『傘の中の秘密』
「うげ、傘持ってないのに」
「私の入る?」
「え、やだ」
「濡れちゃうでしょ」
「じゃあささっと駅まで行くよ」
「あちょっと置いてかないでよ!」
あなたは雨の中笑っている。なんだか傘を差すのももったいないくらいにあなたがかっこいいから、ずるい。
でも、あなたは私の傘を待っていた。
「ありがとね、入れてくれて」
ふと言われた言葉にぱっとそちらを向く。照れたように笑うあなたがいる。
「いいの、だって私───」
大きな雨粒がたくさん落ちていく。パラパラと音を立てている。まるで花火みたいに。
あなたは顔を赤くしている。「聞こえなかった」はナシだからね!なんて私も顔を赤くする。
世界でいちばん、馬鹿な2人だと思った。
『君の名前を呼んだ日』
「てかさ、なんで苗字呼びなの?みんな俺のこと下の名前で呼んでるのに」
不意をつかれた問いに首を傾げる。下の名前で呼んだら馴れ馴れしいじゃん。そんな言葉を投げると、
「逆に苗字呼びされると距離感じて嫌だから名前で呼んで」
なんて。何とも思ってないような顔をして言ってる。私は嘲笑を含めて彼の名前を呼んだ。いつもより嬉しそうな顔をしている彼を見て、私もまた、嬉しくなってしまっているのはここだけの秘密。
『昨日と違う私』
履きなれないスカート。
イヤリングで耳が痛い。
いつもより時間のかかるメイク。
鏡の前で変な顔して笑ってみる。
こんなにも昨日と違うのはあなたに会えるからだ、ということは、まだ秘密にしておきたい。
『まって』
「今日はありがとね、また今度」
あなたはそう笑って手を振っている。
「まって」
私の声は弱々しい。けれど、あなたにはちゃんと届いていた。
「なあに、どうしたの」
「……また遊び誘ってもいい?」
「え?むしろお願いしますって感じなんだけど」
「ほんと?ありがと」
「…まって、やっぱ次は俺から誘いたい」
「……うん、まってる」
私はずっとあなたを待とう。きっと来ないであろう誘いだとしても。
『酸素』
慣れない環境で無理しているせいで、何もしなくても涙が出る。なんでこんなことしてるんだろう、と自暴自棄になる。いつもはこのあたりで止まるんだけど、今日は違った。息が吸えないくらいに泣いて、意識が朦朧としていた。いっそこのまま。そう思えば気が楽になるくらい、私はずっと泣いていた。
そのとき、スマホの着信音が聞こえてきた。恐る恐る手を伸ばす。そこにある名前はあなただった。思わず電話に出る。
「あー、また泣いてる」
向こうの呆れたような笑いが、すごく暖かかった。
「息吸えてないでしょ。深呼吸して、落ち着いてね。今からそっちに行くから、ちゃんと呼吸してるんだよ、どれだけ泣いてもいいから、ね」
私はあなたに「馬鹿」と言ってしまった。だって、あなたという酸素がまだここにないんだもの。