やわらかな光
光に硬いも柔らかいもない。光は単純に光であって、通り過ぎるときも、照らすときも、ただ光るだけだ。
そう思っていたので、この現象には絶句するしかなかった。光であるからにはなによりも最速で、まっすぐに進む。でも時折曲がる。光を曲げることができる物質の前では光も曲がる。
この茶色い塊はかつて聖女と呼ばれた女性の遺骸である。この物体を通すと、単なる蝋燭の光も聖なる光となり人を癒す。生前の聖女はこの光を使いこなしこの光を「やわらかな光」と呼んだ。
そこまではいい。問題はこのやわらかな光が人を物理的な意味でグズグズに溶かす…より詳しく言えば細胞膜を溶かし細胞を融合する。そして癒やされた生物は細胞を融合した結果もれなく健康的なスライムと化す。
たとえば肘から先を失った人物の肘にこの光を当てると肘から先が再生される。しかしその肘から先はスライムからなり、細胞核を一つしか持たない。人の細胞を再生したわけではないのだ。それでもそのスライム化した腕は腕を失った人にとって有用なのはまちがいない。
魔術省の測定機もこの光にあてられると柔らかいわけのわからないスライムに変じる。世界時計の標準である水晶さえもこの光のもとには変質する。私はこの研究結果を公表する勇気を持たない。人類にとって有用なのはまちがいないのだが。
10/16/2024, 11:00:50 AM