはどうしてなの。私を呼び出した理由を教えて」
これまで夢で出続けるだけだったのを変えたということは、何か接触する理由があったということだ。それがどんな理由なのかは検討もつかない。それでも、私にできることがもし何かあったりするならば……それをこなすことで対価に恋人…ひいては、け、結婚相手を超常的な力で呼び出せるかもしれない。
「……端的に言うと、特に理由はない。事故だ」
事故ですか。
「君は地上に興味を持って、地上に降り立つことになったわけだが。私から君に約束したいことは一つだけだ」
目の前の雄二ママ(天使)が言いたいことは分かる。
「「地上の人間に恋してはいけない、約束だよ」」
何度も聞いた言葉だ。一言一句正確に覚えてる。
「君は忠実にそれを守っているので、何も問題はない。このまま老成するまで過ごしてくれれば良かったのだが。誤って念のためかけていた保険が起動してしまった」
筋骨隆々な両腕を組みながら話す姿は、まるで思わぬバグを発見したかのようで。言い淀むような表情を挟んだのち、言葉を続けた。
「君がキスをするようなことになった場合、念押しをするためにこうして私と対話できるようにしていた……が、君はやけ酒の結果椅子から転げ落ち気絶。人工呼吸によってこの場に現れてしまった、ということだ」
……それって、本当は華の高校生とか大学生の時に好きな人ときゃっきゃうふふの結果発動する予定だったけど、そんなことにはならず、私の粗相で不本意にも発動したということ??
「えっと……つまり、この場に特に意味はないということ」
「端的に言うとそう言うことになるね」
即答だった。雄二ママ(天使)は、いたたまれなさそうな顔をしながら話し続ける。
「なので、この場はこれで終わりだ。これからも地上の生活を楽しんでくれ。くれぐれも、地上の人間に恋は……まあ大丈夫だろう」
意識が再び薄れていく。
去り際のセリフが癪にさわる。まあ大丈夫だろうってなんだ、私だってまだまだ恋できますが??
もう諦めろって言ってるのか。馬鹿にするな。
あれ、けど、そういえば……人工呼吸って誰が…
「…ちゃん……つ…さちゃん……つかさちゃん目を覚まして」
野太い声がする。これは本物の雄二ママだ。
目を開けると安定の肉体美と濃すぎるぐらいの顔。
けれど、それだけではなかった。
雄二ママの隣にいるには、若めの男の子。
子綺麗なスーツに、黒縁のメガネ。
好みどストレートな姿をしたその子の口元には、私の口紅と同じ色が残っていた。
傘の中の秘密
「あ……」
あの傘、笹森くんのだ。
教室の掃除途中、ふと窓の外に目を向けると視界に入ったものは、私の想い人の傘だった。
「ちょっと、美咲ー、UFOでもみつけたのー」
手に持った箒を止めて、窓の前で立ち尽くす私の姿に気づいたのか友人の椿が声をかけてくる。
UFOだなんてとんでもない。そんなものを見つけたらちゃんと警察に通報している。
「いや、違くて、その傘が……」
「傘……?ってあぁぁ、雨降ってるじゃん。傘忘れたあぁぁぁぁ」
騒がしい椿の声のボリュームが、いつもの1.5倍に聞こえ、思わずそちらに目をやると持っていたちりとりを放り出し頭を抱える椿の姿が見えた。せっかく集めていたゴミが散らばってるのも気にせずに落ち込む姿は、ひまわりの種を目の前でお預けにされたハムスターのようで、思わずふふっと笑ってしまう。
「何笑ってるのよー……くーっこんな時に私と相合傘してくれる彼氏もしくは彼女がいれば……」
相合傘。
その一言で、つい数十秒前にみた光景を思い出し、身体を翻して窓枠に顔を押しつける勢いで外を覗く。
が、笹森くんの傘……いや、笹森くんの靴と、誰のものか分からない制服のスカートは見えなくなっていた。
見間違いだったのだろうか。いやそんなはずはない。あのクリーム色の大きい傘は間違いなく笹森くんの傘だったし、視力1.2の私の目は確かに傘の中から足が4本伸びていることを確認した。
あの笹森くんに、相合傘をするような相手……それも女の子がいただなんて……再度立ち尽くす私の肩の上にぽんと手が置かれる。
「で……一体何があったのよ。そんな告白してないのに振られたみたいな顔をして」
肩に手を乗せる椿の方を向いた私の顔はきっと涙ぐんでいた日がいない。
「椿ぃ……」
思わず泣きつきそうになったところで、椿が散らかしたままになっているゴミと、サボるなという他の掃除当番からの視線を感じた。
私の真顔が向ける視線の先に気づいた椿も、そっと私の肩から手を下ろし、そそくさとちりとりに向かう。
箒を使って散らかったゴミを椿のゴミ箱に入れながら、椿に提案する。
「マックまでダッシュして、雨宿りしない?」
返事の代わりに、そそくさと期間限定のハンバーガーのクーポンを笑顔で見せつけてくる椿。
「……行くということは分かったから、ちりとりから手を離さないでくれないかなぁ」
