「俺ってなんの為に生きてんだろ」
ぼそっと呟かれた友人の一人言。
偶然にも私の耳はその言葉を拾ってしまう。
「え?」
思わず聞き返した。
友人はこっちに向き直り笑う。
「聞かれてたか」
哀愁が漂っている。
ナイトブルー厶色のカラコンをつけた目に私が映った。
不自然なほどに似合っているその目は直ぐに視線を逸らす。
それと同時に金髪の髪が揺れた。
「何でそんな事言うの?」
踏み込んでみる。
少しだけ戸惑う様子があったが、決心したように再び私に向き直った。
「子供が、俺より大人みたいで少し凹む」
「大輝(だいき)君の事?」
そう聞くと小さく頷いた。
「妻がさ、小さい頃から色々なことを知っておいたほうがいい。みたいなこと言ってて色んな事勉強させてるんだけど、その成果なのか、最近大輝が大人びてきて。まだ知らなくても良い事とか色々話してきたりしてさ、それも楽しそうにとかじゃなくてなにかの愚痴を吐き出すみたいに。相当ストレスかかってるみたいなんだ。でも、俺は妻をとめられないから。何もしてやれない。子供一人救えない俺って一体何の為に生きてんのかなって」
そこでまた笑う。
「馬鹿馬鹿しいだろ?」
ー馬鹿馬鹿しくなんて無い
そんな風に答えた気がする。
気がついたら家にいて、春野(はるの)が今日あった事を話している。
「それでね、怖くって」
泣き出してしまった。
「うわーん」
「怖かったね〜」
背中を撫でて落ち着かせる。
「……聞いてた?」
子供というのはどうしてこうも勘が良いのか。
「ごめんね、聞いてなかった。もう一回教えてくれない?」
素直に認めてみる。
「…今日、蒼(あお)に筆箱取られちゃって泣いたら返してくれたんだけどね、そしたら大輝君が何か言ってて、蒼は泣き出しそうになってて先生も止めに入って色々あって、なんか怖かったの」
「そっか…大輝君に何を言われたとか覚えてないの?」
「よくわかんなかった」
それからも色々な話題が出て時間になったら寝かせる。
やっと自由時間。
小学一年生というのは体力がありあまっていて相手をするのは疲れる。
自分も布団に入ってふと考えた。
生きる意味ってなんだろうなぁ〜って。
私には家族もいるし仕事もある。
今の環境に満足しているから生きる、みたいな?
っていうか、子供が小さいうちは死ねないから、それが理由?
仕事が上手くいっているから?
50歳までは生きていたいから?
あ。
そこで気がつく。
多分、一番シンプルな理由は‘生きていたいから’。
生きていたくなくなったら、生きる意味が無くなるわけじゃない。
だけど。
布団を抜け出し、子供部屋まで行く。
子供は小さな寝息を吐いて気持ちよさそうに眠っている。
この子の子供が見たい。
だなんてまだ早すぎるか。
30作品 ー生きる意味ー
「駄目だって分からなかったの?」
耳に入ってくる冷たい声。
声の方を見ると中居大輝(なかいだいき)君がいた。
大輝君の前には泣きじゃくっている桜井春野(さくらいはるの)ちゃんと、そっぽを向いている小林蒼(こばやしあお)君がいる。
「だ、大輝君、やめよ……」
とめようとすると、本当に入学したての小学一年生か?と言うくらいの圧をかけられながら睨まれた。
「盗みは犯罪なんだよ?軽い気持ちでやるものじゃない」
大輝君は更に続ける。
「ていうか、泣き出したから返してこれで良いだろって?何言ってるわけ?」
「お、お前は関係ないだろ…、引っ込んでろよ…」
「人の話は最後まで聞くものでしょ?最後まで聞いてまだ何かあったら言えば?」
蒼君が口を結んだ。
目には涙が浮かんでいる。
流石にまずいと思い、再び声を出す。
「大輝君、辞めよう?この話は先生がどうにかする。それに、本人達もそれで良かったって言ってるんだから……」
「………そうですか」
随分長いためがあった。
しかし、観念したように下を向き口を開いたのだ。
この年の子はまだ善悪がついていない。
こんなにもはっきりと善悪をつけている子は長年教師をやって来て数人しか見たことがない。
毎度思う。
どうやってこんなにはっきりさせたのか。
私には聞く勇気がない。
だから聞くことはできなかった。
「ごめんね、春野ちゃんと蒼君。怖かったでしょ?」
