整然と商品が並ぶ陳列棚を前に
ある男が商品を見渡していた。
少し離れた横には車イスの貴人。
その男はふと話しかけた。
「もし何かあれば取りますよ」
高段の商品を確認したかった貴人は
感謝の中に少しだけ申し訳なさを含みつつ
その男にお礼を言った。
すると男は言った。
「私はあなたが使うために存在すると思ってください。そもそも私はここの商品を探してません。なのに何故か無意識に探す動作をしていた。たぶん私の人生の流れではなく、あなたの人生の流れに影響されて動いていたのでしょう。そうであるならば私はあなたに使われるためにここにいて、あなたに使われることが今の私の喜びと言えるでしょう。」
貴人はどう反応すればいいかわからず
複雑な顔をしていた。
感謝していいのか罪悪感を感じればよいのか。
即座に怪しい男は続けた。
「おっと、申し訳なく思わないでください。私なんて周りの人の人生を狂わせていると言っていいくらい大きく私の人生の流れに他人を引き込んでいるようですが、巻き込まれてしまうのは仕方のないことなので、私からはとにかく感謝しかありません。」
貴人はさらに申し訳なさそうな顔をして
「ありがとうございます」と
その狂わす男に返した。
ちっさい頃、大きなあめ玉は
特別な感じがして好きだった。
けれどいざ舐めると違う…。
あめ玉に舌が押さえつけられて
あめ玉を気軽に転がすことができない。
舌を抜き出そうと力一杯引っ張れば
そのままあめ玉が喉に落ちてきそうで
いつも怖かった。
だから慎重に舐めていた。
喉に落ちないように下向きながらとか。
創意工夫が大切だ。
ちなみに、噛もうにも
奥歯で挟めないから噛めない。
近所の駄菓子屋にガチャガチャがあり
手伝いで貯めたお駄賃は
全てそこに投じていた。
貰える景品なんて大したもんではなく
台も2種類しかない。
ただ何が出てくるか楽しみでやっていただけ。
倫理もへったくれもない悪ガキだったから
いらないものが出てきたら
ガチャガチャの後ろの
家とブロック塀の隙間に入れていた。
そのガチャガチャで出した
正方形のケースに入った円形の消しゴム。
オレンジ色をしていてすごく綺麗だった。
当時はまだ字が書けない。
それが消しゴムとは知らなかった。
宝物のまま時が経ち
ひらがなが読めるようになった。
「※たべられません」と書いてある。
わざわざ書くってことは
本当は食べられるのか?
食べられそうには見えないが
恐る恐る前歯で噛んでみる。
あきらかに食べ物じゃない…。
なんだ、本当に食べられないのか…。
歯形がついた消しゴムは
呆気なくゴミ箱に捨てられた。
時間を感じてみたいと思った。
炎のゆらぎ。
時間を感じる。
秒針が動く時計。
時間を感じる。
貰い物のちんちくりんな毛をした
クマのぬいぐるみ。
この毛もいつかへたれていくだろう。
ということで、時間を感じる。
ハンガーにかかった服。
このまま数百年と時が経てば
ぼろぼろに劣化しているだろう。
時間を感じる。
好きな作品のワンシーンを切り取ったグッズ。
あのまま置いておけば色褪せ劣化するだろう。
時間を感じる。
その切り取られたワンシーンの中の世界。
時間を感じない…。
写真付きカレンダー。
時間を感じる。
写真付きカレンダーの写真の中の世界。
時間を感じない…。
気づくか気づかないかの世界でも
“もの”が動いていれば
時間という概念が存在できるらしい。
つまり変化のない世界に時間はないんだろう。
ちなみに、テレビに映した
パソコンのデスクトップ画像の中の世界。
なぜか時間を感じる。笑
たぶんテレビがその画像を表示させるために
高速点滅して常に変化しているからだと思う。
もう少し時間というものを
掘り下げていこうと思う。
(題目しらず)
大学の研究室。
先生に説明していた時、私は言った。
「すみません、伝わらなかったですよね。
自分、説明力なくて…。」
その時先生に返された言葉を
私はずっと覚え、胸に刻んでいる。
「大丈夫。相手に伝わるかどうかは
説明力と理解力の組み合わせだから。」
つまり、伝わらなかったとしたら
俺の理解力もなかったということだから
お互い様だ、と先生はおっしゃった。
私だけかな?
