私たちが暮らしているこの世界では、よくアプリで作り話として動画で取り上げられるように、好感度が数値化され、頭上に浮かんでいる。つまり、この世の人としての判断基準はこの頭上の数字によって決められている。好感度が高い、即ち数値が大きい人は社会から必要とされ、一流企業への就職や特待生入学など、人生において様々な利益がもたらされる。が、好感度が低い人は、社会の最低地位の人種とされ、増税が課されたり就職や進学において不利となる。
今この私の手記を見ているであろう貴方からしたら、こんな世界はおかしいと思うだろう。だけど、私たちは生まれた時からこのおかしなルールに従って生きてきた。今更この頭上の数値抜きで、人の善し悪しを判断する事は到底不可能なのである。
平均の数値は真ん中の五十とされていて、それより上回っていれば、無論好感度が高いとされる。私の頭上には六十三という数値が浮かび出されているが、この数値はまだ中の上といったところで、上の上ともなると九十以上の規格外の数値が浮かぶ。そんな上の上の人間は、十年に一度現れるか現れないかと言われる奇跡の逸材と言われている。
私は一度だけその奇跡の逸材の人をこの目で見たことがある。その人こそが、私の幼馴染の紗倉愛花(さくらまなか)だ。花のように沢山の人々から愛されてほしい、という両親の思いを見事に具現化したような人だった。彼女は人に愛される為に生まれてきた、と言ってもいいほどで、誰もが惹かれる笑顔と愛嬌を持ち合わせ、愛情深く責任感が強い性格で、成績優秀、抜群の運動神経、容姿端麗、と誰もが憧れるステータスだった。そんな完璧な彼女を嫌う人は本当にごく僅かで、彼女の頭上の数値はいつも九十五をキープしていた。
先程彼女は私の幼馴染だと紹介したが、彼女と私の扱いの差が歴然と現れたのは中学校からだった。幼稚園や小学校の頃は、まだ物心ついている者が少なく、人に対して興味を持ったり、恋心を抱いたりすることが無かった。が、中学生は一番多感な時期で、彼女は勿論男女共に人気を博し、告白など日常茶飯事のように行われ、多い時には一日で五人の男子生徒に告白されるほどの人気っぷりだった。更に、成績優秀な彼女は常に学年のトップの成績を取っていて、生徒会長にまで推薦された。そんな住む世界が全く違う彼女と私に距離ができるのは、至極当然のことだった。彼女はいつも人に囲まれていたので、一緒に登下校することは疎か、会話をすることも出来なくなっていった。定かではないがその頃で、彼女の数値は既に九十を超えていたと思う。
高校はそれぞれ違う所に進学したが、地元での彼女の噂は一切絶えることが無く、彼女の両親はいつも近所の人に持て囃されていた。私も実際その現場を見たし、彼女の高校での話も(風の噂ではあるが)沢山耳にした。高校でも彼女は沢山の生徒から支持されていたらしく、二年生で生徒会長を務め、年下から年上まで沢山の生徒からアプローチを受けていたという。そんな彼女の就職先は勿論一流企業だったが、彼女は将来政治に関わる仕事をしたい、と昔から言っていたらしく、政治についての勉強をして政界進出を狙っていると聞いた。彼女の父親は国会議員だったし、母親は大臣レベルの人の秘書をしていたので、彼女の将来は既に安泰だと、近所の人は言っていたし、私もその言葉に頷けた。
そんな人気者だった彼女はある日突然、自ら命を絶った。それは本当に当然の出来事で、誰もが驚き、悲しみに暮れた。内定は決まっていたし、政界進出への一歩は既に踏み出していたのにも関わらず、一枚の遺書を残して彼女はこの世を去った。遺書を読んだ彼女の母親は、これは遺書ではなく、頭上の数値に踊らされ続けた私たちへの当てつけの手紙のようだ、と話した。後にこの手紙を読ませてもらった私は、ある三文に目がいった。
