Una

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11/11/2024, 3:20:11 AM

今年も気がつけば秋がやってきていた。八月のカレンダーは破られ、九月が顔を覗かせた。

「ねぇ!またお菓子ばっかりじゃん!」
「いいでしょ別に。私の勝手じゃん。」
「だからってなあ、」
「まあまあ。珀音ちゃんも、航くんも落ち着いて。」
そう言って今日も僕たちの喧嘩の仲裁に入る看護士さんの姿。大部屋なだけあって、この光景は同室の患者さんに見られていて、もう僕はこの病院の常連だったし、言い争う光景も、看護士さんが僕たちを宥める姿も、もう見慣れたものになっていた。

幼馴染の榊 珀音(さかき はな)は、去年の十一月に急性骨髄性白血病と診断され、医者から余命宣告を受けた。"早くて三ヶ月、もって一年"と言われたと彼女は言っていた。その時の彼女の何とも言えない表情が、脳裏から離れた日は無かった。それを聞いた日から、僕は毎日珀音の病室に通うようになった。お見舞い、というのが目的ではあったが、本当は彼女の傍にずっといたかったのが理由だ。彼女は僕の幼馴染だが、密かに僕が想いを寄せていた相手でもあった。だからこそ、彼女が心配だし、彼女の傍に居たかった。でも結局本音を話せないまま時は過ぎてしまい、素直になれなくなった僕は、彼女と喧嘩することでしかコミュニケーションを図れなくなってまできている。

「てか、航がお見舞いで沢山お菓子持ってくるのがいけないでしょ!」
「はぁ?じゃあいいよ、絶対今度からお菓子なんて持ってきてやらねえからな!」
「そういう話じゃないじゃん!航の馬鹿!」
今日も今日とて珀音は頬に空気をこれでもかと詰め、僕から顔が見えないようにそっぽを向く。ガラス越しにうっすらと見える珀音の顔は、いつでも愛おしかった。

ある日いつものようにお見舞いに行くと、病室の扉の前で珀音のお母さんと医師と見られる白衣を着た男性、その隣に看護師が立っているのが見えた。距離が一歩近づく度に聞こえてくる彼らの声は、何だか深刻そうに聞こえた。あともう少しで内容が聞こえそうだというところで、珀音のお母さんが僕に声をかけた。
「あら、航くん。ごめんなさいね、気づかなくて。」
「いや、大丈夫ですよ。珀音に何かあったんですか?」
一呼吸の間があったあと、珀音のお母さんは静かに大丈夫よ、と言った。この一言が嘘なことなんてすぐに分かった。
病室に入り、ベッドに寝転ぶ珀音にいつも通り声をかける。
「今日も差し入れ。」
「うん、そこ置いといて。」
いつもと違う素っ気ない態度に違和感を感じた。
「おい、来てやったのになんだよその態度。」
「別に私、毎日来て欲しいなんて言ってない。」
「は?お前何言って、」
「もう関わんないでよ!……ずっと嫌いだったから。航のこと。」
「……え?」
「毎日毎日嫌いな奴の顔見なきゃいけないこっちの身も考えてよ。……最悪。」

何も言葉が出なくて。
気付いたら病室を抜け出して、涙と鼻水を道端に散らして走っていた。

気付かなかった。

気付けなかった。

気付きたくなかった。


あれから一ヶ月半が経ち、彼女の命日と言われる日が刻一刻と迫ってきていた。けれど、僕はあの日以来一度も病室に足を運んでいない。あの日言われた言葉と、こちらを一度も見ない彼女が、頭から離れなかった。何度か病院の前を通ったけれど、中に入る勇気はなく、かれこれこんなに日が経過していた。あの日を引きずり続けている自分の情けなさに、頭を抱えていた時、ふと病院に行かなければいけないと思った。天から降ってきたように。神様からのお告げのように。その思いつきは突然のものだった。
気付けば病院へと向かう足は、普通の速度から早歩きに変化し、気付けば無我夢中で走っていた。何でかは分からない。けど、僕の直感は今すぐ病院へ向かわなければと、逸る足を止めることは無かった。
久しぶりの病院に懐かしむ暇もなく、僕は病室へと駆けた。なんだか嫌な予感がした。その嫌な直感は、その後すぐに的中した。





