子供のように
さよう、不老と不死は違う概念であるな。では不老と不死の対となる概念はなんであろう。「老いと死」であるとな? そうか、おぬしはそう思うのか。それは「夜」と対になるのは「夜でないもの」というようなものぞ。まあまだおぬしは若いので考えるがよい。
暗くなってきたの。夕餉じゃ。サアキイよ、酒を持ってきなさい。あれ、サアキイはさっと動くよい子だが、何歳だと思うかね? 十歳か十一歳? まあそんなもんよの、子供のように見えるの。あれはな、儂の三倍は生きておる。齢二百を数えるであろ。あれは老いぬ生き物でな、おそらく殺せば死ぬし病めば死ぬやもしれぬが、儂の知る限りあの姿で数十年生きておる。老いの対になる概念はなんであろうな?
さてそろそろ痺れ薬が効いてきたかの? サアキイや、おまえも夕餉になさい。この男は若いし壮健のようだから、血もうまいであろ。
放課後
放課後は暇だ。部活も生徒会も塾もバイトもやってないから。クラスの不良は何が楽しいのかうんこ座りしてモクやアンパンやってるけど、僕はそういうのもやらない。学生運動なんかもちろんやらないノンポリ。だからホントに暇で暇だ暇だと思いながらアーケード街を歩いてたら知らない人に呼び止められた。
「こんなところにいたんですね。街歩きは楽しかったですか? もう帰りましょうね」
柔らかな口調の男性はなんとなく頼れる先生っぽい雰囲気があるけど、高校では見かけたことがない。補導でもないらしい。誰だろう。僕は有無を言わせず車に乗せられ、見覚えのあるようなないような建物に連れて行かれた。「老人ホーム瑞恵園」と看板にある。
あ、と思った。突然頭の中がすっきり晴れやかになる。僕を連れてきてくれたのはいつもの介護士さんだ。名前は思い出せないけど。そして、ここに僕の家がある。学校どころか人生の放課後を迎え、認知症になった僕が暮らしている、僕の終の棲家が。
カーテン
カーテンが揺らいだ。窓も扉も開いていない、ちょうどよい天候だからエアコンも扇風機も使っていない彼の部屋。くすんだ灰色のカーテンが、確かに動いたと思った。カーテンと窓のあいだで、猫かなんかがみじろぎしたみたいに。彼は問題集を閉じ、立ち上がってカーテンをめくってみた。もちろんなんにもいなかった。ひとつため息をつき、眠気覚ましにコーヒーを飲もうと部屋を出て、ドアを閉める。誰もいなくなった部屋で、何かが戯れるように、楽しげに、カーテンが揺れる。
涙の理由
つねられたら痛い。痛ければ涙は出るかもしれない。目を開いたまましばらく時間をおけば涙は出る。あるいは硫化アミル。玉ねぎを切れば硫化アミルが涙をもたらす。小さなゴミでも目に入れば涙が出る。
そもそもそれなりの刺激があれば人間は涙を流すのだ。「物理以外の刺激」といったら精神的神経的なものなのだろう。解析は私にはお手上げだ。我らが主は夕方帰ってきてからいま、深夜にいたるまでずっと泣いている。
「レディ、泣きたければ泣いてもいいですが、目が腫れます。あとで冷やしましょう」
先輩アンドロイドが対処している。あのように対処できるようになりたい。涙の理由などとりあえずは問題ではないと学んだつもりだが、どれだけ正しいかはまだ学ばねばならない。と考えていたら先輩アンドロイドが「この場合は涙の理由をまだ聞くべきではない」と連絡してきた。まだまだ本当に学ぶべきことが多い。
ココロオドル
「ココロオドル」と奇妙な四角いガラスのような機械に書いてある。どういう意味だと問うてみたいが誰もいない。そもそも此処は何処なのか。「誰かいますか」と声に出してみた。自分のものとは思われぬ情けない高い声だ。驚くことにいらえがあった。
「はーい、いますよ。わかんないことはおねえさんに聞いてね♡」
「此処は何処だ。私は何故此処にいるのだ」
「はーい、あなたは…そうね、たぶん20世紀前半に生きた日本人の魂でここに呼び出されたのよ! ここはみんなの遊び場よ! ココロオドルとはこの世界で他に呼び出された魂と遊ぶことよ!」
いやそれは全く心躍らない。何をやらされるのだ。わからないが私の自由意志は約束されないと思われた。私はそら恐ろしさに身震いした。私はそのとき事態を全く理解していないにも関わらず不安と恐怖だけは感じていた。
しかし私には想像できなかった。「ココロオドル」と名付けられたこの空間。かつて生きた魂を適当に捉えて、戦わせる空間。それが単に娯楽のために作られたなどという事実を大正に生まれた私が想像できるはずはなかった。