「私は十年に一度の奇跡の逸材じゃないし、頭上の数値は私自身を可視化したものじゃない。
この数値になる為に、期待を裏切らないために、奇跡の逸材たちがどれ程の努力をしてきたのか、この世界は何も分かっていない。
もう期待されることに疲れてしまいました。」
お父さんお母さん、私を奇跡の逸材として育ててくれてありがとう、と彼女らしく手紙の最後は締めくくられていた。
彼女も私と同じ、ただの一人の女の子だった。この世界中に沢山存在している女子高校生の一人だった。そんな彼女が奇跡の逸材で居続けるために、どれ程の努力をし続けてきたのか、どれ程の重荷を抱えていたか、幼馴染だったはずなのに、私は全く知らなかった。いや、知ろうとしなかったのかもしれない。どんなに悔やんだって遅いのに、私はその日、もう表情を一切変えることの無い笑顔の彼女に、ただひたすら謝ることしか出来なかった。
この経験をしてもなお、私は未だに頭上の数値を見る事でしか、人の善し悪しを判断出来ない。当たり前だと脳内に刻み込まれたこの世界のルールを、今更上書きする事など私には出来なかったのだ。でも、この彼女の死を通して、私の中で彼らに対するある思いが生まれた。それは"奇跡の逸材"と呼ばれる彼ら、彼女らは数値が高いからとその肩書きを嵌められたのではなく、ただ人に好かれようと、誰にも知られず努力をし続ける十年に一人の天才たちを、人々が"奇跡の逸材"と呼んだのだと。だからこそ、私は愛花のような努力の天才たちが輝く本当の理由が、好き嫌いなんかの単純なものでは語れないような気がするのだ。
最後にもう一度。
"奇跡の逸材"と呼ばれた天才、紗倉愛花は私の幼馴染だ。それは彼女が死んでも変わらない。
そして、私が彼女を心底憎み嫌っていたことも変わらない。
「好き嫌い」
_私はこの街が嫌いだ。
この街の嫌なところをあるだけ出せと言われたら、口が裂けるほど出てくる。とりあえず今日は三点ほど。
まず、相手のことを考えられていない人が多い。自分自身のことしか考えれない自己中な人が多くて、本当に救われなきゃいけない人が救われていない。この前、電車におばあちゃんが乗りこんできた。優先席は既に埋まっていて、それを見たおばあちゃんは手すりを一生懸命に掴んで電車の揺れに抗っている。優先席には妊婦さん、おばあちゃんと同い年ぐらいのおじいちゃんが二人、ヘルプマークをつけた女の子、そしてスマホをいじっている男子高校生。結局男子高校生の目的の駅に着く前に、おばあちゃんは降りていってしまった。お前元気なら退くべきだろうよ。本当自己中なやつはこの世に居ない方がいいし、この街に相応しくない。
次に、人に対しての礼儀がない。初対面なのにそこまで言う?みたいな発言をしたり、言葉遣いがなってなかったり。親の育て方が悪いようにしか感じない。去年私は高校二年生で、自慢じゃないけどバスケ部の次期部長と持て囃されていた。私は部長の先輩とも他の三年生とも仲がいいほうで、よくご飯に行ったり遊びに連れてってもらったりしていた。だけど、この年に入った一年生の中にめっちゃ先輩に馴れ馴れしい子がいて、部長とかに対しても「〇〇じゃん」とか「〇〇しようよ」みたいな感じで、先輩たちも困ってて嫌がってるのに、一年間ずっとそれで。先輩のことを尊敬していないのが丸分かりで、礼儀って知ってる?って思ったし、普通に非常識すぎるでしょ。
