「聞いてください」
「寝支度しながらでもいい?」
「それと対のパジャマはまだ乾いていませんよ」
「……雨めぇ」
「聞いてください」
「どうふぉ?」
「歯磨きをしながら向かないでください」
「ん」
「わたくし、」
「わたくし、やってみたいことがたくさんあるんです。2進法で那由多に羅列されるくらい」
「ふぅん、続けて?」
「この前あなたが海に連れて行ってくれましたね。大脳辺縁系相当がチカチカするくらいの光景で。それでわたくし、泳いでみたいんです」
「水と塩と金属のなかで?」
「だめなら塩素のなかでも。とにかく、泳いでみたい」
「真水じゃだめ?」
「広くありませんもん」
「こだわるねぇ」
「それから、夢も見てみたい」
「きみ、見ないもんね……試してみる?」
「それ、あなたがつくった動画を垂れ流すだけでしょう? あなた、センスがありませんから」
「ひ、ひどい」
「そうじゃなくて、今日のこと、過去のことを、深く深く脳幹から引っ張り出してごちゃまぜにして、わたくしの思考も加味されて。ふふ、体調が悪いと混沌で滑稽なつぎはぎが見れるのでしょう?」
「クソダサパワポみたいなやばいの見る」
「わたくしはどんなやばいものを見るのでしょう」
「疲れてもみたい」
「せっかく疲れ知らずなのに。贅沢なねがい」
「あー疲れた、と、疲労感と達成感が何なのか感じてみたいんです。それで眠りに誘われて。朝に筋肉痛の発生、疲労感の残留。湿布を貼って、2度寝して」
「ぼくはね、一日が68.5時間以上になればいいのにって思う」
「皮肉な人」
「1番やってみたいのは、飲食です」
「うーん、きみのお口に感知器官をつくって、電流が流れたら味と感知する刺激がシグナルで受け取れるとか」
「……野暮ですね。あなたと酒を酌み交わしてみたいんです。麦芽のビールは風呂上りとか、有酸素運動後に、1口目がおいしいのでしょう? あなたがおいしいおいしい、というわたくしの手料理の味も知りたい」
「ふぁ、眠い。まあ、ぜんぶ、世界の誰かの技術が提供されるか、ぼくの技術力が爆発的に上がったらね」
「そのときまで、あなたがいればいいのですけれど」
「はいはい、背中のシャツまくって」
ガチャン――窪みにちょうどなコネクタが、わたくしの背中にはめ込まれる。200Vの電流が徐々に省エネモードを解除してゆき、発熱量が増して。
あなたがわたくしのために用意してくれたベッド。そこへ横向きにボディーを倒す。沈む心地はあれど気持ちいいのかは分からない。
軽量化が成功したわたくしは、あなたと同じくらいの重量。
叶うことが難しいのは分かっている。ですが、せめて。せっかく思考と知識があるのだから、それらが何なのか予測して。自分に当てはめていたい。
現実の外側で思い描いて。
スリープモードに移行しながら、思うのです。
「はぁ、ニンニクマシマシセアブラオオメのバリカタで、この腹を満たしてみたい……」
#夢を見てたい
お買い物から帰ってきたら、きみはソファでうたた寝。クッションに頭を載せて、バンザイみたいな恰好で。ちょっとお口が開いているし、片足がソファから落ちてる。
ほんとならね、毛布をかけてあげたい。
けど、きみってば、いらないところで敏感。ぼく、47敗2勝。ね、もう偶然にかけるのもばかみたい。
暖房を入れて。
ゴォオオオ――って音。
「んふ」
キッチンでちょっと仕込み。
トマトソース煮込みのチーズハンバーグだってつくれちゃう。あと、この前もらったお野菜はマリネにしちゃおっかな。
あのパン屋さんすっごく並んでた。
けど、ぼく、がんばった。だからスライスして、あとでオーブンでブン。
ちょっとカリカリするくらいがいいよね。
壁に設置してある給湯器のリモコン。浴槽はからっぽ。【自動】っていうボタンを。
『お湯張りをします。お風呂の栓を閉めて下さい』
「はぁーい」
浴室はカビが生えないようにって、窓が全開。凍っちゃう! って思うほど。
窓もお風呂の栓も閉めて。
ジャアーーってお湯が湯気をたてながら浴槽に嵩を増やそうとしてる。こういうのってちょっと応援したくなっちゃう。がんばれーって。
……ならない? あ、そう。
ベランダに出て洗濯物を取り込むの。畳むのはね、きみのお仕事。明日はぼくの番。
枕カバー洗ったんだった。
鼻先を恐る恐るうずめるの。
――――すぅ……よ、よし、まだへいき!
