[ルール]
この刀を使う時に声を出してはいけない。
僕が祖父から受け継いだ時、これだけは絶対守れと言われたルール。
どうせ刀を使う機会なんてないし、と軽い気持ちで頷いた。
そして、1ヶ月くらい経った頃。僕の周りで異変が起きはじめた。
異臭がする。
物音がする。
視界の隅で何かが動く。
電柱の影に人影がある。
ベッドの周りを何かが取り囲む。
夢の中で何かが追いかけてくる。
薄暗い夢の中で逃げ回る僕は、何故かその刀を抱いている。
息を詰めて。声を殺して。見つからないよう、追い付かれないよう。必死に走って。
回り込まれて。道いっぱいの大きな目が僕を見下ろして。
もうだめだ。と思った瞬間、刀が小さくかたりと音を立てた。
ダメ元で鞘から抜く。薄暗い闇の中にすらりとした静かな光が伸びる。
瞳孔がぱかと開く。中にギザギザの歯が見える。
あ、これは食べられる。立ち向かってみたけど僕には無理だ。
「……たす、けて」
声が出た。
瞬間。
頬を切るような冷たい風が吹いて。
「ふ。ふふ……。よくやった少年!」
寒桜のような少女が、僕の刀を手にして立っていた。
シャンと伸びた背筋。自信に満ちた笑顔。
背後の目は真っ二つになって崩れ落ちていた。
「……え……」
彼女はなんなのか。あのルールはなんだったのか。
僕はこれから、それを身をもって知ることになるとは思ってもいなかった。
[今日の心模様]
目が覚めて。寝ぼけた頭でスマートウォッチを手首に巻くと。
立体ディスプレイが飛び出して視界の左端に整列した。
今日の睡眠スコアや予定、天気予報など、確認すべきことに一通り目を通して、隅にあるアイコンをつついた。
小さなウインドウがパッと現れる。表示されているのはピンクと水色のストライプ。かわいいけどなんか彩度が低い。うーん。ちょっと曇模様だろうか。
これは、バイタル値や天候などの統計情報から算出された模様が表示されるアプリ。その名を「今日の心模様」という。
5センチ四方のウインドウに、カラフルな模様が出るだけのアプリ。別にこれが何かを示す訳ではない。星占いとかと似たようなもので、日々これを見て今日の気分をなんとなく測るのだ。
曇模様の今日は、ちょっと楽しい予定を立てたりしようかな、なんて考えてると、ストライプの右下がわずかに欠けていることに気付いた。
なんだろう、と顔を近付ける。
「……ハート?」
それは小さなハートマークだった。角張っているけどそこだけ彩度も高い。
これはなんなのだろう。
見たことないし、何もわからないけど。
なんかかわいくて、ちょっといいことありそうな気がした。
[たとえ間違いだったとしても]
私はこれが正しかったと、胸を張って言いたい。
「間違ってるよ。利用されてるだけだ」
彼はそう言って悲しそうな目を向けるけど、私はそんなことないと否定する。
「でもさ」
彼の指が私を差して小さく揺らすと、頬にあった小さな雫が散る。
「そんなに泣いてさ。僕を殺すの、嫌なんでしょ」
「嫌だけど。君が、そうなら……私が、って」
「そうだね。君ならそうすると思ったよ」
めんどくさそうな溜息。
「僕は魔王の依代になって、君は勇者の依代に志願した」
「……」
「あの街で平和に過ごしてれば良かったのに。なんでそんなことしたのかな」
私の選択は間違ってると、彼は言う。
そんなことない。と、首を振る。
「なんで」
「だって、私以外の誰かに。君が……殺されるなんて。嫌、だ」
「はあ。そう言うと思った」
それじゃあ。と、彼は玉座から立ち上がった。
よく知る彼の。知らない色の瞳が私を冷たく射抜いた。
「殺し合わなきゃね」
[雫]
雫が落ちてきた。
それが誰かの頭に当たって「空が落ちてきた!」と大騒ぎになる話をぼんやり思い出していた。
雫が落ちてきた。
空も落ちてきた。
まさか、雫型の石が空を引き破って落ちてくるなんて。
その空も、布のように垂れ落ちてくるなんて。
逃げ惑う人々の中。
僕はそんなことを思い出しながら、落ちてくる空の穴を見ていた。
空の向こう側がどうなってるかは分からないけど。
覗き込んでる大きな目は、綺麗な緑をしていた。
その目が抱く感情も。そこから零れ落ちた雫の意味も。
僕には何も分からなかったけど。
この世界が壊れるのを、悲しんでくれているならいいなと。
最後に見たのがあの目で良かったなと。
視界を覆う空の下で、なんとなく思った。
[何もいらない]
何もいらない、と彼女は言った。
そっか、と僕は剣を向けた。
「だからって世界を巻き込んでもらうのやめてもらっていいですかね」
「ふふ、正義感に溢れた言葉ね」
断るわ、と彼女は僕に向けた杖は一振りの大きな鎌へと変化する。
「別にそんなんじゃないんですけどね。……じゃあ、力ずくで止めさせてもらいます」
「できるものならどうぞ?」
答えの代わりに、床を蹴る。
数歩で詰め寄り、勢いを乗せて振りかぶった僕の剣は、鎌の柄であっさりと止められた。
「ところで、貴方はどうして私を止めようとするの?」
「欲しいものがあるんで」
へえ。と光のない彼女の目が細められた。
「貴方は何が欲しいの?」
「貴女の笑顔が」
「……えっ」
「はい、隙あり」
力の緩んだ鎌を蹴り飛ばし、一緒に剣も投げ捨てて、彼女の手首を掴む。腕を引き、腰を抱き寄せ、覗き込む。
「……なんですかその予想外って顔は」
「え。いや。予想外よ!? 貴方その無表情で分かるわけないじゃない!!」
「わあ心外。僕としては日々表情豊かに生きてるんですよ。これでも。で、世界巻き込んで消える気は無くなりました?」
その答えはすごい勢いで飛んできたビンタだった。