嗚呼、こんな所で終わりだなんて。
最期くらい君と一緒に居たかったなぁ。
みるみるうちに赤くなる視界と、薄れゆく意識。
遠くで私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
良かった、ここまで来てくれたんだね。
ありがとう、願わくば君に幸多からんことを。
「お兄ちゃん?」
ハッと目が覚める。柔らかいベッドに並んで寝ている大の大人が二人。
「どうしました?酷く汗ばんでいる」
心配そうに額の汗を拭ってくれる君は……
忍び装束を着て、颯爽と駆け抜ける映像が脳内に映り込む。
これは所謂前世の記憶、というやつなのだろうか。
「君は……君、は」
「……もしかして」
思い出しましたか、お兄ちゃん
勢いよくガバリ、と抱きつく。
なんて事だ、既に君は私のことを分かってくれていたんだね。
「……あれ、なんで、裸」
彼の胸を借りて一頻り涙を流してから気付く、今更の違和感。お互いに生まれたままの姿で寄り添っているなんて。こんなの、まるで。
「私たち、晴れて結ばれたばかりじゃないですか」
言われて、下半身のずんとした痛みが確りと現実を知らせてくれる。
「わ、私は恩人の息子さんに……」
「おっとそれ以上はいけません」
嘆きの台詞は全て唇へと吸い込まれていく。
こんなのおかしい、間違っている。
頭では分かっているのに、先程暴かれたばかりの身体が再びじくじくと熱を帯びていく。
……前世では全てを諦めたんだから、今世では許してもらえるといいな。
君と一緒ならば、二人何処までも堕ちていこう。
覆い被さる可愛い弟の背中にそっと手を回した。
かつて、あんなにも恋焦がれた空が、今はもう足の下にあるという事実にA子は興奮を隠しきれない。
「うわー!見てみて!富士山のてっぺんが見える」
A子の隣で柔らかく微笑むB男は、幼子のようにはしゃぐ彼女のことを心底愛していた。
だからこそ、彼は彼女にとっておきのサプライズを仕掛けている。
暫し窓の外を堪能していたA子は、そう言えば、とB男の方を振り返った。
「B男くん高い所が苦手なのに、どうしてこんな旅行を考えてくれたの?」
「それはA子ちゃん、君を愛しているからだよ」
B男は懐から小箱を取り出し、カパリとA子に向けて開いた。
箱の中で小さく輝くそれを見たA子は見る見るうちに顔色を失う。
「僕と結婚しよう、A子ちゃん」
「……あ、えっと……」
B男は全てを知っていた。
今回の旅行を最後にA子は別れを切り出そうとしていることを。
そして既に違う男と結婚の約束をしているということも。
彼女の戦慄く唇が何か言葉を発しようとするも、それは声にならなかった。
その様子に分かりやすく口角を釣り上げるB男。
「僕はA子ちゃんを愛している。……だからね、」
突如飛行機が大きく揺れる。途端にざわめきだす機内。
落ち着いてください、とキャビンアテンダントが声を張り上げている。
そんな異常事態など歯牙にもかけない様子で、B男は震えるA子の手を優しく取り、薬指にキラリ光る輪を掛けた。
「A子ちゃんは空が好きだったよね」
一緒に行こう、永遠の空に。
けたたましく鳴る非常ベル。機長のアナウンスがどこか遠くに聞こえる。
ある日突然降って湧いた、というより降って来たが文字通りに正しいのだろう、私だけのお兄ちゃん。
久々の家族団欒をおじゃんにされた恨みも消し飛ぶほどの魅力を持っている。
はじめましてこそ最悪の出逢いだったが、貴方と寝食を共にして、貴方のことを知れば知るほどその煌めきに沈んでゆく自分がいて。
父から聞いた、今は記憶の無い貴方のこと。
この身この命を賭しても貴方を守ると決めた。
二度目のはじめましても最悪の形かもしれない。
それでも良い、貴方が生きてさえくれればこの身が朽ちても構わない。
それはどうしてもやってくる。
カレンダーを一枚べりりと剥がすと翌月の数字が鎮座していた。
嗚呼、さようなら。
ひらり落ちた紙はメモ紙同然だ。
もう二度とくることはない、昨日にまたね!
桜の木の下には死体が埋まっている。
誰が言い出したのだろうか、そんなこと。
あまりにも美しすぎるその薄紅色に魅入られたからだろうから。
ザァ……と春一番が花びらを散らしていく。
花が吹雪いていく。お前を、何処かに連れて行く。
誰なんだ、お前は。
知らないはずのお前が桜の下へと消えていく。
胸が苦しい、真綿でじわじわと締め付けられるような苦しみが広がる。
それなのに俺は未だ、お前を思い出すことができない。