性別問わずにするっていうから、ほんと、困っちゃう。
ソファの前。
きみは器用に落ちずに寝返りをうって。寝れなくなるよ、って言ったことがあったけど、夜に普通に(なんならお昼寝してないぼくよりも早く)寝てたから言うのもやめた。
たまに変な寝言言ってる。
突然クソデカボイス出すのはやめてほしい。
でも寝顔はすき。
すっごく気持ち良さそう。
ガチャ――――浴室。
浴槽にはたっぷりの少しだけ熱めのお湯。足からゆっくり入って、肩までどぷり。
「あ゛~~、さいっっこう」
ちゃぷん、ちゃぷん。
お夕飯、よろこんでくれるかな。きみの好物ばかり仕込んだから。んふ、たべるときのきみのお顔がね、ありありと浮かぶの。
ごはんたべてるときのきみ、すっごく満たされたお顔をしてて、つくり甲斐ある。
弾んだ声まで聞こえてきちゃいそう。
パシャン、パシャン。
うねうねとぼくの肌色が波立って。
ふと見上げれば、浴室の角にちっちゃな虹。壁も床も浴槽も白いから、反射したら虹色の光ができちゃう。
チカッ、チカッ――――なんだか特別な気分。
「んふ、しあわせだぁ」
そういう気持ちになっているとね、時間がすぐに過ぎて、のぼせちゃうんだよ。
#ずっとこのまま
きみが突然、デパートに行こうって言うから。何か欲しいものがあるのかな、って思ったの。
デパートに着いてみたらびっくり。
人が多いし、みーんな寒いからか肩寄せあってたのしそうなの。しかも、デパ地下が大盛況。あ、もしかして! ってちょっと期待。けれど、ぜーんぜんそんなことなかった。きみってばスタスタ。
もう、何なのさ。
ちょっと期待しちゃってばかみたい!
エスカレーターで、一階二階三階……そんなに昇るならエレヴェーターでよくない? そしたら、乗るべき人が乗れるように。
そういうところ、律儀で気持ちいい。
連れて来られたブース。
え、これ結構なブランドのお店じゃないの? きみってば、ちょっと倹約思考。あんまりイメージないのに。
並べられている防寒具。
……値札をね、ぺらり。もう、もう、卒倒!
なのにきみったら、
「どれがいいでしょうか。……あなたなら、どれを選びます?」
「!、!、!? ぼ、ぼくに選ばせる気!?」
「参考にします」
「ゔぁあ!」
ひどいこと言うんだから!
選べ選べって。ぼ、ぼく、モールの安売りとかファッションセンターとか百均くらいでしか買わないよ。審美眼とか慧眼とか持ってないんだから。
とにかくきみに似合いそうなものを、機能性とかあったかさとか、必死で見繕う。店員さんに話しかけられないかビクビクしながら、冬なのに嫌な汗いっぱいかいた。
ふい、と見ればきみ、店員さんと普通に話しちゃって!
ぼくがばかみたい!
選んだものをきみに見せて。
もう、値札なんか気にしてやらないんだから。
ぼくが選んだものと、きみが選んだものを見比べたり、着けてみたり。うんうん、って。
…………きみがたのしいなら、いいや。
「ちょっとこれ、着けてみてください」
「ぼくが?」
「客観的に見たいんです」
「ふぅん」
ぴったりな二対。
親指から小指まで寸分違わず。
「うん、良さそうですね」
「でもこれ、きみの趣味じゃないよね?」
「ええ。あなたのですから」
「は」
流れるようにぼくから手ぶくろを取って、店員さんに渡そうとするんだから!
