「今宵はさんた、とやらが来てくれるのじゃろう?」
「えっ……ああ、まあそうだな」
二つ並べられた布団に座り、さあ寝るかと電気を消そうかと思っていた矢先のことだ。
そんな情報を何処から仕入れたのか知らないが、相棒の曇りなき眼がキラキラとこちらを見ていたので思わず同調してしまった。
「ワシらの所にも来てくれるかの」
「……あー、まあどうだろうな」
所詮子どものための御伽噺なのだが、どうもこの男は真剣に信じ込んでしまっているらしい。
いつの間に準備していたのか、大きくて赤い毛糸の靴下を枕元に置いている。
「良い子にしていたらぷれぜんとが貰えるかの」
「……多分、子どもの所にしか来てくれないと思うぜ」
その瞬間、三白眼がより一層大きく見開かれ、すぐにうるうると潤む。よよよ……とボタボタ零れる涙。そんな相棒の姿に胸の奥がぎゅっと締め付けられる。何も悪いことはしていないのに、ちりちり罪悪感を感じてしまう。だからだろうか、普段ならば絶対に言わない台詞を口にしてしまった。
「……俺じゃダメか?」
「えっ」
「プレゼント……俺じゃ、だめか?」
視界がぐるんと反転する。ちゅ、ちゅと柔らかい接吻の雨が降り注ぐ。
「お主はワシだけのさんたくろうすじゃ」
柄にも無いことを言ってしまったからか、真っ直ぐ見下ろしてくれる相棒の目をまともに見られない。それくらいには心臓がとくんとくんと大騒ぎしている。
「赤くてほんに愛いのう」
二人の夜にクリスマスの祝福が降り注いだ。
俗物的な本などではよく見掛けるあの台詞。
普段であれば絶対に言うわけがない内容のそれを、まさか愛しの恋人の口から直接聞ける日が来るなんて思いもよらなかった。
言い慣れていないせいで声は上擦り、頬は林檎のように染まり、視線はソワソワと宙を彷徨っている。
「……プレゼントは、俺だ」
どこで覚えてきたのだそんな殺し文句。
聖夜に久しぶりの逢瀬。街は色めき立ち、煌びやかな灯りが夜を美しく染めている。
この日のために毎日必死にアルバイトして、年上の恋人と過ごすホテルのスイートを予約した。
恋人は社会人で、未だ学生である自分よりも遥かに金もある。それでも彼氏として今の自分にできる精一杯のプレゼントを贈りたかったのだ。
キラキラと彩られた街を一望できるこの部屋で、とびっきりの甘い夜を過ごすと決めていた。
普段は仕事に忙殺されている恋人の時間を、この日だけは自分のためだけに割いてもらえるだけで十分に幸せだと思っていたのに、先に風呂から出てきた恋人から会心の一撃を喰らうだなんて、こんな嬉しいサプライズがどこにあろうというのか。
「……いらねえのか」
いけない、つい心が違う所へと彷徨ってしまっていた。こちらの服の裾をぎゅっと可愛らしく握る、世界一大好きな恋人から世界一嬉しいプレゼント。据え膳食わぬは男の恥、である。
「喜んで、いただきます」
二人のクリスマスはまだ、始まったばかりである。
仄かに匂い立つ、柔らかくてどこかさっぱりとした柑橘の香。
湯に浮かぶ黄色く歪な形をしたそれを一つ、手に取ってみる。
「これ、こちらに集中せんか」
すぐ後ろから抱きついてくる男がいなければもっとこの湯を楽しめるというのに。
ぺしりともぎ取られた柚がポイと投げられ、ぷかぷか浮かんで離れていく。
「……柚にまで嫉妬するな」
「いやだね」
面倒くさくて厄介なはずなのに、心は不思議と凪いでいる。
嗚呼柚子湯のせいだと思いたい。
いつぶりだろう、地面に身体の全てを預けてゆったりと空を見上げることなんて。
嗚呼、思っていたよりも世界はこんなに広かったのだ。
出来ればもっと早くこの事に気付きたかったなあ。
今まで感じたことのない激しい痛みも流れゆく朱も、全てが手遅れの証拠。
スマホを翳す群衆の何と愚かたるや。
お前たちも早く空を見るといい。
薄れゆく意識の中、眦から零れる一筋の涙を最期に私は目を閉じた。
呼び鈴を鳴らす。
荘厳な音が指先から飛び出す。
明らかに家の中でバタついた音がする。
ほんの5分くらいしてから、まだ髪の毛もくるりとはねたままの貴方が慌てたように戸を開けてくれる。
「どうぞ、入って」
優しい声色が耳を擽る。
この声が私の凍てついた心を一瞬にして溶かす。
恋人ごっこの夜が今から始まる。
ごっこでも真似事でも今更何でも良い。
私を買ってくれる貴方に精一杯の春を届けよう。