枝先に
今にも離れていきそうな枯葉が踊っている
ビュッと風が吹いた拍子に
はらり はらはらと
宙を舞う
ひらりと地面に着地した枯葉は
風雨と微生物の力を借りて
時間をかけて次なる植物の栄養となる
世代を越えた循環を織り成す
そんな腐葉土で思い出した話がある。
大学生の頃、砂防学の講義で聞いた話だ。
よく土砂崩れが起きた時に
「80年住んでて山が崩れたのは初めてだ」
「何十年もずっと崩れていなかったのに」
とインタビューで答えるのを聞くと思う。
山というものにおいて
80年崩れていなかったのは
安全を示す指標にならない
むしろ、危険であると思ってもいい
たしかこんな話だったように思う。
日本において、山には傾斜があり、崩れて平坦になろうとしている途中にある。
平坦になった状態が安定なのであり、傾斜があるうちは崩れるのが『当たり前』なのである。
(厳密には安定勾配で安定するのだが、割愛する)
木の葉が落ち、腐葉土となり、年々、崩れる素材である土壌が堆積していく。
崩れなかった年月が長ければ長いほど、より多くの土壌が堆積しているわけだから、「急な傾斜があるのに、長年崩壊していないところ」ほど、危険なのである。
専門家ではないため、齟齬があるかもしれない。
けれど、長年崩れていないところほど、崩れる危険があると知った時、私の中の安全神話は大きく崩れたことを覚えている。
海を歩いてる人がいる
いったい何をしているのだろう?
最初見た時は意味が分からずぎょっとしたが
どうやら潮が引いてるらしい
真上を空港から出たばかりの飛行機が
何機も通過していく
横須賀、横浜、東京、千葉
きらびやかな光が海の向こうで輝いてる
真上の空は心なしか
いつもより星が沢山見えているようだ
そんなこの場所は富津岬
なにも考えず車を走らせて
気がついたらここにいた
今日はここから
さよならするかな
お気に入りという感覚。
子供の頃はすごく強くあった。
あの独特の感覚。
いったい何なのだろう。
うっすいパンダの顔型まくら。
肌身離さず持ち歩いていた。
でろでろになってもいつまでも持ち歩いてるから、「今日は持っていけないの」と取り上げられた時、心をガッポリ持っていかれたような心地がして、ひどく悲しくわんわん泣いたことを覚えている。
あれほどの感覚、
今はまったく抱くことがない。
ほんと、何なのだろうか。
家に帰るとお母さんから手紙を渡された。
「あんたに手紙が届いとるで。
ただ、切手代が普通より高いけどなぁ?
返信するなら、間違えてますよってそれとなく伝えてみんさい。」
『手紙?
手紙くれるようなまめな友達、おらんはずだけど…。
あ~…、先生とかかな。
ありがと。』
宛名はたしかに自分宛で、大人の綺麗な字で書いてある。やっぱ先生か。誰だろ?
差出人を確認したくて、本文よりもまず差出人の名前を探した。
…?自分…??
自分の字にしては…、整いすぎてる。
普段の荒れ狂った字を真似されても困るけど、イタズラするなら多少真似ればいいのに。
《急にこんな手紙ごめん。
あと、挨拶書こうにも過去の自分に宛てた手紙で、なんて挨拶すればいいのか分からなかったからやめといた。
私は10年後の君です。嘘っぱちに聞こえるかもしれないけどほんとなんだ。
君は今、大学受験真っ只中の18歳だね。
とても今、苦しかろう?
動物感覚って本、分かるだろ?
急にいくら読んでも先に進まなくなったろ?
何度も借り直して、読み終わろうとしたよな。
けど、読み終わらなかった。
そして誰にも言ってなかった秘密。
文字、読めなくなったろ。
文字が大小に重なって、なんて書いてあるか読めなくなったよな。
受験生なのに問題文が読めなくて、学年順位が下から数番目になったはず。
辛かったろ。
只でさえ自分は死刑囚で死ぬべき人間だって思ってるのに、文字さえも読めなくなった…って、思ってただろ?
ぜ~んぶ、知ってんだぞ?
10年前、全く同じことを経験したんだから》
驚いた。
ついこの前までの地獄の一端がそこに記されていたからだ。
誰にも言ってない、隠して何とか対処してた地獄の一端が。そこにあった。
《よく頑張ったよ。
冷静に分析して考えて、自分の感情は差し置いて皆と同じ地面を歩かせるために、地道に、けどめちゃくちゃ頑張ったんだよな。
ほんと、よく頑張ったよ。
そこでの努力は、10年後の自分にもちゃんと還ってきてる。大丈夫。
大学進学後も考えて、努力していくと思うけど、そこの努力もめちゃくちゃ自分に還ってくる。
しといた方がいいんじゃないかと思う努力は、時間かかってもいいからするといい。
ちゃんと、還ってくるから。
ほら、字、綺麗になってるだろ?
荒れ狂った字、治せないと思ってたもんな?笑
あの崖を登ってこれたのなら、もう大丈夫。
この先10年、いろいろあるけど、君が頑張ってくれたおかげで難なく進めるから。
自分にたてた誓い、覚えてるよな。
死なないこと。
まずは死なないことだ。
死にさえしなければ、大丈夫だから。
10年後から先のことは自分にも言えないけど、そこを乗り越えてる君なら大丈夫。
無理をせず、ぼちぼち進め。》
先のことは正直どうでもよかった。
あの壮絶な日々を認めて貰えただけで、知ってくれてる誰かがいてくれただけで、救われた気がした。
『ぼちぼち何て言われたけど、またしっかり頑張るかな!』
(いや、頑張りすぎるな、ぼちぼち行け!)
外出嫌い
対人への恐怖心
外の世界に恐怖を抱いていた頃、
私は進学先を考えなければならない時期でもあった。
自分の気持ちだけ考えると
このままこの場所で
実家を中心とした世界で過ごしていきたい。
外の世界で一人で生きていくには
精神的負担があまりに大きかった。
だが、真面目に自分の人生を考えたとき
ふと気づいた。
このままここにいたら
親が死んでしまった時
私は自分でなにも出来ず
この場所でさえ生きていけないぞ…と。
両親は実家から通える大学を願った。
金銭的な面、田畑の手伝い等もあってのことだろう。
私は簡単には実家に帰れない場所を選定した。
実家から離れたからといって、簡単に帰れるところを選んでは、すぐ帰ってきてしまうかも知れないからだ。
可愛い子には旅をさせよとはいうが、
私はこの機会に、自分自身にしっかり旅させることを選択した。
大学ごときで何が旅だ!と思うかもしれない
でも、外の世界が恐怖の塊である内はしっかり旅なんだ。
人それぞれ立ち向かう恐怖や不安は異なる。
人がどう思おうと、自分が抱える恐怖や不安に立ち向かおうと行動に移すことは、その人にとっての旅なのだと思う。
自分の将来という、更なる恐怖を克服すべく
強い意思・覚悟をもって
目の前の恐怖と対峙した当時の私を
今現在の私は強く讃え、誇りに思う。
ありがとう。
よくやったぞ!