だから、一人でいたい
ドアが閉まった。私はドアの外に立ちすくみ、今言われた言葉を反芻する。
「ぼくはきみを傷つける。きみは僕を苛立たせる。だから、一人でいたい。ぼくたちは離れているべきだ」
言葉の意味はわかる。わかるけれどわかりたくない。一人でいたい気持ちはわかる。私もどっちかというと一人でいたいたちだ。それはそれとして、それでも、傷ついても、あなたといたかった。いやむしろ…私はあなたを傷つけたかったのだろう。私はにんまり笑う。とても素敵な傷つけ方を思いついた。あなたは一人になる。一人でいたらいいと思う。でもあなたは永遠に私を忘れない。ここは四階。私は外付けの階段から飛び降りる。
澄んだ瞳
これほど澄んだ瞳を私は見たことがなかった。うっすらとあがる口角。こちらをまっすぐに見つめる瞳。その瞳には悩みも迷いもなく、ただ無心にこちらを見つめるように思われた。しかし筆頭医師は悲しげに彼を見やった。
「これは1000ヤードまたは2000ヤードの凝視と呼ばれるものです。彼らの瞳は澄んでるんじゃありません、拒否しているのです。拒否こそ澄んでるんだという考え方もありますけどね」
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作者より。意味がわからない人は「1000ヤードの凝視」で検索してみてください。
嵐が来ようとも
嵐が来るのだと大人たちが噂し始めた。しばらくして嵐がもうすぐ来るのだと公式のニュースで流れた。嵐を知らない幼年組は少し不安そうだが、大人たちが幼年組のこどもたちを優しく諭す。
「嵐は怖くないのよ。嵐は私たちに富をもたらすの。たくさんの貴金属や肉や魚、誰も知らないような本を落としてゆくこともあるの。だから大丈夫」
私は来年成人だ。私が幼年組のころ嵐がきた。村の勢力が書き換わり、食べ物も、飲み物も、着るものも、歌も、物語も変わってしまった。みんなその変化をあまりに気楽に受け止め、過去の村のことを忘れてしまったようなのが怖かった。
また嵐が来るとして。私は私でいられるだろうか。私は私でいたい。嵐が来ようとも。
鳥かご とりあえず保全…
友情
もう疲れてるのでぶっちゃけますが、今月末〆切のものに応募するべく書いてますがまだできてません。中学2年の女の子、一人は1990年代に生き、もう一人は現代に生き、何かの間違いで過去の女の子が現代に来ちゃった!というコンセプトで書いておりますが、書きながら、私はこどものころの私として私のこどもと遊びたかったんだなあと思いました。たぶんそういうお話になる予定ですが友情ものにしたいです。