最後に、当たり前のことが出来ない。謝罪とか感謝を伝えることは私の中では極普通で、極当たり前のことだと思っていた。だけどこの街の人達はそうじゃなくて。人にぶつかっても謝らないし、落し物を拾ってもらってもありがとうの一言もない。増してや頭を下げるなんてこともない。中学三年生の時、同じクラスの少し派手な子のピアスを拾って、その子に届けてあげた時、何も感謝されなかった挙句、目も合わせてくれないわ、睨まれるわで本当最悪な気分になった。拾わなきゃ良かったって思わせるの上手ですねー、ってその時は頭の中で思ってすぐその場から逃げたけど。
まあこんな感じで、こういう人が多いからこの街は全然好きになれない。こんな雰囲気で世界が良くなるわけがないし、この街が良くなるわけがない。そう思いながらも、私はこの街で大学生になってしまった。早く離れておきたかったのに。そう思いながら、キャリーケースを引いて大阪行きの新幹線に乗り込んだ_
_僕はこの街が好きだ。
この街の好きなところを出るだけ挙げろと言われたら、口が裂けてしまいそうなほど沢山出てくると思う。とりあえず今日は三点に絞って説明したい。
まず一つ目は、皆が相手のことを思いやっているところ。この街の人達は相手に話しかける前に、しっかりと相手の状況とか、環境とかを観察しているなあと思う。この前友達と一緒に電車に乗っていたら、ある駅で一人の老婦人が乗り込んできた。優先席に座るのかな、と優先席を見てみると既に席は満員状態で、婦人は仕方なさそうに手すりに掴まっていた。席に座っている人の中に、見るからに元気そうな男子高校生がいるのが見えた僕は、「何で譲ってあげないんだろう。」と友達に呟いた。すると友達からあたかも当然のように「だって怪我してんだから当たり前じゃん」と返ってきて、もう一度彼を見て驚いた。ズボンで隠されていた長い足が垣間見えた時、彼の足首に包帯が巻いてあるのが見えた。彼の横には松葉杖まで置いてあった。松葉杖まであったのに、僕は見かけだけで周りも見ずに、彼が元気だって判断してしまっていたのか。僕だけが全く周りが見えていなくて、友達も婦人も周りの人も、全員が彼の状況を見ていたからこそ、誰も何も口出ししなかったんだと思うと、自分だけ彼を嫌な目でいた事が凄く恥ずかしくなった。
次に二つ目は、皆が誰に対しても尊敬を忘れていないところ。コミニュケーションをとるのがこの街の人達は得意みたいで、人が言ったことを素直に受け止めることが出来るのも、尊敬の心があるから故だと僕は思う。去年僕は高校二年生で、モテるためだけにバスケ部に入部した。僕たちの高校は男バスと女バスが同じ日に体育館を半分に分けて、部活動を行っていた。とある日に、女バスの一年生の子が、三年生の部長や、その他の先輩たちに敬語を使っていないところを見た。あれでいいのか、とモヤモヤする日々が続き、ある日部室に戻ろうと向かっていた時(男バスの部室は女バスの部室を二部屋挟んだ隣で、部室に行くには女バスの部室を通らなければいけなかった) 、女バスの三年生が集まって話をしているところに遭遇してしまった。僕が食いついたという事は、その会話の話題は勿論例の彼女で。
「あの子めっちゃタメで話してくるよね。」
「ね。うちらが言ったことすぐに受け止めてて最高。」
「やっぱ敬語より楽だよねーうちらも。」
「うんうん。次の部長あの子でもいいかもねー。」
「いやいや、あの子になったら皆仲良くなりすぎて部活にならなくなっちゃうよ笑」
最初は悪口かと思っていたが、どうやらあの一年生のタメ口は、先輩たちから直々に言われてしていたらしい。部室で着替えた後、体育館に忘れ物を取りに行って初めて知った。彼女は全員が帰った後も自主練していたのだ。先輩たちの練習している姿を撮って、その姿に近づけるかのように、スマホと睨めっこしていた。尊敬の念が無い、というよりかは尊敬の念"しか"ない。この方が最適な気がした。