彼女の病室の表札はなくなっていた。


急いで病室の扉を開けると、彼女がいるはずのベッドに彼女の姿は見えず、ベッドの前に立つ彼女の両親と、医師たちの姿が見えた。僕に気付いた彼女の両親は、さっと目元を拭い、僕に声をかけた。その声はやけにやつれていた。
「あら、航くん。久しぶりね。」
「あ、はい。お久しぶりです。」
「……これね、あの子が貴方に渡してって。」
そう言って彼女の母親が鞄から手探りで取り出したのは、一枚の封筒だった。表紙には僕の名前が刻まれていた。



私の幼き頃からの相棒 航へ

この手紙を書いた理由はもう死ぬって分かったから。お医者さんがお母さんに話してるの、聞いちゃったんだよね。てか聞こえちゃった。予定より早くなりそうです、だって。
こわい。こわいよ、航。
なんでこんな時にかぎって傍にいてくれないの、
いつもみたいにおかしたくさんもってきてよ
いつもみたいにけんかしようよ
いつもみたいにわらわせてよ
わたしがここに生きてるって、おしえてよ

初めて会ったときから大好きだったよ。
航が来てくれるから生きててよかったって、もっと生きたいってはじめておもえたの
わたし、いきてていいの、かな、?
わたるにひどいこといって、つきはなしちゃった、
ほんとはすごくだいすきなのに、すなおになれなくて。
わたるといっしょにいろんなところ行きたかったなあ
手つないで、ふたりでいろんなけしきみて、たまにけんかもして、でもすぐになかなおりして。
ハグも、キスも、まだできてないなあ

しにたくないな

しにたくないよ

向こうで待ってるから、また迎えに来て。
そのときは差し入れって、いつもみたいにお菓子持ってきてね。

お医者さんから話聞いて、凄く悲しかった時に外で揺れてるススキを見て、手紙を書こうって、急に思いついたの。
色んな人と沢山恋して、最後には私の元に帰ってきてよね。




あれから五年がたち、僕も高校生になっていて。味気ない日常に飽きながらも、毎日をそれなりに楽しく過ごしていた。その日は夏休みの課題のために本を借りようと、近所の図書館に足を運んだ。受付で貸出の手続きを終わらせ、帰ろうと来た道を戻ると、出入口付近に座っていた三人組の女子小学生が、花言葉辞典を広げ、一生懸命眺めているのが目に入った。三人の前を通った時、彼女たちの誰かが放った言葉が耳に入った。

「ねぇねぇこれ見て。
ススキの花言葉って"心が通じる"なんだって。」

「ススキ」

10/12/2024, 7:57:05 AM

小さい頃にお母さんが読んでくれた絵本を今でも覚えている。一人の小さな女の子が誰かのヒーローになりたいと、人助けをしていくお話。あの頃の私はただ、主人公の女の子が大好きで、その絵本を週に一回は必ず寝る前に読んでもらっていたし、自分で読むことも沢山あった。大好きすぎて、保育園にも絵本と一緒に登園し、暇さえあれば一人静かにその絵本の世界にのめり込んだ。
一人暮らしの為に引越し作業をしていた私は、久しぶりに見たその絵本の表紙に、童心を思い出して本を開いた。

_ある所にほまれちゃんという小さな女の子がいました。ほまれちゃんは、「ヒーローになりたい」という夢を持っていました。今日もその夢に近づくために人助けをするみたい。早速ドアを開けて外の世界に飛び出しました。

最初に出会ったのは、重い荷物を持ったおばあちゃん。腰に手を当てて、長い長い階段を眺めています。それに気づいたほまれちゃん。すぐにおばあちゃんの元へ駆け寄ると、「おばあちゃんお荷物貸して!」と言いました。おばあちゃんは少しびっくりした後、「重いけど大丈夫かい?」と言ってほまれちゃんに荷物を渡しました。とっても重かったけど、ほまれちゃんは一度も階段に荷物を下ろさずに、階段を登りきったのです。おばあちゃんからお礼に、ほまれちゃんは飴ちゃんを貰いました。