そんな茶番をしながら、続けた掃除は、そこから10分もかかった。そして、そのおかげで小雨になったとドヤ顔をする椿のハイテンションはそのあと30分続いたのだった。
「でさー、やっぱり、私が弱酸性の晴れ女だという実績が重ねられたわけですよ!!」
「いや、だからどちらかというと微弱性の雨女だと……って、そんなことはもうよくて……」
微弱性だが、弱酸性だか知らないが、どうでもいい。いい加減に私の笹森くんの話を聞くサンドバッグになってくれ。
「私見ちゃったの、雨の中で相合傘をする笹森くんを!」
「私見ちゃったの、雨の中で傘のように浮かぶUFOを!」
隣にいた同じ制服の女子高生の方を二度見する。
「いま、UFOって言った?」
「いま、笹森のこと話してた?」
『未来への鍵』
お前は鍵だ。
そう、父に言われて育てられた。
私は、私の存在自体が鍵となるように作られたらしい。
詳しいことは何も分からないけれど、父のさまざまな言いつけに従い過ごしてきた私はきっと、鍵であり続けられているのだと思う。
父はもういない。
けれど、私は父から言われたことを守って生き続けている。
何の鍵なのか、父が私に何を望んでいたのか、何も分からない。けど、私はそれに従って生きる。だって、それ以外に私に何の価値があるのか分からないんだもの。
目覚ましが朝7時を告げる。
今日も目を開ける、父の言いつけに従って。
小さい頃から空が裂ける夢をよく見る。
なぜだか分からないけど、それを見て私は
ああ、これは。空が、泣いてるんだ。
と感じ、そこで目が覚める。
そんな夢を見るようになって、はや16年。
空は、まだ裂けてない。
私の高校の屋上は鍵がかかっている。
生徒の立ち入りが禁止されている屋上は、きっとこれまでもアニメや小説で屋上というものに憧れを持っていた学生の夢を壊してきたのだろう。
かくいう私も、夢を壊された1人だった。
この日までは。
いつもと変わらない日常の延長線上で、出席番号と同じ日付だからという理由で昼休み中に理科準備室へ宿題のプリントの束を運ぶのを任された日。
今日この日、私は屋上という非現実への道を見つけた。
屋上へ続く外階段にでる鍵が、空いていた。
通常の内階段や、他の場所からのアクセス方法は全てダメだった。あとは、壁をよじ登るしかないか……と考えていたが、初めて鍵が空いている扉を見つけた。
周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。
手に持っていたプリントだけを、仕事を押し付けた物理教員の汚い机に置いたあとで、ドアノブに手をかける。
一呼吸置き、扉を開く。
開いた先は何の変哲もない外階段、その踊り場。
扉を開けた瞬間に壮大な冒険が始まる、なんて思っていたわけではないけど、肩透かしを食らった気分だった。
こんなものかと思いながらゆっくりと階段を登っていく。
少し錆びついて若干の怖さがあるが、なんてことはない、ただの階段。
それを1歩1歩と進んでいくことで、4Fから屋上のフロアが見えてきて……若干の湿り気を感じた。
雨でも降っているのか、そう思い周りを見渡すが雲一つない快晴。いわゆる、狐の嫁入りだろうか、と手を広げても雨粒が私の体に触れることもない。
少しの不思議に、心が震えるのを感じながらさらに足を進める。
最後の一歩を踏み出し、屋上の全貌が視界に入ると。
学校の屋上に佇む、びしょ濡れの少女がいた。
どうして、屋上に人が。
いや、そもそも、こんな快晴なのになぜびしょ濡れなのか。
そんな疑問が泡のように浮かび上がり続ける。
そうして、戸惑っていると、目が合った。
少女は少しだけ驚くように目を丸くすると
「ここはね神様の目の直下なんだよ」
と口を開いた。
神様の目の直下。
そう言った少女の半径1mにだけ雨が降っていた。
空はまだ裂けてない、けど、空は泣くらしい。
「空、見ちまったかぁ……」
後ろから聞き馴染んだ理科教師の声が聞こえた。
窓越しに見えるのは
いつもの電車のなか。向かいの座席に人影はなく、ただ自分の姿がうっすらと映っていいる。
その姿は自分が思ってるよりも老いていて、いつのまに自分はこうも年を食ってしまったのだろうとやるせない気持ちが溢れてくる。
「お母さん、みてみて」
隣の席から聞こえてくる3歳ぐらいの子供の声と、それを優しく親の声。自分とは縁遠いものだけど、確かに現実であるその声は目の前の老けた35歳のおっさんが自分であるという現実の輪郭をより濃くしてくる。
いつしか、地下を走っていた電車は地上に出て、外の景色は晴れ渡る青空に変わり、窓越しに見えていたおっさんは自分の視界に映らなくなった。地上に出た電車はもうじき職場へとたどり着く。
自分の姿を振り返る機会なんていうのは一瞬しかない。その一瞬をポジティブに捉える人も、ネガティブに捉える人もいるだろう。ただ、どんなおっさんであってもそうではない青空の下では自分の姿なんて省みず、子供の頃と同じようにひたすらに一歩一歩踏みしめながら生きているだけなのだ。