最後に三つ目。当たり前のことが当たり前にできるところ。感謝とか謝罪するのって、日常的には当たり前ですることが極普通だと思うけれど、その普通が出来ない人もこの世には存在していて、その普通が出来るからこそ、この街はより良くなっていると思う。人とぶつかっても、見てない自分にも責任があるからと誰も責めない。落し物を拾ってもらっても、お互い助け合うのが当然だと思えているからお互いの声に反応できる。僕は中学三年生の時、クラスの派手な子のピアスの落し物を拾ったことがあって、その子のだって知ってたから届けたけれど、あまりいい反応じゃないのを見て迷惑なことをしてしまったと思った。が、彼女は僕の思った反応とは真反対で、「ん」と言って手を差し出してきた。でもその手は誰もいない空白の場所に差し出されていて、「僕はここだよ」と教えると、「あ、ごめん、さっきカラコン先生に取られちゃって目見えづらいの。」と彼女が早口で一言。咄嗟に見知らぬ相手に謝罪の言葉が出てくるのって凄いな、ってこの時は感心の方が勝ってしまったと思う。
こんな素敵な街で何年間も過ごせたことは、今でも僕の誇りだ。この街はこれから更に素敵で豊かな街になっていくと思う。なんてったって、この街の人達はこの三つだけじゃ語れないほどいい所がたくさんあって、思いやりで溢れている。僕は二十何年間この街に居続けて、この有難みに気づいた。会社に就職したタイミングで大阪に行った僕だけど、毎月一日は必ずこの街に戻ってくる。それぐらいこの街が大好きなんだ。今日がその大事な日。僕はキャリーケースを引いて東京行きの新幹線に乗り込んだ。
「街」
「ねぇ、お母さん」
「どうしたの?」
「なんで私たちこんなに苦労して生きているの?」
「さぁねぇ、お母さんにも分からないわ。」
僕たちはとっても寒い雪国で暮らしている。昔はお隣さんや、同じ地域に住んでいた人達が大勢いたけど、住める場所が少なくなった今、家を無くさざるを得なかった人達がが大半だ。僕たちの周りの家が無くなり始めたのは、僕たちが一番この世で恐れている"偉い人"と呼ばれる人達が原因である。彼らは僕たちの家や命を次々と奪っていく何とも恐ろしい存在。だけど、彼らに気に入られれば、住む場所が与えられ、美味しい食事も与えられる。安泰な暮らしが送れるというわけだ。僕たちのような崖っぷちの人生を送っている場合、どうやって偉い人に自分たちを見つけさせるか、気に入られるかを毎日のように考え、探っている。僕の知っている中にも何人か彼らに気に入られ、今でも豊かな暮らしをしていると聞く。昔は気に入られることなどなく、彼らに会うと一瞬で命を奪われてしまうため、今のような生活に幸せを感じる者が多かったが、彼らに気に入られるというのがとても身近に感じられるようになったからこそ、誰もが理想の生活を頭の中で作り上げるようになった。そして僕もその内の一人だ。
「僕たちも早く偉い人に気に入られたいな。」
「貴方は何が夢なの?ママに教えて。」
「そうだなあ、夢は沢山あるよ。まず、広いお家が欲しい。後は美味しいご飯が食べたい。」
「ご飯は毎日食べれてるじゃない。」
「ご飯は毎日食べれてるんだけど、やっぱりいつも同じじゃ飽きちゃうよ。偉い人に気に入られたら、毎日違うご飯が出てくるんでしょ?夢のようだよ。」
お母さんに話したって何も叶わないのに、それでも僕はお母さんに自分の夢を話すのが好きだった。お母さんもいつも僕の話を聞いてくれた。何気ないこの時間が、僕にとっては宝物のような時間だった。