次に出会ったのは、暗い顔をしたスーツを着た男の人。公園のベンチに座って、大きな溜め息をついているみたい。ほまれちゃんは、急いで男の人の元へ走って「どうかしたの?」と聞きましたが、男の人は何も答えませんでした。ほまれちゃんは元気になあれと思って、男の人にさっき貰った飴ちゃんをあげることにしました。「どうぞ」と男の人に差し出しました。男の人はそれを見て、少し笑いながら「ありがとう」と言い、飴ちゃんを受け取りました。ほまれちゃんは何だかいい事をした気分になりました。ほまれちゃんは男の人から千円札を貰いました。

次に出会ったのは、怪我をしている制服を着た女の子。肩にかけたスクールバックの持ち手を強く握りしめています。ほまれちゃんは「こんにちわ」と挨拶をしました。女の子はほまれちゃんの方を見ましたが、何故か挨拶を返してくれませんでした。ほまれちゃんはさっきの男の人と同じように、貰った千円札を「どうぞ」と差し出しました。女の子は一瞬驚いたあと、嬉しそうに千円札を受け取り、お礼にほまれちゃんはビデオテープを貰いました。

最後に出会ったのは、

_ここで本は途切れ、残った最後のページに飛ぶと「めでたしめでたし」とだけ書かれていて、最後に出会ったのは誰だったのか。本当に登場人物の三人はほまれちゃんに助けられたのか。最後にほまれちゃんは何を貰ったのか。が謎に包まれている。

これは一世を風靡した「千切れ絵本事件」に使用された絵本である。この事件は、この絵本「ほまれちゃん」の最後の前のページが全て千切られているという事件だ。つまり、私だけではなく、この絵本を買った殆どの人がめでたしの前を知らない、ということだ。今でもそれを知る人は存在せず、作者が千切ったのか、第三者なのか、それすらも分からない、未だ謎に包まれている事件なのだ。



_20xx年
「ほまれちゃん 特別版」が発売された。抽選で当たった五人だけが、あの絵本のめでたしの前の現場を目撃できるのだという。ほまれちゃんの行方を知りたい人は、勿論私だけではなく。沢山の人が一斉に応募したという。
私は当たらなかったが、友達が当たり、結末だけを教えてくれるというので話を聞いた。内容は以下の通りだ。


_最後に出会ったのは、今本を読んでいる貴方。ほまれちゃんは前の人に貰ったものを、そのまま次の人に渡せば人助けになることを知っています。ほまれちゃんは貴方にビデオテープを渡します。「これを見たら次のページに進んでね」ほまれちゃんは笑顔で言いました。そして、貴方からどんどん遠ざかっていきます。

早く見ろ。

_そのページに貼られているビデオテープには、
おばあちゃんが階段から転がり落ちている映像。
サラリーマンがロープを首にくくりつけて椅子から飛ぶ映像。
女子高生が校舎の屋上と見られるところから飛び降りる映像。
最後には「次は貴方の番」と小さな女の子の声が入っているという。

めでたしめでたしとは何を意味していたのだろう。
ちなみに、この絵本を書いた作者は書いたあとすぐに死亡。この話をしてくれた私の友人も先日亡くなった。もしかしたら、私も番が回ってきてしまったのかもしれない。

私が死んだら、



次はこの文を今読んでいる貴方の番。

「ほまれちゃん」

10/9/2024, 7:28:21 AM

今日も忙しない街の中で一人一人それぞれが選択肢に衝突し、選んだ道を進んではまた、次の選択肢に衝突する。私もその中の一人である。

周りからは、明るい、元気、いつも笑顔、ポジティブ、友達が多い、可愛い、優しい、八方美人、口が悪い、裏表がある、何も考えずに生きている、とよく言われる。「人生イージーモードじゃん」
「何も考えてなさそう」
「羨ましい」
つらつらと勝手に並べられる印象には、どれも反吐しか出ない。