そういうの、そういうところ……!!
確かにぼくの好きなデザインだけれども!!
「ねーえーっ! お財布寂しくなっちゃう!」
「パンパンですから、減らすのがいいですね」
「きみの買うって言ってた!」
「言ってません」
くそうっ!
ピッてお会計されたそれは、目を塞ぎたくなるほどの表示が出てて。しかも、別途できれいなラッピング。ほんと、ほんとさぁッ!
「……ありがと。うれしいけど、なんで急に」
「あなた、自転車に乗るでしょう?」
「うん」
「コートにマフラーはするのに、手ぶくろをしていなかったから」
「……うん。片方失くしたの」
「ふふ、いい機会でした」
「……ありがと」
「えぇ。どういたしまして」
めっちゃうれしい。
絶対今度着ける! 失くさない! って思ってたんだけど――――家から出て、おっきな坂道下ったところで気づいたの。
「あ゛ッ! 手ぶくろ忘れた!! ゔぁああッ」
グリップを握る手が真っ赤っ赤。
……すっごく、すっごく、さむい。悴んでるし、ジンジン。せっかくきみが、あったかいように、って買ってくれたのにぃ!
ぼくのばかぁあ!!
#寒さが身に染みて
あなたが、ふと空を見上げたのは薄暮時だった。そろそろ茜色が闇に溶けて、夕日のほとぼりがすーっと濃い青色になじんでゆく。
いわゆるブルーアワー。
その独特な雰囲気の中をあなたと並んで歩く。
たまには道をそれてみよう、と入った路地裏で首尾よくにおいに惹かれたパン屋。おしゃれな紙袋に小麦のフレーバーを溜め込んで。
「あ、二日目」
「え?」
見上げているあなたの視線を辿れば、西の低い空に浮かぶ瘦せた月。
「あのね、昔のカレンダーでね、太ってく月はね三日の月」
「え、今あなた、二日って」
「月始めはね、ゼロ、イチ、ニって始まるんだよ。だから三日月は二日目。一日目の二日の月って、見えないの」
「へ、へぇ……」
そこから始まるあなたの三日月ウンチク。
「べつの宗教ではね、三日月からひと月が始まるんだよ。そういうお国はね、国旗に三日月があるの」
「三日月はね、クレセットって言うの。あのね、音楽のクレシェンドの語源」
「アルテミスがね、三日月で方角を教えてくれるの。弓の形なの。そうしたらね、迷わない」
後ろ手に組んで、たのしそうにそう話すあなた。ぶっちゃけ内容はぜんぜん頭に入らないけれど。いつの間に三日月博士になったのか。
めんどく――――、奇特な人。
面倒くさいだなんて言ってません。
言ってませんったら。
チラ、とわたくしが持っている紙袋に一瞥。
「ねえ、きみがさっき買ったパン、なあに?」
「パンですか? クロワッサンですけれど」
「んふ、それも三日月が語源」
「そうなんですね! 知りませんでした」
「あのね、国旗に三日月のあるお国と戦って勝ったの。その戦勝記念。国旗とおなじ形をたべて、食ってやったぞ! って」
「考えるものですね」
「きみのクロワッサンはねマーガリン。まっすぐなのはね、バター」
「区別のための形だったんですか、これ」
何となく、まじまじと紙袋の中身を見た。
見ただけでマーガリンは分からないのに。どうしてか、気になってしまう。
くすくす、と笑うあなたが見れたので。
まあ、良しとして。
「月始め二日の三日月。ひと月にね、一回しか見れないの。空の上に昇るとね、月の角度が変わるからね真っ暗。お月様見えないんだよ」
「エッ、そうなんですか?」
「だから見れたらラッキー。幸運。みんな使う。ゲン担ぎ。ねえ、願いごと、どうぞ」
「エッ、え、いきなりですね?」
いきなり言われると普段願っていることも、分からなくなる。そして、思い出せない。
あなたを見ればさっさと願ってしまっていて。
おいてゆかれないように何とか、何とか、絞り出す。――――明日のお掃除ですべてのほこりを一掃できますように。
……本当に、これでいいのか、わたくし。
また、くすくす。
「言えた?」
「い、言えました……」
にやぁ、と意地悪な笑顔。
これは碌な願いごとが言えていないのを見透かされている。
「あっ、あなたはどうなんです?」
「んふ、願いごとって言ったら叶わないんだよ。だからひみつ」
いつの間にか、街路灯や建物の向こうのネオンがその光彩を強くしていて。三日月だって見えやしない。
道路照明のちょうど真下のあなたは、生き生きとしている。それはもう、至極に。
わたくし、もてあそばれましたね……?
