ほろ

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3/11/2024, 3:06:20 PM

こんにちは、と声がして、顔を上げる。17時03分。今日は少し遅い来店だ。
「こんにちは」
ほぼ毎日やってくる、常連の学生。どうやら当店のパティシエールが好きらしく(もしかしたらただ単にケーキが好きなだけなのかもしれないが)、毎回顔を赤くしながら不安そうにパティシエールの居場所を聞いてくる。
「えっと、店長さんは……」
「試作中。新作はコレとコレ。食べていくなら、その席で」
もはや恒例となったやり取りに、少年は「じゃあ」と新作2つを選ぶ。お金を出そうとしたので、わたしはお金を置くトレーを引っ込めた。
「毎回言うけど、店長が後で払うって言ってるんだからいらない」
「で、でも、あの、毎回はちょっと……せめて1個分だけでも……」
「……そんなに払いたいなら、自分で店長に言って」
そこで彼は黙ってしまう。店長の厚意を受け取らないのも悪いと思っているのだろう。
しばらく2人で黙っていると、わたしの後ろから店長が顔を出した。
「お、少年。また食べていくのか! ありがとな!」
ふわり、甘い匂いが鼻をくすぐる。くしゃみが出そうになって唇を噛む。
一方彼は、店長を見るなりさらに顔を赤くして、はひ、と呟いた。先程までの意気込みは霧散したらしい。
「それ、絶対美味しいから! あ、あとで試作も食べてって! 時間ある?」
「あ、ある、あります」
「んじゃ、なるべくすぐ作る!」
慌ただしく戻っていく店長と、いつもの席に座った彼をそれぞれ確認し、わたしは店の入口に向き直った。
今日も甘ったるくて、いつも通りだ。

3/10/2024, 1:51:25 PM

ヒーロー戦隊・ハンスイジャーは、街のために毎日戦う5人組! 困ったことがあったらハンスイジャーを呼ぼう! 君の力になってくれるぞ!

「わー、このCM久々に観た」
せんべいを食べながら、ハンスイピンクが言う。ぽりぽり、と小気味いい音がリビングに響く。
「私ら結婚して何年?」
「8年じゃなかったっけ」
「8年かー……そりゃあ平和ボケするよねえ」
ハンスイレッドの返答に、渇いた笑いでピンクが応える。

およそ10年前、ハンスイジャーの活躍により悪は滅びた。街は平和になり、それと比例してハンスイジャーも暇になり、約2年後──つまり8年前。レッドとピンクが結婚したのを機に、ハンスイジャーは解散。まさに愛と平和。みんなが悪に怯えず、戦う必要もない幸せな世界が訪れた。

「なんかさぁ……私たちあんなに頑張ったのに、こんなあっさり職なくしてさぁ……やるせないっていうか」
「うん」
「思ったの。愛と平和だけじゃ世界は語れないって。愛と平和と、悪があって初めて世界のバランスが取れるんだって」
「やっぱり俺たちは気が合うな」
レッドは、スマホの画面をピンクに見せる。とあるメッセージグループ。グループ名は、『悪のハンスイジャー』。
「みんな、戦ってくれるってさ」
「そっか。久しぶりにハンスイジャー、出動だね」
2人は立ち上がり、家の外に出る。
懐かしの仲間たちと、今一度暴れるために。

3/9/2024, 1:32:47 PM

もう隣には誰もいない。
思えば、ここまでくるのに随分時間が過ぎた。
ぼくは長生きだけれど、人間は違う。ほんの数十年で朽ち果てる。
ぼくを好きだと言ってくれたあの子も、友達だと言ってくれたあの子も、息子のように扱ってくれたあの子もみんな、ぼくより先にいなくなってしまった。

「寂しいね」

しかし、何より恐ろしいのは、彼ら彼女らとの出会いと別れが、ぼくにとってはほんの数日程度の思い出にしかならないことだ。
数日が何百、何千人分。それは思い出と呼んでいいのだろうか。ぼくには分からない。
「君たちのところへ行きたいのに、行けない」
思い出なんて持っていたって意味がない。
隣には誰もいないのだから。
一瞬のように過ぎ去った日々を思い返したところで、みんなに触れられないのに。
ぼくはいつまで生きていればいいのだろう。

3/8/2024, 3:24:42 PM

もうすぐ春がくる。春は出会いと別れの季節と言うけれど、校舎裏のゴミ捨て場にもその季節の風が吹いていた。
「え、用務員さん週一になるの?」
「おー」
気だるげに落ち葉を掃いている用務員さん──わたしが密かに番長と呼ぶ彼は、何事もないように返事をする。
なんで、と問えば、用務員以外のバイトを始めるのと、他に勤務できる用務員が見つかったからなんだそう。
「何曜日来るの?」
「さあ……その時々だと思うけど」
「ここ以外にバイトもするって、そんなにお金欲しいの?」
「お前にゃ関係ねーよ」
そうだけど。
葉っぱがカサカサ鳴って、番長の持つチリトリに追い立てられる。時々、風が吹くと何枚か逃げていく。
「ま、いい機会だ。お前も受験あんだろ。勉強しろ勉強」
わたしのことなんて、まるで最初から知らなかったみたいに言い放つ。わたしに友達がいないことも、番長目当てでここに来てることも、知っているくせに。
「わたしは、勉強よりお金より、用務員さんと会える時間が大事なのに」
「…………」
「用務員さんは、わたしになんて興味なかったんだ?」
「……さあ」
「……帰る」
踏みしめた落ち葉が、一際大きく音を立てる。
振り返りはしなかった。番長も、わたしを呼び止めはしなかった。

3/7/2024, 1:57:30 PM

「お月様に夜で、つくよっていうの」
隣に引っ越してきた女の子は、ふふんと得意げに宙に字を書く。小学三年生くらいだろうか。ハーフアップにした髪が、ちょっと背伸びした感じがして可愛い。
「素敵な名前だね」
「そうでしょ!」
月夜ちゃんはぴょんぴょん跳ねて、俺に抱きついてくる。
「お兄ちゃんは? 名前なんていうの?」
「名前? 朝にお日様で、あさひっていうんだ」
「ふふふ、すてきね!」
わたしと反対! と月夜ちゃんは嬉しそうだ。
確かに、月と日、夜と朝。狙ったかのように正反対の名前だ。性格はどうやら、「名は体を表す」とはいかないらしいけど。
「これからよろしくね、あさひお兄ちゃん!」
「よろしくね、月夜ちゃん」
頭を撫でると、また嬉しそうに飛び跳ねる。
これから賑やかになりそうだな、と月夜ちゃんの髪飾りを見て笑った。

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