まるで、大輝君を悪者にするように二人を慰める。
きっと大輝君は間違った事は言っていない。
言っていなかったとしてもこれは‘仕方がない’事なのかもしれない。
善悪とは。
この年にとって難しい問題のはずだ。
誰もが頭を悩ませる問題。
そんな問題を大輝君はゆうゆうとクリアしてしまう。
答えられてしまう。
善悪とは。
人には人の信じる善と悪がある。
しかし、そうでは無いのだ。
善悪とは。
善悪とは、その国の法律やルールで決まっている。
善い行いと悪い行い。
それでも私は問い続ける。
自分の中の善と悪。
善悪とは。
ー善悪ー
「ルールを守りなさい」
小さい頃から言われ続けた。
「ルールって?」
「従わなければならないものです」
「例えば?」
「……例えば、学校で勉強をすることです」
「絶対?」
「はい」
言ってきたのはお母さん。
いつも敬語だからそれが当たり前だと思っていた。
僕にとっては、「当たり前」=「ルール」だった。
だから自然と僕も敬語になっていく。
「お母さん」
「なんですか?」
「ここの部分についてなんですが、質問いいですか?」
「はい」
「ありがとうございます」
疑問は抱かなかった。
しかし、大きくなるとだんだん自分が周りと違う事に気づく。
だからといっていきなり辞めることは出来ない。
癖とはとても恐ろしい。
僕は敬語を外すことを断念した。
ところで、あれだけルールを守れと言ってきた母は僕が聞くまで教えてくれることは無い。
だから大体は学校で習う。
法律に背いてはいけない。
大人の言うことに従う。
その他諸々。
そして暗黙のルールというのもある。
これらは実にややこしい。
こんなもの、破っていた人がいたとしても仕方がないのでは?
と、僕はいつも思う。
暗黙のルールというものも育っていくうちに自然と分かってくる、か教えられる。
暗黙のルールを守らない人はこう映るんじゃないか?
「暗黙のルールを破る」=「常識の無い人」
まぁ、実際そうだとしてもだ。
ルールは実に面倒くさい。
覚えるのすら面倒くさい。
世の中にはまだまだ知らないルールがある。
僕は今置かれている状況のルールは知らない。
「大丈夫ですか?」
教室の床に座り込んでいるクラスメイトに声を掛ける。
反応は無い。
手を差し出しながらもう一度言った。
「大丈夫ですか?」
目の前にいるのは大人しそうな女子生徒。
俯いていて顔はよく見えない。
服はびちゃびちゃに濡れていて下着が透けている。
髪からは水がたれ続けていた。
「そのままだと風を引いてしまいます」
「ほっといて」
微かに聞き取れた小さな声。
今にも消えてしまいそうで心配になった。
「春日(はるひ)さぁ、もうほっときなって」
「………」
「そうそう!その子は自分でやったんだから、ね?花火(はなび)チャン」
一人がそう言うとクラス全体に笑い声が響いた。
きっとこれにも何かのルールがある。
暗黙のルールっていうやつが。
たとえそれがいじめであっても。
僕は無力なのだと。
何も出来ない役立たずなのだと。
思い知ってしまった。
でも、僕にも好奇心というものがある。
どんなルールがあるのかがどうしても気になってしまい我慢できずに聞いてみた。
「この場合、どんなルールがあるんでしょうか」
「は?」
ールールー
私の今日の心模様
今日はきっと憂鬱な日
くよくよくよくよ悩んでばかり
頭の中がこんがらがって
色んなことが入ってこない
こんなんだから怒られる
私の今日の心模様
今日はきっとハッピーな日
頭の中がスッキリしてる
色んなことが入ってくるから
頭がパンクしちゃいそう
それでも沢山褒められた
私の今日の心模様
今日はきっと普通の日
悩んでる事はあるけれど
そこまで気にはしなくていい
頭の中の片隅に
そっと押し寄せたのならば
ほらもうこんなに気にならない
気にはならないのだけれども
その分場所が小さくなって
そんなに頭に入ってこない
怒られたりはしなかったけど
褒められたりもしなかった
ほらね、今日は普通の日
ー今日の心模様ー
心模様ってこういうことでしたっけ。あんまり自信ないです
「取れるもんなら取ってみなよー!」
