ささほ(小説の冒頭しか書けない病

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8/15/2024, 10:38:02 AM

夜の海

自動車免許取り立てのころ友人たちと出かけた、台風の夜の御前崎。あのころ乗ってた軽自動車に波がかかった。今夜は夜勤だと思いながら車を飛ばした焼津の海岸通り。夜勤はしんどかったけど同僚と話すのは楽しかったな。それから恋人と別れたその夜にヤケクソで走った大崩海岸。朝まで大崩海岸にいて朝日を見たっけ。

あのとき走った道は崩れてしまってもう存在しない。大崩海岸のカフェダダリはまだあるけどね。あそこは元アトリエだったんじゃないかと思う海に開けた絶景の喫茶店で、店にはダリの本物が飾ってあった。今は美術館を併設してる。父は昭和30年代に大崩海岸を無謀にも海から登って別荘に登りついてしまったそうだが、たぶんそれはいまはカフェダダリだ。当時はカムカムエヴリバディの英語の先生の別荘だったと父は言うけど。ホントかどうか。

夜の海の記憶は意外に自動車と結びついてるんだと思い出しながら、私は国道150号を走る。父が入院している浜松の病院を目指して走る。左手に海。あの暗い海に父はもうすぐ帰るのだろう。私もいずれあの海に帰ってゆくのだろう。それはきっと今ではないけれど。

8/14/2024, 11:36:09 AM

自転車に乗って

萩原朔太郎の自転車日記は自虐コメディで素敵だ。まあコケるの。萩原朔太郎だからコケても面白くて素敵。てか危ない。萩原朔太郎自転車日記によれば「余車上ニ呼ビテ曰ク。危シ、危シ、避ケヨ、避ケヨト」。ぶつかりそうで自分じゃ避けられないんだよ怖いよ。原朔太郎の詩集でいうと「氷島」のノリだよね、この怖さと軽さと自虐。

夏目漱石の自転車日記も文体は硬いけどどう読んでも自虐コメディで大好きだ。夏目漱石はなぜかロンドンの下宿先の婆さんに「自転車に乗るべき」と言われて乗る。具体的に引用するとこうね、「余に向って婆さんは媾和条件の第一款として命令的に左のごとく申し渡した、自転車に御乗んなさい」。それで自転車に乗るとこがすごく夏目漱石らしい。 

しかるに志賀直哉、やつは明治の世に13歳にして自転車を買ってもらった。当時日本で自転車を買うと二百円くらいしたらしい。いまでいうと二百万円である。まあ適当な計算だけど、いいとこのボンボンが外国のスーパーカーに乗ってるようなもんだな。かわいくないぞ志賀直哉。でも萩原朔太郎や夏目漱石より若い頃から乗った志賀直哉は暴走族のごとく自転車を乗りこなしている。うらやましいわ。まあかっこいいのは間違いない。志賀直哉自身「自転車狂い」だと書いてるしアクロバティックな乗り方してる写真残ってるし自転車すごく好きだったんだろう。

うん。自転車は楽しいんだ。

私はそのへんのDIYショップで買った安い自転車にまたがり坂を気持ちよく下ってゆく。自転車、私が私の力だけで遠くに行けた乗り物、鳥になれそうでなれない翼を持たぬ素敵な乗り物、それが自転車。ライト兄弟は自転車屋だったんだぜと思いながら自転車で下ってゆく坂の爽快感! この気持ちよさは萩原朔太郎も志賀直哉も夏目漱石も納得するだろう。

8/13/2024, 10:50:12 AM

心の健康

「心を常に健康に保つべきです」とぼくのパートナーであるAI通称エイエスが言った。「それはもちろん賛同するけどね」とぼくはエイエスに言い、そのあとに続けるべき言葉をまだ見つけていないことに気づき、それでも強引に言葉をつなぐ。「異物をとりこんで病んだ貝だけが真珠を作る。虫にやられたヒョンの実だけが音楽を奏でる。同じく虫にやられたマタタビこそが薬効を持つ。だからぼくが病むとしてもそれは大目に見てほしい」と毎日言ってるんだが聞かない。うん。ぼくの朝寝坊は全く役立たない心の病気かもな。でもなぼくの古い友人が統合失調症で、それでも素敵なマンガを描き続けてるのはほんとなんだよ。

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私の古い友人が統合失調症で、それでもマンガを描き続けていることは事実です。AIエイエスはいないけどね。いたら議論してみたいな。

8/12/2024, 10:06:40 AM

君の奏でる音楽

ギィギィと木を擦るような音は騒音と言ってもいいと思った。ぼくはそんなに音楽の素養がない。音感も特にない。好きな音楽は…えーとこれだけはみんなに「えええ?」と言われるんだが、好きな音楽はパンクだ。しょうがないじゃん好きなんだもんぼくが好きなのはザ・ジャムだ。クラッシュもすげー好きだ。でもセックス・ピストルズは好きじゃない。下手で激しくてヤバけりゃパンクってわけじゃないとぼくは思ってる。それはそれとして君が奏でるバイオリンはひどい。面白いくらいひどい。むしろパンクだ。ひどくて特別で格別だ。こんな音他にない。ぼくは君の手を取る。ねえ。ひどいと言われるような音楽を作ってみないか。

8/11/2024, 12:10:40 PM

麦わら帽子

麦わら帽子はいまや麦のわらではできていない。プラスチック製も珍しくはないし、自然材料だって木材系ヤーンやペーパーヤーンだったりするのだ。…という知識があるからって麦わら帽子は作れない。私の目の前で、魔法のように麦わらが編まれてゆく。…たぶん、きっと、ひいおばあちゃん。私のひいおばあちゃんは明治生まれで平成に亡くなった。ひいおばあちゃんは稲わらで筵を作る技能で表彰されたことがあるんだって。ひいおばあちゃん麦わら帽子作ってと適当に仏前で言ったのがこんな結果を生むとは。私はお盆の仏前で出来上がったばかりの麦わら帽子を持て余す。

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