『みかん』
こたつの中でぬくぬくとしている中で、甘いみかんを食べる瞬間が好きだ。ああ、俗っぽいなんて言わないで。確かに私は俗っぽい人だけれど、それで得られる幸せは俗っぽくなんてないの。
こたつの上に置いてあるペンを手に取る。キュッと音を立てながら、みかんに顔を描いていく。
「ね、どう?」
隣で寝ていた彼を起こして、彼の顔を描いたみかんを見せた。彼は寝ぼけたままで言う。
「ぶさいく」
「あなたを描いたんだけど」
「じゃあいけめん」
そして、のそのそとこたつから上半身を出して、彼も同じようにペンを手に取った。真剣な顔つき。私はそれを見られるだけでも満足だった。
「これ、おまえ」
「……意外と似てる」
「まあね、───」
お前のことはよく見てるから。
……いけない、暑くなってきた。そうだ、外に出よう。みかんでも買ってこようか。
『冬休み』
そういえば、良いお年をって言うの、忘れてた。
駅のホームで電車を待っているとき、ふと思った。そんな大したことじゃない。明日から冬休みなんて言ったって、どうせ連絡は取り合う。きっと、たぶん。
クリスマスも過ぎて、もう年末だなんて、正直信じられない。まだ年が明けてから数週間しか経っていないように思う。あの日から1年経つのか、としみじみ思ってしまう。いけない、そういうことを考え始めると、二度と戻って来れなくなる。私の思い出は鮮やかすぎる。こんなに冷たい、まるで氷に包まれた一色の世界に、いくつもの極彩色を散らす。そのせいで、夜はいっそう寂しくなる。思い出も幻想なんじゃないかと思ってしまう。存在しない記憶が、思い出として残っているように感じているだけなんじゃないか。そんなの、悲しい。
言うの忘れてた!良いお年をー!
通知が降ってきた。それは、私の好きな人。今年、1番初めに私に「あけましておめでとう」と連絡をくれた人。冬休みで楽しみなことなんて、それくらいだ。あとは、もう、過ぎ行く思い出と、薄れ行く記憶を繋ぎ止めようと必死になるだけで、だから、だから、冬休みなんていらないの。
あなたに毎日会いたいの。
『手ぶくろ』
冬の夜は、特に突き刺すような冷たさが痛い。心まで冷え込んで、凍りついて、おかしなことばかり考える。このまま誰にも知られずに消えたら、凍った私を探して助けてくれるひとはいるのかな、なんて。こんなことばかり考える私に優しい人なんていないってことくらい、わかりきっているのに。
「あ、ねえ。電車乗って帰る?」
後ろを向くと、寒さに顔を赤くして笑う彼がいた。静かに頷くと、一緒に帰ろうと言ってくれた。なんだ、きっとこのひとなら──あまり考えたくないことを考えた。彼の他愛もない話に耳を傾け、嫌なことを忘れられるように、少し大きめにリアクションをする。手が痺れるほど冷たくなっている。
「あ゙ーっさむ!!てか手寒くないの!?」
「いや、凍りそう」
「えちょっと触ってみてもいい?」
「うん、」
彼は手ぶくろを外して、私の手に触れた。すごく、すごく温かい。思わず涙が溢れそうなほどだった。人の温かさって、すごい。体も心も温める。あまりに素敵だ。
「冷たすぎ!もうおれの手ぶくろ貸すからこれつけてな」
「……いいの?ありがとう」
「いいよ。あ〜おれ優し〜〜」
彼の大きな手ぶくろに、私の手をはめた。あまりに大きくて、指先は行き場を失っている。余った部分が多いのだ。この何とも表現しきれない違和感。ぎこちなく自分の手をぎゅっと握る。そしてゆっくり開く。そして思う。きっとこれでは、温まることはないだろう。
ねえ、あなたの手で温めて、って言ってもいいかな。
『変わらないものはない』
変わらないものはないなら、あなたとのこの関係も変わってしまうの?
隣で笑ってくれるあなたは、お年寄りになってもいてくれることはないの?
あなたも、私の知らない所で、私の知らない人と、私よりずっとずっと幸せになるの?
時の中で生を紡ぐ私たちは、絶えず変化の中を生きている。そりゃあ、何かが変わったって不思議じゃない。
でも、変わってほしくないものはある。ずっと、変わらないはずのものがあると信じたくなる。
ねえ──私は、これからもあなたと生きていくものだと思っているの。これは、変わらないよね?
『クリスマスの夜』
最近は、よくわからないが不安でいっぱいになり、夜眠れない。昨日、というか今日も寝ついたのは朝方で、確か最後に時計を見たのは4時半だった。次に目が覚めた時には14時だった。さすがに絶望した。クリスマスだというのに半日も無駄にしたということ、ここまで寝ていても誰からも連絡がなく、今年もひとりで過ごすのだと確信したということ。あまりにも馬鹿馬鹿しい。なんだか呆れた。
昨日、家から帰る途中の駅で、帰るのを渋る彼女と、また遊ぼうねと声をかける彼氏を見かけた。正直、こんなところでやってほしくないと思ったんだけど、そういえばクリスマスだからな、と納得した。別に悲しい訳でもないのに、悲しくなくてはいけないような気がして、大きなため息をついた。今日の夜は友達に電話でもしてみようか──いや、きっともうすぐ寝てしまうな。既に寝ているかもしれない。
ひとり、コンビニで買った小さなケーキを頬張っていると、通知音がした。
メリークリスマス!
たったそれだけだった。私の好きな人は、こういうことをする。だから好きなのだけれど、起きているならそう言ってよ、と思った。電話しよう、って言ったら、いいよって返ってくるだろうか。ケーキなんて放っておいて、その言葉を打ち込んでみるか迷い始めた。きっとそうすれば、私の眠れない夜はきっと良くなる。贅沢な夜だと思った。