「返してぇ……!ひっく、うゔ……うわーん」
また、泣かせてしまった。
そんなつもりは無かったのに。
いや、そんなつもりは確かにあった。
「何で泣かせるの!?「お兄ちゃん」なんだから「明里(あかり、読み?が妹)」の事を守るのが仕事でしょ??!」
これで良いんだ。
どんな形であっても、この時間だけはお母さんもお父さんも僕と会話してくれる。
……果たして、本当にそうなのだろうか。
この時間さえも僕の事を「お兄ちゃん」としてしか見ていないんじゃないだろうか。
「ごめん」
「んーん、明里こそごめんね?「明里」の所為で「お兄ちゃん」が怒られちゃった……」
「……明里は明里として扱ってもらった事ある?」
「…分かんないけど、明里は「お兄ちゃん」の「妹」でしか無いんだと思う」
「僕は明里が生まれるまでは「お兄ちゃん」じゃなくて僕として扱ってもらってた」
「いいなぁ~」
「………僕が、死ねば明里は「明里」じゃ、妹じゃ無くなるのかな?」
冗談だった。
そう、軽い冗談。
僕にとっては。
「そうなの!?じゃあさ、「お兄ちゃん」は「明里」の為に死んでくれる?」
「…うん」
僕が死ねば「明里」は普通の明里になる。
嫌だとは言えなかった。
無理だなんてあまりにも明里が可哀想だ。
「!明里良いものしってる!!」
「良いもの?」
「ちょっと待って!」
慌ただしく階段を降りていく。
そんな「明里」の後ろ姿を見つめた。
次第に見えなくなっていく小さな背中。
これで良いのか。
決心が揺らぐ。
死にたくない。
死にたくないけど、死ねばきっと「明里」は明里になる。
両親からの本当の「愛」ってやつを貰えるんじゃないか?
「明里」が生まれるまでその「愛」ってのは僕のだった。
「明里」が生まれてから僕は「愛」ってやつを貰ってない。
でもそれは明里だって同じなはずで、両親は「明里」に見せかけの愛しかあげていない。
僕だって貰いたいけど、僕は年上だから貰ったことがある。
明里は年下だから貰ったことがない。
「「お兄ちゃん」!持ってきた!」
「…ロープ?」
「そう!これを輪っかにして、首にはめて天井に吊るせば死ぬんだよ!」
何故そんな事を知っているのか。
聞こうとはしなかった。
代わりにロープを輪っかにして天井に吊るした。
椅子を持ってきて自分の首にロープをつける。
怖くなった。
当然、死ぬ覚悟なんか出来ていない。
「やっぱ辞める」
「なんで?」
「怖くなったから」
その日から「妹」に露骨に避けられるようになった。
悲しくはなかった。
〜月日が立ち何年後か〜
「好きです」
「私も!!嬉しい」
目の前の人はニッコリ笑う。
「じゃあ「俺」と付き合って下さい……」
「勿論!!!ありがとう」
「俺」は高校生になった。
いまだに「お兄ちゃん」から抜けられていない。
明里にも避けられる。
父親は死んだ。
他殺だった。
「……やっぱりすみません、間違いでした」
「はぁ?なにそれ信じられない」
「本当にごめんなさい」
「俺」は犯人を知っている。
たまたま見てしまった。
警察には言っていない。
警察はそれを自殺だと判断したから。
自殺。
あの日「俺」に「明里」が手渡したロープで。
「「お兄ちゃん」早かったね」
家に帰ると「明里」が待ち伏せていた。
「……よくのうのうと生きてられるな」
気づいて慌てて手で抑えた。
明里が俺に疑問の念を抱いた。
もしかしたら、もう気づかれたかもしれない。
俺が殺害現場を見ていたこと。
「「お兄ちゃん」、ちょっとこっち」
明里はキッチンに向かって歩き出した。
急いで後を追う。
「「お兄ちゃん」。ごめんね?」
「俺」に向かって振り下ろされる包丁。
間一髪の所で止める。
しかし、そのまま勢いを殺せず「妹」に刺さってしまう。
刺された所が悪かったのかすぐに死んでしまった。
「殺人犯」。
警察に「妹」の罪を話せば誹謗中傷も軽くなるのだろうか。
怖くは無い。
悲しくも無い。
こんな事を思うのは何だが、嬉しくなってきた。
楽しくなってきた。
面白くなってきた。
胸の中の不安は既になくなっていた。
たとえ間違いだったとしても、「俺」はこれで良かったと思える。
少々自分勝手すぎるかな?
ーたとえ間違いだったとしてもー