: 懐かしく思うこと
懐かしく思うことなんて
俺には一つも見当たらない
なんでかって? それは…
俺には懐かしむ余裕なんて
露ほどにもなかったからだよ…
私が作ったおにぎりを見つめながら
彼は小さく呟いた
おにぎりが恥ずかしくないようにと
海苔ですっぽり包んだおにぎり
でも…
彼は静かに話し出した
俺がまだ小さかった頃
母さんがこうやって海苔で全部
包んだおにぎりを作ってくれたんだ
二人ともずっと働き詰めだったから
一人で留守番させるのが
きっと辛かったんだと思う
閉ざされた過去の扉を少し開けたのだろう
ぐっと涙をこらえているのがわかる
でも一人でお留守番できて
とってもえらかったね
そう私が言うと
彼は笑顔を浮かべながら
堪えきれず涙をこぼした
母さんもそう言って抱き締めてくれた
ごめんね、じゃなくてえらかったねって
胸が熱くて苦しくなった
一つ食べてもいい?
どんどん食べて!
うん、うまい、本当に、うまい…
今日という日がいつか
懐かしい思いにかわることを
私は心から願った
桜月夜
: もう一つの物語
実はね、このお話しには
もう一つの物語が隠されているの
パタンと本を閉じた瞳が輝いた
君は想像力に長けている
本当にそうなんじゃないかと思うほど
毎回君の話に引き込まれてしまう
今だってそうだ
こうなったらもうとめられない
僕は君の話を聞くのが好きだ
でももっと好きなのは
コロコロ変わる表情かな
その物語の登場人物のように
何にだってなりきってしまう
だから君を見ているだけで…
僕の心の中には、豊かな未来へと
続く一つの物語がある
君の物語の登場人物に
僕の名前があればいいのだが…
至福の笑みを浮かべながら
口いっぱいにケーキを頬張る君
ドキドキとワクワクが入り雑じった瞳に
君を愛してやまない僕の顔が映っていた…
桜月夜
: 暗がりの中で
真っ暗がりなぼくの心の中に
小さな光が灯ったんだ
まるで蝋燭の火が
優しく揺れるように…
丸みのある淡いオレンジ色が
ぼくに語りかけるように近づいてきて
ぼくの鼻先にキスしたんだ
なんだか照れ臭かったけど
とっても嬉しかった
寂しさで紡がれた鎖が
するするとほどけていったとき
誰かがぼくの頭を優しく撫でながら
名前を呼んでいるのが聞こえた
なおくん、おはよう…
心地好さに包まれながらそっと目を開けると
零れそうな笑顔を向けながら
ぼくを見つめるおばあちゃんがいた
ぼくは独りぼっちじゃないんだ
そう思ったとたん
ぼくのお腹がため息を漏らした
さあさあ、ご飯にしましょうね
ぼくはおばあちゃんの後を追いかけた
桜月夜
: 行かないで
私はなりふり構わず走った
どこをどう走っているのかもわからない
ただ、この機会を逃してしまえば
もう二度と会えないことを知っていた
どこっ、どこへ行ったの…
微かに聞こえるあの音だけを頼りに
私は尚も走り続ける
いたっ、やっと見つけた!
なのに屋台の親父は
私の姿を見るやいなや
猛スピードで逃げようとする
お願い、待ってぇ~、行かないでぇ~
私の焼き芋~!
私はそう叫びながら
ガバッと起きた
とある休日の昼下がり
娘を眺める母の目が
悲しげに笑っていた…
桜月夜
: どこまでも続く青い空
貴方を見送った日も
そう、こんな青い空だった
笑顔でさよならを言おうとしたのに…
貴方は優しく私の頬を拭いながら
ごめんねと呟いた
今でも頬に触れた暖かさを覚えている…
一筋の飛行機雲が振り向きながら
慰めるように微笑んだ
どこまでも続く青い空は
未来に出会う誰かさんと
きっと繋がっている
私はもう泣いていない
だって
新しい毎日が
私を呼んでいるから…
桜月夜