僕の夢に毎日出てきたあの人達が、現実に現れたのはある日の事だった。三人ぐらいの人達が僕とお母さんをジロジロ見つめながら、何かを話している。三人の内の一人は拳銃を持っていて、その銃口は僕たち親子に向けられている。お母さんと僕はただ立ち尽くしているばかりだった。少しでも動いたら、彼らに何かされるような気がして。暫く経つと、彼らがこちらに近づいてきて僕らを眠らせた。麻酔銃だろうか。僕らの中では銃で打たれたような感覚で眠くなる、というのが彼らに気に入られた合図だった。その為、僕は打たれた感覚がただただ嬉しくて、朦朧とした意識の中でこの先の生活を夢見ていた。
眠りから醒めると僕たち親子には既に新しい家が与えられていて、家の中には美味しそうなご飯が置かれている。興奮しながらお母さんを叩き起して、僕はこれから理想の生活を過ごせるとお母さんに口早に話した。お母さんも家の中に置いてある美味しそうなご飯を見て、目を丸くさせていた。やっと僕たちも勝ち組になれたんだ。
…そんな事を思ったのも束の間。体内で一週間が経った頃、僕たち親子は疲れ果てていた。前は涼しかったのに、今は太陽に照らされて凄く暑い。それに、ご飯は決まった時間にしか与えられない為、お腹が空いて空いて仕方がない日がある。それにそれに、僕たちを監視するかの如く、無数の知らない人たちが僕たちの目の前に毎日のように現れる。僕は今まで自分がいた環境が凄く恵まれていたことを、今になって知った。僕はなんて贅沢を言っていたんだろう。隣で寝転び、動かなくなった母を見つめて呟く。
「そっか。僕が本当にしたかったことは、本当の夢は、お家を変えることでも、色んな種類のご飯をお腹いっぱいに食べることでも、偉い人に気に入られることでもなかったんだ。」
今日もまた、言葉が伝わらない彼らに僕たち親子は監視されている。
_20xx年
ある一人の科学者が動物の脳内を理解しようと研究を続けた結果、動物の脳内を見ることが出来る機械が発明された。そして、その研究の延長線、機械のお試しも含め、彼はまたある一つの研究を開始した。それは「絶滅危惧種になると言われているホッキョクグマの親子の一生を覗き、一回の人生で変わり続ける子の脳内を調べる」というものだった。野生から人間の支配下に置かれた時、彼らはどのように感じ、どのような行動をするのか。この彼の研究には誰もが興味を持ち、ホッキョクグマの親子が動物園に展示された日から、毎日のように人が訪れたという。そして科学者は研究が終わった後に、このような言葉を残している。
「最初、ホッキョクグマの子は私たち人間に支配されることを望んでいた。その結果、彼らは私たち人間を"偉い人"だと崇めていた。が、実際自分が支配されると、私たち人間に対して恐怖を覚えた。その結果、最終的に私たちは"偉い人"から"言葉が通じない彼ら"と変換されたと思われる。」
「彼が最期に望んだ本当の夢は、私たち人間の手から逃れることだったのかもしれない。」
「したいこと」
温かい朝に包まれて目を覚ます。
辺りはまだ薄暗く、朝日だけと目が合う。
鳥たちや虫たちも彼に起こされ動き出す。
私たち生き物は、地球に、太陽に踊らされている。
彼らの動きによって、私たちは動けている。
太陽が昇れば、朝が来たと脳が錯覚を起こし、何かをしなければいけない衝動に駆られる。その衝動を、仕事や学校で埋めつくしている。
逆に、太陽が沈んでしまえば、夜になったと勘違いし、寝なければいけない、と朝日を迎える準備をする。
どんなに会社や学校に行きたくなくても、私たちは太陽の動きに、地球の動きに伴って身体を動かしている。
それでもなお、私たちが明日を迎えたいと太陽に従うのは、彼らがくれる温もりが心地よいからなのかもしれない。
「朝日の温もり」
「"岐路"とは分かれ道のことである。」
