──泣かないでというのなら。
自分の嗚咽が酷く不快だった。どれだけ呑み込もうとしても噛み殺そうとしても口の端からこぼれてやまなかった。ぼやけた視界では愛しい橙色も柔らかな焦茶色も見えなくて、それがさらに喉の奥から悲しみをあふれさせていた。
「もう泣くなって。なあ、……」
まともな返事もできやしない。肩や頬や背中に触れたあたたかさに安堵するとまた嗚咽が大きくなって、止めようとして不格好に肩が跳ねる。
「お前の眼は綺麗な水色なんだから、そのうち涙に混じって溶けちまいそうだ」
そんなわけがあるか。バカを言うなと叩こうとして、寸前で相手がひどい怪我をしていることを思い出す。
加筆します
──冬のようなひと。
隣を歩く同居人の吐く息が白い。優しく息を吐き出して見ると、同じように白くなった。
どうやら、いつの間にか冬がやってきたらしい。
この馴染みの散歩道が雪景色に変わる日も近そうだ。石畳に雪が積もると、翌日凍って滑りやすくなるから、散歩には困るけど。
ああでも、同居人には雪がよく似合う。隣をちらりと見て、灰色のマフラーに口もとをうずめている姿が雪の舞う中を歩く姿を想像する。……やっぱり寒がりだから出歩かないかもな。
「すっかり冬だなあ」
並木も早々に葉を落として次の春へと力を蓄えている。時折落ちている枯れ葉が、踏むたびに乾いた音を立てた。
「……少し前まで夏のような気温だったというのに」
「ははっ、寒かったり暑かったり忙しないもんな」
「体調を崩しやすくなるから嫌なものだ」
朝夕の気温差が十五度を超える日も多い。季節の変わり目に風邪をひきやすい人からすれば、恨めしい季節に違いない。
「……冬は嫌いではないが」
「ん?」
「氷魔法は有利になる」
なるはど、魔法の話か。確かに冬に氷魔法使いと戦うのはごめんだ。
「俺も冬は好きだな」
「寒がりではなかったか」
「ん、なんかお前っぽい」
「季節と人間を並べるのはどうなんだ」
「えー、灰色とか水色だし、似てねえ? あと、冷たいけど綺麗で優しいとこかな」
「……そうか」
小さな声だった。
冬の曇天の色をしたマフラーに隠れた頬が色づいていることを、たぶん俺だけが知っている。
(冬のはじまり)
──さいごにみるのは。
この関係を終わらせるのは、向こうではなく自分であればいいと思う。終わりを切り出すのは痛みを伴うから、傷つくのは自分だけでいい。優しいあいつが傷を負う必要はない。
終わらせたくないのなら始めなければよかったのかもしれない。それでも一度あの薄水色に心を奪われてしまえば、心を預けてしまえば始めずにいることなんてできなくて。結局、互いの右の薬指を銀の輪っかで予約するところまで来てしまった。もう引き返せない。引き返したくない。
遠くない日、この銀の輪っかは左の薬指に位置を変えるだろう。この関係にも法的な拘束力ができて、公に示せるようになる。
永遠は望まない。飽きて飽きられる時が来たときは、離れた方がいいのかもしれない。
ただ、それでも、死ぬ時はお前が隣にいて欲しい。
最後に見るのは美しい薄水色がいい。それだけだ。
(終わらせないで)
──いただきます、が言いたかった。
鋭い橙色がこちらを見下ろしていた。それが怒りと、何よりも心配を孕んでいることは明白で、そんな表情をさせてしまったと申し訳なくなる。
「俺、言ったよな?」
「……ああ」
「しばらく忙しいから帰って来られないけど、ちゃんと飯食えって言ったよな?」
「……食べている」
直視できなくてダイニングテーブルに視線を落とせば、呆れたような声が返って来る。
「あのなぁ、カロリーバーはあくまでも栄養を補助するものであって、主食にするもんじゃないんだよ。ずっと続けてれば限界が来るだろ。……最後にあったかい飯食ったのいつだ?」
「……みっかまえ」
「俺が帰ってこられ無くなった初日からかよぉ」
静かに顔を上げると、呆れを通り越して橙の瞳が冷たかった。……冷たい太陽もあるのか。セーターの裾を手で強く握りしめる。
「何食いたい?」
「……?」
「好きなもん作るから」
作って、くれるのか。約束を破ってしまったのに。
冷えていた指先が、じわりと熱を持った。
(愛情)
加筆します
──これが平熱になるまで。
初めて手を繋いだとき、向こうは大層驚いていた。ずいぶんあたたかい、熱でもあるんじゃ無いか、と薄水色に心配を滲ませながら。
幼い頃から医者に平熱が高いと言われていた。何か体調に問題があるわけでは無いものの、熱を測ると他人の平熱よりは高く出る。普段体温が低いと言われている相手にとっては、俺の平熱が微熱とほとんど変わらないようだった。驚いて当然だ。
(微熱)
後日加筆します