明良

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8/30/2024, 2:13:17 PM

突然のことだが、バイトの先輩の家に泊まることになった。

夏休みシーズンを終えて繁盛期のピークを過ぎた日とはいえ、まだまだ忙しくて。バイトを始めてそろそろ一年、今日もギリギリだけどなんとか業務も終えられそうだと安心していた。
しかし、閉店時間直前になってトラブルが発生した。あたふたする私の隣で先輩が解決してくれたが、いざ帰ろうとする頃に天気が荒れて電車が止まってしまい、帰れなくなってしまった。
金曜日だからか、同じような人がたくさんいて、近場で一泊出来そうな場所は満杯だった。そも、今日は大学とバイトしか予定がなかったから大して持ち合わせもなかったが。
そこで、同性だし嫌じゃなければと、先輩が一人暮らしする部屋にお邪魔することになったのである。

先輩の部屋は、概ね予想通りというところであった。
ワンルームの真ん中にあるローテーブルの上に、ノートパソコンと何冊かの本、隅っこに畳まれた布団と充電器がほっぽってある。窓際の小さな棚に日用品がしまってありそうな箱やビニール袋が並べられている。
お盆も、クリスマスも年末年始もシフトに入っていて、内心、ふぅん、遊びっ気がない先輩らしいと思った。
大学生が四年間一人暮らしするための部屋なんて、まあこんなものかもとも。

先輩はというと、念の為と私の母と電話している。一応成人済みなのに、子ども扱いされているようで恥ずかしいが、後から心配されるよりはましだ。
母の電話番号をメモし、私にスマホを返した先輩は、お風呂の準備するから適当に座ってていいよ、充電器使っていいからねーと言いながらいなくなってしまった。

もう見るところもなさそうな部屋をもう一度見回すと、小さな棚の一番上にあるリボンが巻かれた香水瓶に目を惹かれた。
香水とか持ってるんだ! と、失礼なことを思いながらそれをみつめる。いや、普段飲み会こないし、いつバイト行っても大体いるし。遊びのためにドタキャンした子の代わりに大体すぐ来てくれるし。
この香水、去年の冬にインスタでみた。『¥5000以内1でできる彼女へのプレゼント10選〜』みたいなので。

「それ嫌じゃなきゃあげるよ。 一回しか使ってないし」
後ろからの声にびくりと振り返る。
「え、でもプレゼントですよね、これ……」
「いらなかったら捨てていいらしいからほんとにあげるよ、引っ越す前に捨てるよりありがたいし」
「引っ越すんですか?」
「就職先の社宅にいくよ。 荷物減らすのにこの間は鈴木君に漫画あげちゃった」
「鈴木君と話すんですね……」
「週一くらいはシフト被るからね」

タオルにライブTシャツとスウェットと一緒に、はい、これクレンジング。と手に握らされ、お風呂場に押し込められた。
そして、友達が置いてった寝袋出してくるねーと、先輩はまたいなくなった。

二ヶ月もしないうちに、先輩は引き止める店長に構わず、バイトを辞めていた。みんながテスト期間が近く、そろそろ休みたがるタイミングだったのもあって、少し大変だった。

あのとき、お風呂から上がったあと、お礼を言うべきところを、私は真っ先に、あの香水欲しいですと先輩に言ったことは後悔していない。

【香水】

8/29/2024, 12:28:04 PM

この世には、言葉が通じないことがよくある。
人間なら言葉を尽せば分かり合えるはずだと思っていた。
どこまでいっても2人の言葉は交わらず、平行線で私もあなたも、元から分からせる気しかなかった。
からだを使って傷つけることに踏み出しかけたとき、行動してするべきことは、手を上げることではなく別の場所に行くことだった。
私は自分のために、言葉を上手く使うことを学び続けた。惨めに口を噤んで耐えさせられないように。
今私は、自分のために、静かに口を閉じてその場を去ることしかできなかった。今は言葉を、自分をも貶める武器にしそうだった。

【言葉はいらない、ただ・・・】

8/28/2024, 4:46:41 PM

ドンドンドン、と玄関を叩く音が聞こえる。誰かはわかっているが、一応覗き穴から見慣れた顔を確認してドアをあける。
「お疲れ。今日銭湯行かないか」
そう淡々と言ってきた彼女は、小学校からの友人で、隣の部屋の住人である。
彼女は、私が小学生のときに3軒隣の家に越してきて、私と同い年で一番近くに住んでいたから一緒に登下校することになったというのが始まりである。

祖母の代から地元に住み、町内に馴染み深く、幼稚園から家族ぐるみで仲が良い友達が大勢いた私とは違い、違う土地からきて周りと異なる空気をまとう彼女は、人見知りだったこともあり、他の子供たちから少し浮いていた時期も少なからずあったが、私、私の友達と次第に輪に入ってくるようになった。
彼女が学校にすっかり周りに馴染んで、あっという間に6年が過ぎた。私は中学受験で都心の学校へ、彼女は地元の中学へ進み、私たちが顔を合わせることはなくなった。