#三日月
#色とりどり
お湯って透明。
透明ってことは色が何も残らなかったってこと。ぜんぶ透き通って向こう側を光らせる。
お風呂もおなじ。ぼくの肌が透けてぷかぷか、ゆうらゆら。だから同じようにぼくの思考も浮かばせるの。
頭の先まで浸かって。……足は出ちゃうけれどね。
――――ちゃぽん。
真下にはきれいな浅紅色。
渦巻きみたいに花びらがぼくを囲んで、流れがかわった透明色が肌を撫でてゆく。
まばたきをするたびに、シャッタースピードを落としたみたいに目の前を通り過ぎて。ぶわ、ぶわ、こぼれるぼくの息と一緒に上へ上へ。
そのままぼくは下に落としてゆくの。ちゃぽ、ぼこぼこ、ゴォォオ……、音が響いて。
こしょこしょ、って肌をくすぶる感覚。
目を開けたら強い色をまとった魚がふよふよ、ぼくにあいさつ。青、黄色、オレンジ。射し込む光の筋と照らされて遊色を放つ銀の皮膚。
足許にもそういう模様の絨毯みたいに、たくさんの群れが。
ピンク色のサンゴ礁と緑のうみ草。
……ぼく、海藻サラダはきらいだけれど、海で見るのは結構好き。
水槽の中みたいにぽこぽこ、泡が昇ってゆく。ぼくもそれを追いかけたくなるけれど、う~ん……まだいいかな。
なんて思ってたら、ボコボコボコッて口から泡が吹き出すの。だってびっくり。上を向いたらおっきな鯨がいるんだもの。
王冠をかぶった、さくら色の鯨。
背中にはぼくの理想がたくさん載っていて、ぼくもあそこにゆけたらいいなぁ、って思う。
鯨のまわりにはいろんな種類の花びらが、飛沫みたいについてくの。いつもぼくは白い花びら――ユリに惹かれる。
いいなぁ、いいなぁ、たくさんの白いユリに埋もれて眠りたいなって、そのときに浮かぶの。
でもうっとりしてるとね、きみがぼくのこと、呼ぶの。いつもみたいにやさしくじゃなくて、もう、すっごく大声で。
だからね、仕方ないなぁって。
だんだん水色に浮かぶ鮮やかが色を失って、失って、どんどん、どんどん。
――――それで肌色。ゆうらゆら。
ざぷん。
湯船から顔を出す。ちょっと苦しくて、ゼコゼコって息を吸い込んで。
……ンッ、お湯のんじゃったかも。
これはちょっと勘弁。おいしくないんだもの。
きみがこだわる柔軟剤のにおいと、手触り。お気に入りの寝間着も。
湿った髪のままで、においに誘われて。
「あ、ちょうどよかった。お夕飯できましたよ」
「…………んふ、おいしそう」
きみの周りは色がたくさん。きらきらしてて、あったかくて、ちょっと眩しい。きれい、きれい。ぼく、とっても好き。
今日は海老のビスク。
ホタテとか白身とか……海藻とか、具沢山。
なるべく海藻は避けてスプーンを差し込む。
「おいし」
「よかった! あなたの口に合って」
ふわ、って笑うきみ。
いろんな色を持つきみの笑顔は、一色じゃない。ぼくがその色の一部って思うと、すっごく気分がいい。
もっとたくさんの感情とまざりたいね。
お夕飯のお片付けはぼくの仕事。
今度はきみの番。パタパタ……ガチャ、……って音。思わず耳を澄ませちゃうよね。
そしたら、
「わッ、鯨ッ⁉」
やば、ぼくの色、置いてきちゃった……。