私の日記帳
もうすごく古くなったのは物置に放り込んでたんだけど、いい加減溜まってきたのでそろそろ捨てようと思う。うん、あたしだってここ三十年はデジタル保存してるので、その前のやつね。紙保存はバカにできないからデジタル保存は大雑把にするとして大切なものは紙にも保存しておきたいかな。と思いつつ納戸をバタバタしてたら安政年間の日記が出てきた。さすがにこれは古すぎて忘れたことが多い。とっとくか。あたしヒノモトに昔から住まう死なぬ人。そう今のいいかただとアンデッド? 何かに執着するのが癖で。兜に執着したやつもいたなあ、あれは岡本綺堂がお話にしたので私らの仲間ではすごい問題視されたりしたわ。まあ古い日記は捨てておきましょうね。でもあたしたちの足跡わりと記録されてるのよね。見つけたら消さなきゃ。
岡本綺堂「兜」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/45482_24685.html
海へ
誰がくるか決まったか? そうか一人しか来ないか。まあ来るだけいい。こないだの地引網は正直酷かったもんなあ。朝5時から支度して網置いて子ども会総出で(親がもちろん主に引いて)とれたもんといったらイシモチが十匹とスズキとマダイが一匹ずつだったもんな。子どもたちはクラゲつついて喜んでたが。ともあれあの地引網で一人海に行きたい子がいて親もokなんだな? じゃあ明日から海だ。ここ伊栖摩では昔から海に行きたい子を海にやる。海に行きたい子はだいたい祖先も海にいたのだ。おれはそういう海に行きたい子どもたちを何人も送ってきた。あいつらは「行きたがった」それは確かだ。でもおれはときどき不安になる。海に行きたがる子どもたちの顔。ぎょろりとした大きな離れがちの目が平たい顔にのってる、あの顔立ち。あいつらが海に帰ると豊漁だ。最近はシラスもろくにとれねえ。あいつらは海に帰れ。
(このお話に出てくる伊栖摩市はアメリカのインスマウスと姉妹都市提携してると思います)
『鳥のように』連作詩
「軽さへのあこがれ」
飛ぶ鳥はとても軽いのだということを
わたしはときどき忘れる
飛ぶために鳥が捨て去ったものの重さを
わたしはときどき忘れる
鳥の骨は細く軽く
すきまだらけで脆いということを
150kg超の鳥でさえも脆く
たくさんのものを捨て去っているということを
明け方庭のどこかで鳩が鳴くとき
夕方田んぼの片隅でケリが鳴くとき
わたしは思い出す
わたしは150kgの鳥より重い
どれだけ多くのものを捨て去ろうとも
わたしの身体は風に乗らない
「恐竜は鳥になってしまった」
恐竜は鳥になってしまった
大空を羽ばたくかわりに
偉大さをなくした
朝 にわとりが声をあげる
恐竜の飛べない子孫が
景気よく声をあげる
より大きなものを知るためには
偉大であってはいけない
一番であってはならない
にわとりに餌を投げながら
にわとりが得たものについて考える
にわとりが失ったものについて考える
恐竜の足跡が
庭に記されてゆく
あれは
ジュラ紀だったか
シルル紀だったか
思い出せないはずはない
わたしにも血は流れているのだ
「鳥のように」
要らないものを置いてゆこう
たくさんの脂肪は要らない
骨密度の高い骨も要らない
必要最小限の骨と肉と脂肪を持って
必要なのは翼
翼を動かす筋肉
方向を知る目とその他の感覚
そして飛び立とうとする意志
それでもまだ置いてゆかなくちゃならない
重すぎる頭蓋骨
そのどうでもいい中身
人間である限り私は飛べない
人間であることを捨てて私は飛ぶ
鳥のように
「空と引き換えに」
鳥よ鳥たちよ
空を飛ぶことと引き換えに
力を諦め
知力を諦め
ただ空飛ぶための
筋力と
かるいかるい骨と
すてきにかるい翼と
鳥よ鳥たちよ
おまえたちが空飛ぶために
空と引き換えに
なくしたものをこの身に抱えて
飛べない私は
おまえたちが飛ぶ空を見る
さよならを言う前に
さよならを言うべきときは常に今だ。そう思ってるから私はいまこの瞬間にあなたに言う。…とかっこつけて考えてみたが、私がさよならの前に言うべきことはふたつしかない。「ありがとう」と「ごめんなさい」だ。で、よく考えてみたところさよならの前だとしなくても言うべきことはこれしかなくて、これ以外にぐちゃぐちゃあるとしたら報連相がなってなかったのだ。うん。報連相大事。ごめんなさい、ありがとう、私は私に巣食ってたウイルスの副作用でお利口になってていろいろ人類に貢献したの。でもね、このウイルス、宿主になってる私が死ぬとたぶん人類の大半を殺すわ。ごめんなさい。これどうしていいかわからなかった。ごめんなさい。誰かに頼ればよかったのかもね。でも私ひとにどう頼ったらいいか知らなかった。頼り方を知ってるべきだったとどんなに悔やんでも遅い。本当にごめんなさい。さよなら。
いつまでも捨てられないもの
おれのまわりのやつは大切なものは誇りがなんたらという。たぶん本当に大切なものは誇りではなくなんたらの部分にあり、なんたらの部分は儲かるのだ。おれは何が儲かるかは知らんが、何を残すべきはわかっていたい。この土地にいつまでも捨てられないものはふたつある。一つはこの土地に住まう妖精でありこの土地にこそ育つ植物である。もう一つはこの土地に生まれこの土地を愛しこの土地を祝福する精霊である。おれは間違ってないと思う、それがおれの捨てられないものだ。でもおれは思い返す、学園でおれを助けてくれた先輩、おれの地元で迷ってたおれを祭の広場まで連れてってくれた人。おれはこの土地の領主になることを約束されており、この祭で領主たりうるか試される。おれは何を残すべきか。
***
これ私はあっさりと重責を担う可哀想な若い人異世界バージョンにしましたが、この「いつまでも捨てられないもの」というお題はホラーの定型でありこれはこれとしてかなり書いてみたいお題です。明日、がんばって怖いの書いてみたい。私は怖い話が大好きですが私の怖い話はあんまり怖くないらしいのです。