私は中学生の頃、人との関わり方が分からなくて、不登校になったことがある。正確にいえば、登校拒否だと思う。あの時、助けてくれる人は誰もいなくて、自分を守れるのは自分しかいないのだと実感した。だから、どんなに仲がいい人でも本当の私は見せることが出来ない。だって、殻が無かったら攻撃を防げないじゃない?私って繊細だから。

中学生のあの鬱時代を乗り越えた私は、考えを変えた。今までネガティブ思考だったのを、無理やりかと思うほどポジティブ思考に変換した。持ち歩く物は自分を忘れないようにしつつも、女子が持ってておかしくないもの。何か悪口を言われても自分が成長できるチャンスだと思った。誰でも持っている自分自身の考えはあるし、一人一人違う意見だからこそ、誰でもに自分を理解して貰えるように色んな人と関わった。自分の周りだけではなく、土俵の反対側から反対側の人まで、男女関係なく関わった。でも、

「八井崎、ほんと八方美人だよな〜」

「あの子誰にでもいい顔するじゃん」

「思わせぶりだったのかよ」

何故か悪い噂ばかりが増えていって。中学の頃に逆戻りするところだった。

だけど今の私は変わった。

強くなった。

生まれ変われた。


今日も私は表側を見せながら社会を歩く。
おちゃらけた何も考えてないお馬鹿な女子高生。選択という壁が迫っても、後先考えずに衝動で動く。口癖は「なんとかなる」。関わった人が笑顔になれるそんな女の子。

でも本当は。
考え過ぎて何も手がつかなくなるほど追い込まれながら、日々の選択という壁に体当たりしていく落ちこぼれた女子高生。ずる賢くて、人の隙間に入るのが上手くて、「どうにでもなれ」と思いながら人との関わりを営むような女の子。


_たまには本当の私でいいじゃないか。
いや、本当はいつも私がいい。
誰にもなれない唯一無二の私という存在を大事にしたい。

読者の貴方にも、この束の間の休息の時間をこの文を読んでいるだけでも与えられただろうか。
与えられたなら私は嬉しく思います。
明日も乗り越える為に深呼吸をして生きたい。
忙しない毎日を生きる皆様、いつもお疲れ様です。

「束の間の休息」

9/4/2024, 7:07:12 AM

ああ。
隠していてほしかった。

整った顔も。

それを崩すような太陽みたいな笑顔も。

誰にでも愛される愛嬌も。

いつでもポジティブなのも。

誰に対しても変わらず接する優しさも。

いつも明るく声をかけてくれるところも。

些細な変化に気づいてくれるところも。

会いたいって言ったら会いに来てくれるところも。

泣きたい時に顔を隠してくれるところも。

私の話を目を見て聞いてくれるところも。

急に真顔でドキッとする冗談を言ってくるところも。

変わらないヤンチャなところも。

全部全部好きだった。
これが貴方の一部なら全て受け止められるような気がしていた。

だから。


急に変わった髪型。

大人びた服装。

好きな音楽。

近づくとほんのり香る香水の匂い。

短期間で取った車の免許。

らしくない車の色。

首元に光るネックレス。

スマホを見る頻度。


全部。


全部わかってしまう。


貴方に好きな人が出来ていたこと。


私だけじゃなかったんだね。


「些細なことでも」

8/31/2024, 9:59:51 AM

「なんでよ!…私だけって…言ってたのに…」
「いや、だってお前さ、」
「なに?!まだお金足りない?!!もっと積めって?!」
「違ぇよ、そうじゃねぇって、話聞けよ、」
「なによ!!あんたも私のこと……」

