寝相でズレたシーツ。
水を煽ったあとのコップ。
手じゃどうにもならなかった袋を開けたハサミ。
いつの間にか落としたパンの欠片。
着てみたらなんか違って脱いだシャツ。
向きの崩れたサンダル。
カゴに入れたはずが零れていた靴下。
ドライヤーのあとの床。
あとちょっと
その元気がなくて
きっといつかの誰かがやってくれるでしょ。
おやすみなさい。
『些細なことでも』
重だるい体を無理やり起こして、頭を振る。
寝過ぎてしまった。
ぐしゃりとシワのよった胸元を正し、はみ出た裾をしまう。いつの間にか脱ぎ捨てた靴を探し出してつっかけ、くすんだ鏡で寝癖をなんとか誤魔化した。
持ち物はとりあえず体ひとつだ。
時間が無いのだから、急がねば。
沢山の人が待っているのだから。
転ばないように靴を丁寧に履き直しながらドアに手をかけて、
しかし何故か開かないのだ。
「あれ?」
「すみませーん、誰かいませんかー」
「もしかして、なにか引っかかってるのかな」
「すみませーん」
『病室』
「は↑んそ↓で、はんそで↓、はんそで↑?」
「何やってんの…」
「いや、ちょっとわかんなくなっちゃって」
まだまだ明るい空を見上げながら、ひんやりとしたアイスをかじる。彼の持つ空に似た綺麗な色と、私の持つ夏服に似たまっさらな色。
熱で溶けきってしまう前に、早く頬張って仕舞わなければ。
とけて、ドロドロになって、落ちて、ダメになってしまう前に。
ぴとり、と湿った肌の感触は気持ち悪いはずなのに、離れがたくなってしまった。
『半袖』
お久しぶりです。
明るい話しではありません。悪しからず。
息が出来なくて、いや、息はできて、苦しくて意識が飛びそうで、それは許されていなくて。
うわごとの様に口から勝手に言葉が流れていく。
「ごめんなさい、許してください、分かりません、ごめんなさい」
手足が重だるくて、冷たくて、なのに指先は火がついたように熱くて、でも感覚がなくて。
「別に欲しいのは謝罪じゃないんだよね。手早く話してくれさえすればこっちとしても問題ないわけ。時間がないんだよ」
そこにいる人が何を言ってるかだとか、それらが誰なのかだとか、何を求められているだとか。頭の中は言葉ではなく感覚が占めていて、なにもかもが塗りつぶされている。
「ほんとに知ってるんですかね」
「いやーだって教えてもらったし、こいつが持ってることに間違いは無いはず」
「なら……」
音が途切れて。
「ちゃんとあったじゃん」
「どう考えても確認不足…」
「なんか言った?」
「猫でもいたんじゃないですか」
「ふふん、にゃ〜にはともあれ、これで怒られなくてすむね」
「早く届けて、貰って、飯食いましょ。焼肉とかどうです?」
「こんな時間にやってるのは絶対やばいだろ」
「腹ごしらえしたら、次の仕事だね」
『昨日へのさよなら、明日との出会い』
大変お久しぶりです。
二人ぼっちの、愛の話をどうぞ。
『よし、でーきた』
「今日も作ってくれてありがとうね」
木のトレイに皿を並べて、リビングへ運んでくれる。ぺたぺたと地面を歩く音にいつまでも愛しさが溢れてしまう。ガタガタと椅子を引く振動が、鼓膜と壁を震わせた。
『いただきます』
その声に合わせて、自分も手を合わせる。
『美味っ』
「うんうん、美味しいね」
ニコニコ、と満面の笑みを浮かべて頬張る君。
「あぁもう、ほっぺにソース着いちゃってるよ?」
『うわ、やばっ』
慌てて拭うその姿は、外見に似合わず幼げがあって、仕事に疲れて荒んだ心を和やかにしてくれる。
「『ごちそうさまでした』」
今日は同時に言えた。嬉しいな。
『あー…やっぱ慣れねぇなぁ』
「なにが?」
汚れた食器をそのままに、近くにあるソファへと飛び込んで、唸る。
『別れなきゃよかった…寂しすぎる…』
「私は別れて正解だったと思うけどな」
『一人ぼっちの飯ほど虚しいものは無いな』
「二人ぼっちの美味しいご飯時間じゃない」
彼はそのまま、スマホでなにかし始めてしまった。私はそれをのぞき込むほど趣味は悪くないので、目を逸らしてすっかり静かになった壁を見やる。
「この広い世界の中でずっと、二人ぼっちの生活を続けるって、約束したじゃない。」
『二人ぼっち』