ジーキャー

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12/10/2024, 10:41:02 AM

 仲間。それは共通の目的を持った人物たちのこと。パーティーメンバーとも言うべきものだろう。
協力して何かを成し遂げるのも同じ。
 仲間意識を持つのは大切だろう。共に一致して行動するためにも。
 ただ私は独りでの作業が好きなのだよ。このように文章を書き紡いでいること。それは基本的には一人でしかできないことなのだから。
 しかし、仲間に見てもらえる。読んでもらえると言うのは、何とも言い難いものを感じることがある。
 感想を求めることができるというのは、仲間という読者がいてくれるからできることだと思う。
 私はただ思うがままに書き散らかしているだけなのだ。それでも、面白いと言ってくれる人がいる。それはそれで個性でもある。
 書いている人も私にとってはある種の仲間とも言えよう。テーマに沿って思うがままに、ペンを指を走らせ打ち込んでいく。短文でも長文でも良い。
 書いていくこと。読んでくれること。それ自体は無言で行われるとしても、作品を通して交流していることに他ならない。
 エッセイだろうか。物語だろうか。私が走らせるペンは、打ち込む指は、あなたにどう思われているかは分からない。
 けれど、私との作品を通した無言の交流はあなたにどんな影響を与えているのか。
 それは私にとって、知る由もないことであるーー。

12/9/2024, 10:56:47 AM

 手を繋いで、握手をする。それはスキンシップ。誰もができる友好の証。誰と手を繋ぎたいかは人それぞれ異なるもの。
同性のみだったり、異性ともだったり。相手は人それぞれ異なっている。
異性とするのは結婚している夫婦だけだったりしている。あるいは子供同士だったり。
無邪気な子供たちの握手は親愛の証でもあるかのよう。仲良しや仲直りの証明であるかのよう。
 大人になれば、最愛の人や友人たちとの握手が主になるだろう。ビジネス相手との握手も同じく。
 握手とはより親密になりたいという気持ちの表れなのかもしれない。握る強さによっても。
強く握れば、強い信頼を示したい。親愛が強い証拠となる。弱ければ愛は弱くとも穏やかなものだろう。握る強さが弱いだけかもしれなくても。
 愛の絆で結ばれている夫婦を見てほしい。あの二人が交わし握る握手は弱いものだろうか。
そうではない。強いものである。互いへの愛が強いからこそ、それが握手にも表れるのだ。
その二人が交わす握手というのは、弱いものではない。弱かったらさっと終えてしまうだろう。
 強い握手と弱い握手。どちらにしても、そこにあるのは親愛の情でもある。
 最愛の人の最期の時にも交わすのも握手である。弱々しくともそこには愛の強さが秘められている。誰もそれを邪魔するべきではない。二人だけの遺された時間を大切にするためにもーー。

ーー握手というのは、世界中で受け入れられているスキンシップの一つ。同性異性関係ない。
 握手の拒否というのはスキンシップの拒否にも繋がる。それは縁を自分で断つのと同じ意味となってしまう。それはとても悲しいものである。
けれども、握手する相手はしっかりと選ばなければならない。悪い相手との付き合いが良いものを台無しにしかねないものであるのだから。
 だからこそ、しっかりと気をつけなければならない。良い相手とのスキンシップを楽しむのなら、自分自身が良い人になれるのだからーー。