喧嘩している二人の男女は、傍から見たらただのカップルでしかないのかもしれない。けど、私には分かる。あれはホストと姫。私の住む歌舞伎町ではいつもの光景すぎて、最近ではその真横を素通りするのが楽しみになってきているほどだ。今日も通りがかればいつもの二人。歌舞伎町のナンバーワンホストの男と、ホストを渡り歩いては自論を吐き出して出禁になることで有名な女。女はいつも男のズボンを逃がさんとばかりの力で掴んでいて、男がやっとこさ逃げれたと思えば、高そうなスーツにはシワが馴染んでいる。可哀想に思いながらも、今日も帰路に着いた。
家に帰ればこじんまりとした玄関が私を迎え入れた。買ってきた冷凍食品を乱雑に電子レンジに投げ入れる。電子レンジで温かくなったはずなのに、私の心は冷えきったままだった。スマホの写真フォルダを漁る。まだ気合いが入った化粧の私と、大好きだった彼。沢山の彼との思い出は写真になって残されていた。もうこの思い出たちは五年前のことだってことも、すっかり忘れていた。

__五年前、私は新入社員ということもあり、仕事に明け暮れる日々を過ごしていた。そのお陰か、仕事の飲み込みも早く、他の同期の子たちよりも結果が実るのが早かった。上からは認められ、下からは尊敬の目を浴びるようになった。自分の才能を認められる度に増えていく仕事量。認められるほど増える大きな商談。自分に課せられた責任感、上からの重圧。気付けば私の身体は、会社に行くことを拒絶し始めた。手足は痺れたように震え、喉が絞られているような感覚に襲われ、声が出なくなった。母に勧められて行った精神科病院で、私は鬱病と判断された。
会社には退職届を出して、実家に入り浸る生活が始まった。最初は外に出ることもままならなかったが、少しずつ外に出れるように練習をした。夜の散歩、早朝のランニング、母とジョギング、近所の人と挨拶。練習の成果もあり、一ヶ月が経つ頃には一人で買い物に行けるようになった。近所の人と会話も交わすようになった。

元通りの自分を取り戻せてきたある日、高校から疎遠になっていた幼馴染の麻弥から急に連絡が来た。
「久しぶりに会わない?それに今のあんたになら、私の秘密の花園を教えてもいい気がする」
"秘密の花園"が何かも知らないのに、なぜか心が高鳴った。会おうと返事をして、実際に麻弥と会って紹介された彼女の秘密の花園が、歌舞伎町のホストクラブだった。
「どう?一回入ってみない?」
その言葉に静かに頷いて麻弥の後に続いた。
席に着くと、早速私たちの席の方に向かって歩いてくる男の人が見えた。麻弥が手を振ると、彼も手を振り返した。彼は麻弥の隣に座って私に挨拶をした。
「初回の子?初めまして、勇也です」
お互いに会釈を交わすと、勇也くんは麻弥に付きっきりなってしまった。暇だなあなんて、天を泳いでいると隣に人の気配を感じた。隣を見ると、勇也とは真反対の見た目の好青年が座っていた。
「初めまして、葵です。勇也さんのヘルプに付いてて、もし良ければ僕とお話しませんか?」

この瞬間、私はホストに堕ちた。

毎日のように通い詰め、葵くんを指名し、同伴アフターは勿論、プライベートでも会うような仲になった。
「僕のことこんなに指名してくれるのは君だけだよ。ほんとにいつもありがとね。」
そうやって笑ってくれる葵くんが見たくて、どんどん入れるお酒の金額は大きくなっていった。一ヶ月も経った日には身体も重ね合わせた。もう彼のことは何でも知り尽くしたし、彼のことを一番好きなのは私だと思っていたし、彼も私が一番好きだと思っていた。


「ごめん、俺」
一人で買い物をしていた時にたまたま見つけた葵くんに、声をかけようと思って気付いた。彼の隣にいた女の存在。彼の一声で気付いた。私と会う時とは違う一人称。彼と女を見て気付いた。恋人繋ぎで重なった二人の掌。二人の手を見て気付いた。薬指に輝く指輪。

あの時私は我に返って、ホストクラブに通うのを辞めた。けど、まだ彼を忘れられたわけじゃない。彼は当時、歌舞伎町に住んでいた。彼にまとわりついていたあの街の匂いは、そう簡単に消えない。

私は今日も明日も、歌舞伎町の匂いを自分につけて外に出る。

「香水」

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