手を繋いで、握手をする。それはスキンシップ。誰もができる友好の証。誰と手を繋ぎたいかは人それぞれ異なるもの。
同性のみだったり、異性ともだったり。相手は人それぞれ異なっている。
異性とするのは結婚している夫婦だけだったりしている。あるいは子供同士だったり。
無邪気な子供たちの握手は親愛の証でもあるかのよう。仲良しや仲直りの証明であるかのよう。
大人になれば、最愛の人や友人たちとの握手が主になるだろう。ビジネス相手との握手も同じく。
握手とはより親密になりたいという気持ちの表れなのかもしれない。握る強さによっても。
強く握れば、強い信頼を示したい。親愛が強い証拠となる。弱ければ愛は弱くとも穏やかなものだろう。握る強さが弱いだけかもしれなくても。
愛の絆で結ばれている夫婦を見てほしい。あの二人が交わし握る握手は弱いものだろうか。
そうではない。強いものである。互いへの愛が強いからこそ、それが握手にも表れるのだ。
その二人が交わす握手というのは、弱いものではない。弱かったらさっと終えてしまうだろう。
強い握手と弱い握手。どちらにしても、そこにあるのは親愛の情でもある。
最愛の人の最期の時にも交わすのも握手である。弱々しくともそこには愛の強さが秘められている。誰もそれを邪魔するべきではない。二人だけの遺された時間を大切にするためにもーー。
ーー握手というのは、世界中で受け入れられているスキンシップの一つ。同性異性関係ない。
握手の拒否というのはスキンシップの拒否にも繋がる。それは縁を自分で断つのと同じ意味となってしまう。それはとても悲しいものである。
けれども、握手する相手はしっかりと選ばなければならない。悪い相手との付き合いが良いものを台無しにしかねないものであるのだから。
だからこそ、しっかりと気をつけなければならない。良い相手とのスキンシップを楽しむのなら、自分自身が良い人になれるのだからーー。
12/9/2024, 10:56:47 AM