それまで友達に困ったことがなく、子どもたちのリーダーのようだった私は、人間関係で初めて挫折した。
人に避けられるような面倒な性格もしていないし、勉強は常に教える側だったし、運動だってできて、人の足を引っ張るようなところなんてひとつもないのに。
ここは地元と違って、誰一人知り合いがいなくて、私の地の利も意味がなかった。同い年の子より頭一つ抜けている学力や積極さも、ここでは普通のことだった。
入学前は、これで高校受験に怯えなくていいと得意になっていたのに、制服がダサくて校舎も古くても、馴染みのある顔ぶれとともに校則や勉強に文句垂れながら地元の学校に通う子が少しだけ羨ましくなった。

高校は中退して、高卒認定をとって大学に進んだ。実家から通えなくもない距離ではあるが、電車にのりたくなくて、大学の近くに部屋を借りた。

そして、大学は違えど偶然にも隣の部屋に越してきたのが彼女であった。
小学校時代、周りと馴染んでもどこか遠慮がちだったときとは打って変わって、今ではこうしてずかずかと突然部屋にくるようになった。母親づてに聞いたところ、彼女は高校では同じ中学の生徒はいなかったが、また気が合う友人をつくって、3年間過ごしたようだ。

たまたま持っていたものを自分でつくったように思っていた私と違って、彼女は引っ越してきたとき、クラスが離れたとき、中学に入ったとき、高校に入ったとき……、一人で輪をつくったり、入ったりということを何度かしてきたのだろう。時々彼女が尋ねてくるのは、哀れまれているからだろうか。

あのとき仲間に入れてくれたおかげだ、今度は私から誘いたいだけだ、と彼女は言った。
前もって連絡して誘えと返すと、他の人にはもっと遠慮するけど、お前は大丈夫でしょ、と早く支度をするように促された。

【突然の君の訪問】

8/27/2024, 8:33:48 PM

ようやく家に着いて、玄関で傘をおろす。
その途端に、自分の体に叩きつけるように降っていた雨音が静かになった。
雨脚が弱まったわけではない。先ほどまで、頭上で弾け続ける、ただただ不快でしか無かった雑音がなくなり、しとしとと、ただ雨が降り続けている。
庭の葉に雨粒が弾けるパラパラとした音が軽やかさまで感じさせ、今までの苛立ちが収まる。

傘を介しているからこそ雨音が弾ける音が自分のなかで爆音になり、大雨でもないのにとんでもなく雨に降られたような気分になっていた。

本人以外に痛みが分からないことの例えに良い気がしたが、私以外なら雨のなか佇むことについて、こんな余計なことではなく、もっと楽しい想像を膨らませるんだろうと落ち込み、太陽が出ていようが、やはり家のなかが一番だと、さっさと家に入った。

【雨に佇む】

8/26/2024, 3:06:40 PM

大掃除をしていると、昔使っていた日記帳がでてきた。
誕生日に貰ったもので、せっかくだからと書き始めたのだ。
内容は、今日は誰々と遊んだ、今日はこんなものを買った、読み始めた漫画が面白い、もうすぐ始まるドラマが楽しみだとかといった単純な内容で、添えられた友達や好きなキャラクターのイラストやプリクラからは悩みなんてなさそうにみえた。
ページをめくっていくと、だんだんと日付が空いてきたり、とくになし、とだけのページが出てきて、飽きて書くことがなくなってきたのが読み取れた。
雑になった空白が多いページを飛ばしていくと、いちごや、ブルーハワイの匂いがするカラフルなページとは違って、鉛筆の黒一色のページがでてくる。

「やっと一年が終わった! もうあいつらと同じクラスになりませんよーに!」

そうだ。あのときだって悩みは確かにあったし苦しんでいた。書き出してしまえば忘れられるとも言うけれど、私はキラキラした日々に灰色の時間を入れたくなかったし思い出したら嫌で、何も書かなくなったのだ。自分のなかでだけでも、なかったことにしたかった。

数ページ戻っていくと、ちらほら書き込みがある日もあった。
「手紙回されて悪口言われてた。さいやく」
「もうわざわざ教室にいるのやめよ、明日から図書室いく!」
「お母さんが電話した、明日おわる」
「あやまらせた! ざまあ」
「あやまったあとに手紙でお前もわるいからあやまれっていわれた、お母さんもまた怒った。はなしつーじない、むし!」
フキダシで、またいーつけてやろうか、と書かれているのをみて、強気な自分に笑った。

今の、少し器用になったように見えて、実際は周りも自分のことも諦めて、傷つけられないように人波を何とか抜けている私より、この頃の方が誇らしくみえる。
実際は人と楽しく遊びたかったし、折れていなくともやっぱり惨めで、すぐに変わるものなら変えて欲しいと願っていたと思う。

あの灰色の時間を過ごしたわたしを、漸く抱きしめてあげられた気がした。

【私の日記帳】

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