僕には昔からずっと仲のいい幼馴染がいる。名前は咲也。咲也は僕とは正反対で、文字通り老若男女問わず人気がある。この前なんか一年生の女の子に告白されていたし、そのもっと前なんかおばあちゃんに話しかけられていたし、そのもっともっと前には知らない犬に懐かれていたし。僕には今までそんな経験一度もないし、女子に話しかけられること自体少ない。強いて言えば、この前仕事の会議の時に資料を見せてほしい、と話しかけられただけだ。僕がもし咲也だったら、この世界にもっと馴染めていただろうか。もっと好きになれていたのだろうか。
一人で帰る寂しさにはもう慣れた。あの日咲也と帰った十字路。学校から帰るといつもこの十字路で右と左に分かれる。僕は車の来ない十字路の真ん中に立って、少し往生してから家とは反対の左に曲がった。少し歩くと懐かしい咲也の家が見えてきた。僕らが小さい頃は綺麗な赤色に染まっていた屋根も、今ではみすぼらしい色に変わってしまった。奥崎の表札がついた家のインターホンを押す。その先からは聞き馴染みのある、少し歳のいった女性の人の声が返ってきた。すぐに開かれた家の扉から咲也のお母さんが顔を出した。
「あら、来てくれたのね。」
おばさんは昔と変わらない、でも少し痩せこけた顔で僕に笑顔を向ける。僕が会釈をすると、おばさんは僕を家の中へ招き入れた。昔はちっとも姿を見なかったおじさんも、仕事を辞めてからは家にいるようで、僕の顔を見て「来てくれたね。」と言い、会釈をした。僕も会釈を返し、おばさんの後を追う。
もう何回来たことだろう。何回見たことだろう。一切表情を変えない笑顔のままの彼を。
「今日は来てくれてありがとう。」
おばさんはそう言って線香の入った箱を僕に差し出す。お礼を言って線香に火をつける。今日は彼の七回忌だ。線香を刺そうとして、無造作に置かれた沢山のお供え物の中に、一つ丁寧に置かれている物が目に入った。
「ホールケーキ…。」
七回忌に囚われて忘れてしまっていた。
大事な幼馴染が僕に追いつく今日という日を。
「あぁ、そうか、今日はあいつの誕生日か。」
涙が止まらなかった。
咲也がこの世を去った日、彼は一年に一度の特別な日の主人公だった。年が経つにつれ一緒に過ごすことが少なくなって行ったけど、お互いの誕生日だけはいつもお互いの家でお祝いし合うのが、僕たちの中での暗黙の了解のようなものだった。高校三年生だった僕たちはお互いの進路についてもよく話した。僕は元々成績が悪いほうではなかったので国立大学への進学、咲也は持ち前の明るさとコミュ力で一流企業への内定が決まっていた。咲也は来年には一人暮らしを始めると意気込んでいて、地元で誕生日を迎えるのは最後になるかもしれないからと、僕に今年もお祝いして欲しい、と照れくさそうに頼んできた。そんなあいつの顔を見て僕は断れそうにはなくて、学校帰りに咲也の家に行く約束をしてあの十字路で分かれた。咲也が後ろから来たトラックに撥ねられたのはその直後だった。警察の捜査の結果、トラックの運転手は飲酒運転をしていたと判明。犯人は無事捕まったものの、咲也はもの凄い勢いのトラックによって50m近く飛ばされ、顔の原型が分からないほど強い衝撃を受け、救急車が到着した時にはもう、意識は無かった。
あの日僕たちは、三つの岐路にいた。
一つはいつも分かれていた十字路の右と左。
一つはそれぞれが選んだ道である進学と就職。
そしてもう一つは、生と死。
改めて考えてみて欲しい。
"岐路"とは"分かれ道"とは何なのか。
あの日僕たちが直面した岐路は、道なき道だった。
でも今でも僕は、僕ら人間は、一つの物事に対してそれぞれの感情を持ち、それぞれの岐路に立っているのである。
「岐路」