この因数分解は大学生の私にとって
なかなかの衝撃だった。
説明力のある/ない
理解力のある/ない
説明力ある×理解力ある → 伝わる
説明力ない×理解力ある → 伝わる
説明力ある×理解力ない → 伝わる
説明力ない×理解力ない → 伝わらない
つまり、双方が「ない」時だけ「伝わらない」
おかしくない?って思う人がいるかもしれない。
たぶん、「ある」の認識が異なっていると思う。
説明力があるとは、
“相手を理解させるだけの”説明力がある
ということ。
理解力があるとは、
“相手の話を理解するだけの”理解力がある
ということ。
だから、どちらか一方があれば
話は伝わるということになる。
小さな子供が一生懸命説明した時
理解できる人とできない人に分かれる。
なんなら、説明さえせずとも
理解してしまう人はいるだろう。笑
説明力は、知識がまったくない人に
物事を教える時に言えるかもしれない。
とにかく、この話を聞いてから
私は意識するようになった。
理解力をだ。
相手の本意や真意を意識して
話を聞くようになった。
小さな事だがもう何年も続けている。
「もう仏様だもんね」と先日言われたから
それなりに身についているのかもしれない。
けれど、確実にまだ足りないから
本当に仏様になるまで続けようと思う。
つまり永遠だ 笑
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ちなみにこの先生、
なぜ私が恩師と呼んでいないか。
パワハラで有名な先生だったからだ。笑
でも、苦労して生きてきた先生で
けっこう良い言葉をたくさん下さった。
彼がしているパワハラより
何倍も過酷な環境を生きてきている。
彼はなかなか口下手で
学生に話しかけないといけないから
咄嗟にブラックジョークを言ったら
それを真に受けた学生が尻込みしていく構図だ。
でも擁護はできない。
冗談でなく本気で思ってることを
冗談風に言っているだけだからだ。
深夜0時に研究室から帰ろうとすると
「あれ?もう帰るんだぁ?!」と言われる。
他の学生は気にしていたが私は気にしない。笑
「ええ、0時以降に寝る人は脳に悪影響が出るってこの前研究成果が発表されてたんで 笑」
と言って帰る。
(彼がそんな時間までいるのも、学生思いの優しい理由があるにはある。だが…笑)
何が言いたいかというと、
良い言葉を言う人は善行しかしないわけじゃない。
どんな人からも聞く耳は持っておいた方がいいのかもしれない。
そういう私もいい人間ではない。
だから、どんな人とも話せるのかもしれない。
体と心はくっついているものと思っていた。
でもどうやら違ったらしい。
過度な疲労で体が倒れ、
後を追うように心が倒れた。
私の経験上、24時間寝つづけていれば治せる。
しかし、この時は回復に5日も要した。
「よっし、動けるようになったぞ!」
スーツに着替え意気揚々と外に出る。
はずだった。
目の前の景色は閉じられたドアのまま。
手を伸ばしてるはずなのに脇が締まってる。
なぜドアが開いてないのか?と思いつつ
目線を下に向けるとドアノブに手がない。
空中で手が止まっていた。
1度手を収め、
もう一度ドアノブに手を掛けようとする。
手だけがピタッと止まる。
体は前に進むのに手だけが止まるものだから
まるでパントマイムをしているようでおもしろかった。
何度繰り返してもドアノブ20,30cmの距離で止まる。
「おいおい、仕事行けれんぞ…」
もしや?仕事に行くのがダメってことか?
試しにドアチェーン掛けてドアを開けてみる。
青空が見えた。
「今日は空が綺麗だなぁ~」
何度か試して
体にドアを開ける感覚を覚え込ませる。
「よし!」
と思ってドアチェーン外してドアを開ける。
手が止まっていた…。
終いには遅刻する時間になってしまったため
職場に連絡して病院に行ってから出勤すると伝えた。
病院には行けれた。
病院の受付で「病院には来れるんですけどねぇ…?なんで仕事に行こうとすると体が止めるんでしょ…?」と思わず言ってしまう。
結局この時、自宅療養を言い渡され
仕事には行くことができなかった。
心と体はくっついているものと思っていたが
どうやら連携しているだけで
くっついているわけではないらしい。
はなればなれには決してならないと信じたいが
心が元気で命令しても
言うことを聞かないくらいだから
はなればなれになるなんてことも
あり得るんだろう。
そして、体を動かしているのは
いったい誰なんだろうか。