12/8/2024, 11:05:45 AM

「ありがとう、ごめんね」
 そう、彼女は呟いた。
 彼は知っている。彼女はもう長くないことを。
 病気に冒され、医者でさえ彼女の病気には、匙を投げるほどに侵攻した病気を治すことはできない。
だから、彼女は悟ってしまった。医者に告知されてきたときからずっと。もしかしたら、希望を抱いていたかもしれないが。
 けれど、現実は彼女に対して残酷を孕ませる。逃れることすら許さないと言う風に
 そんな彼女を支えているのが、幼馴染みの彼彼は彼女のためになることを自分から進んで行なった。病院への付き添いもそう。世話しない彼女の両親に頼まれているのもあるが、それはただの切っ掛けに過ぎない。
 彼はただ彼女のことが好きだから、自分から進んでできることを行なっている。想いを伝えてからも同じ。
 しかし、彼女は負い目を感じていた。病気の自分の世話よりも、彼にはするべきことが、やれることがあったはずなのに。
その時間を病気の自分に充てている。そのことで負い目を感じていた。
 彼はそんなことを気にしてなんかいないのに。むしろ、彼女の助けになれることが嬉しいまであるというのに。
 彼と彼女のすれ違いは続く。一緒の時間を過ごしているとしても、想いはすれ違うのみ。
 やがて、彼女は寝る時間が長くなった。起きている時間は短くなっていた。彼との時間も比例して短くなっていく。
だが会えた時には自分の体力を忘れてしまうほど、嬉しく感じている自分も彼女にはあった。
 そして、彼女は長い闘病の末に帰らぬ人となった。彼女の骨が埋葬されている墓の前で彼は呟いた。
「ありがとう、ごめんね」

12/7/2024, 12:19:55 PM

 押し入れの小部屋の片隅では、フローラの匂いが満ちている。
 それは隠れ家。狭く暗い所が落ち着く。入った者の心情である。
 そこには時計はあるが針は止まっている。電池切れであるゆえに。交換する予定は無い。ただのインテリアとなっている。
 人が独り入るだけで精一杯の小部屋。そこで紡がれるのは、部屋の片隅でをテーマにした物、
 息を吸い、息を吐く。ただの呼吸。けれども、思考を切り替えるにはちょうど良い。
 ランタンの明かり。それが小部屋を照らし出す。片隅に置かれたランタンは影を作り出す。
 飾られた造花の蔦はラティスに絡みついて、緑の色彩を与えている。
 ペンを走らせ、物語を紡ぎ出す。それはどんな物語なのか。
 それは誰にも分からない。筆者でさえ考えていない。
 ただ思うがままにペンを走らせゆく。物語の息吹に導かれるようにして。
 秒針を刻まない時計は何を思っているのだろうか。
 造花の蔦や花たちは何を思っているのだろうか。
 ただ、小部屋の片隅では、ペンを走らせる音だけが鳴り響くのみーー。

 ーー隠れ家小部屋にはどんな物語が眠っているのか。
それは誰にも分からない。ただ、紡がれる時を待つしか無いのだからーー。

12/6/2024, 9:59:23 PM

 もし、あなたが何かを逆さまにしたいのなら、何を逆さまにしたいのかね。
 性別かね。ホットケーキの生地かね。貧民国かね。世界そのものかね。それとも、不幸だらけの人生かね。
 何を逆さまにするかはあなた次第だ。あるいはそれは誰かの手に委ねられているのか。
 そうだとしても、諦めるべきではない。逆さまにしたいのなら、逆転させたいのなら、できるものからやっていけば良い。
できないものを逆さまにすることはできない。必要なのは見極めること。見極めなければ逆転することはできない。徒労に終わるのだ。
 この世には逆転することで成功を掴めた者と、不幸を招いた者がいる。
逆さまにしようとして失敗するのは、相手を変えようとしたこと。相手を変えるより、自分のこと。自分のことを逆さまにしようと努力すれば何らかの形で報われるだろう。
 正しい世界というのはどういう世界なのか。あなたにとっての正しい世界と私にとっての正しい世界。それは両立しうるものだろうか。
捕らえることが正しい世界と抜け出すことが正しい世界。相反するものが両立できるだろうか。
 自分だけの世界というのは、コインのようなもの。幸せの表と不幸の裏。何度もコイントスをしなくてはならない。何がコイントスに当たるかは人それぞれ異なるものである。
 さて、冷めゆくぬるま湯は逆転できるのか。傍観者としては見物であるがねーー。
 
ーー冷めゆくぬるま湯。それはブラックよりも濃いブラックに墜ちていった企業のこと。
 熱意を失い、冷めた鉄を鍛えることはできるだろうか。新たな熱もやがては冷めゆくばかり。
 傍観者はただ見るだけ。何も力も知恵も与えることは無いのだからーー。

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