ささほ(小説の冒頭しか書けない病

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10/16/2024, 11:00:50 AM

やわらかな光

光に硬いも柔らかいもない。光は単純に光であって、通り過ぎるときも、照らすときも、ただ光るだけだ。

そう思っていたので、この現象には絶句するしかなかった。光であるからにはなによりも最速で、まっすぐに進む。でも時折曲がる。光を曲げることができる物質の前では光も曲がる。

この茶色い塊はかつて聖女と呼ばれた女性の遺骸である。この物体を通すと、単なる蝋燭の光も聖なる光となり人を癒す。生前の聖女はこの光を使いこなしこの光を「やわらかな光」と呼んだ。

そこまではいい。問題はこのやわらかな光が人を物理的な意味でグズグズに溶かす…より詳しく言えば細胞膜を溶かし細胞を融合する。そして癒やされた生物は細胞を融合した結果もれなく健康的なスライムと化す。

たとえば肘から先を失った人物の肘にこの光を当てると肘から先が再生される。しかしその肘から先はスライムからなり、細胞核を一つしか持たない。人の細胞を再生したわけではないのだ。それでもそのスライム化した腕は腕を失った人にとって有用なのはまちがいない。

魔術省の測定機もこの光にあてられると柔らかいわけのわからないスライムに変じる。世界時計の標準である水晶さえもこの光のもとには変質する。私はこの研究結果を公表する勇気を持たない。人類にとって有用なのはまちがいないのだが。

10/15/2024, 10:25:06 AM

鋭い眼差し

ワイシャツのボタンを上三個外してだらけた姿勢で、探偵は弛緩した目つきでこちらを見た。こいつ一応は有能な探偵で「Trouble is my Business」を標榜してるはずで、さらにはこの世の外までも仕事場にしてる心霊探偵だと聞いた。本当だろうか。私のこの問題を解決してくれるならいくら怠惰に見えても構わない。

「探偵さん? とりあえず私のまわりにある窓をのぞいて? それで問題があるとわからないなら契約はしないわ」

探偵は眉をひそめてあたりを見渡した。

「ひでえな。誰からの呪いか見当はつくのか?」

「つかないからあなたに相談してるのよ」

探偵はふっと笑って私を見つめた。私の魂胆を見透かすような。私も笑い返した。私は現時点では被害者なのだもの。私は今のところ何もしていない。ただ鷲司家の下女をひとり解雇しただけよ。あの下女は黒い鰓とつながっていたからうちに置いておくわけにはいかなかった。

この自称心霊探偵はどこまで知っているのかわからないけど私の盾にはなれるのかしら。それともそういうのは他に依頼すべきかしら。私もよくわからない。

「黒い鰓って聞いたことがある?」

微笑みを崩さぬ努力を続けたまま尋ねると、探偵は一瞬ぴくりとしたが、何食わぬ顔で、

「黒い鰓。それは厄介な案件だなあ。高くつくぜ」

と、へらへら笑った。軽すぎて腹が立つような剽軽な顔に、鋭い眼差しがとってつけたように張り付いていた。

10/14/2024, 10:22:37 AM

高く高く

「もっと高く高く、たかーく飛びたいじゃん」というのがあいつの口癖だった。パイロットになるほどの頭はなかったから、あいつが取った資格はパラグライダーで。あいつは自分の力で飛びたがった。気持ちはわかる。

そしてあいつは地に落ちて死んだ。

あたしは人類初の火星移住計画に応募して選ばれた。あいつのいない地球に未練はない。離れてゆく地球を直接見ることはできないが映像は見ることができる。あたしはいま贅沢な映像を楽しむ観客だ。あたし自身の力で飛んでいるわけではない。

「高い」とはなんだろう。大地から離れれば離れるほど「高い」のではないか。あたしはあいつが目指した高みより高く、高く、高く、飛んでゆく。

10/14/2024, 9:11:01 AM

子供のように

さよう、不老と不死は違う概念であるな。では不老と不死の対となる概念はなんであろう。「老いと死」であるとな? そうか、おぬしはそう思うのか。それは「夜」と対になるのは「夜でないもの」というようなものぞ。まあまだおぬしは若いので考えるがよい。

暗くなってきたの。夕餉じゃ。サアキイよ、酒を持ってきなさい。あれ、サアキイはさっと動くよい子だが、何歳だと思うかね? 十歳か十一歳? まあそんなもんよの、子供のように見えるの。あれはな、儂の三倍は生きておる。齢二百を数えるであろ。あれは老いぬ生き物でな、おそらく殺せば死ぬし病めば死ぬやもしれぬが、儂の知る限りあの姿で数十年生きておる。老いの対になる概念はなんであろうな? 

さてそろそろ痺れ薬が効いてきたかの? サアキイや、おまえも夕餉になさい。この男は若いし壮健のようだから、血もうまいであろ。

10/13/2024, 7:05:48 AM

放課後

放課後は暇だ。部活も生徒会も塾もバイトもやってないから。クラスの不良は何が楽しいのかうんこ座りしてモクやアンパンやってるけど、僕はそういうのもやらない。学生運動なんかもちろんやらないノンポリ。だからホントに暇で暇だ暇だと思いながらアーケード街を歩いてたら知らない人に呼び止められた。

「こんなところにいたんですね。街歩きは楽しかったですか? もう帰りましょうね」

柔らかな口調の男性はなんとなく頼れる先生っぽい雰囲気があるけど、高校では見かけたことがない。補導でもないらしい。誰だろう。僕は有無を言わせず車に乗せられ、見覚えのあるようなないような建物に連れて行かれた。「老人ホーム瑞恵園」と看板にある。

あ、と思った。突然頭の中がすっきり晴れやかになる。僕を連れてきてくれたのはいつもの介護士さんだ。名前は思い出せないけど。そして、ここに僕の家がある。学校どころか人生の放課後を迎え、認知症になった僕が暮らしている、僕の終の棲家が。

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