「ありがとう、ごめんね」
そう、彼女は呟いた。
彼は知っている。彼女はもう長くないことを。
病気に冒され、医者でさえ彼女の病気には、匙を投げるほどに侵攻した病気を治すことはできない。
だから、彼女は悟ってしまった。医者に告知されてきたときからずっと。もしかしたら、希望を抱いていたかもしれないが。
けれど、現実は彼女に対して残酷を孕ませる。逃れることすら許さないと言う風に
そんな彼女を支えているのが、幼馴染みの彼彼は彼女のためになることを自分から進んで行なった。病院への付き添いもそう。世話しない彼女の両親に頼まれているのもあるが、それはただの切っ掛けに過ぎない。
彼はただ彼女のことが好きだから、自分から進んでできることを行なっている。想いを伝えてからも同じ。
しかし、彼女は負い目を感じていた。病気の自分の世話よりも、彼にはするべきことが、やれることがあったはずなのに。
その時間を病気の自分に充てている。そのことで負い目を感じていた。
彼はそんなことを気にしてなんかいないのに。むしろ、彼女の助けになれることが嬉しいまであるというのに。
彼と彼女のすれ違いは続く。一緒の時間を過ごしているとしても、想いはすれ違うのみ。
やがて、彼女は寝る時間が長くなった。起きている時間は短くなっていた。彼との時間も比例して短くなっていく。
だが会えた時には自分の体力を忘れてしまうほど、嬉しく感じている自分も彼女にはあった。
そして、彼女は長い闘病の末に帰らぬ人となった。彼女の骨が埋葬されている墓の前で彼は呟いた。
「ありがとう、ごめんね」
押し入れの小部屋の片隅では、フローラの匂いが満ちている。
それは隠れ家。狭く暗い所が落ち着く。入った者の心情である。
そこには時計はあるが針は止まっている。電池切れであるゆえに。交換する予定は無い。ただのインテリアとなっている。
人が独り入るだけで精一杯の小部屋。そこで紡がれるのは、部屋の片隅でをテーマにした物、
息を吸い、息を吐く。ただの呼吸。けれども、思考を切り替えるにはちょうど良い。
ランタンの明かり。それが小部屋を照らし出す。片隅に置かれたランタンは影を作り出す。
飾られた造花の蔦はラティスに絡みついて、緑の色彩を与えている。
ペンを走らせ、物語を紡ぎ出す。それはどんな物語なのか。
それは誰にも分からない。筆者でさえ考えていない。
ただ思うがままにペンを走らせゆく。物語の息吹に導かれるようにして。
秒針を刻まない時計は何を思っているのだろうか。
造花の蔦や花たちは何を思っているのだろうか。
ただ、小部屋の片隅では、ペンを走らせる音だけが鳴り響くのみーー。
ーー隠れ家小部屋にはどんな物語が眠っているのか。
それは誰にも分からない。ただ、紡がれる時を待つしか無いのだからーー。
もし、あなたが何かを逆さまにしたいのなら、何を逆さまにしたいのかね。
性別かね。ホットケーキの生地かね。貧民国かね。世界そのものかね。それとも、不幸だらけの人生かね。
何を逆さまにするかはあなた次第だ。あるいはそれは誰かの手に委ねられているのか。
そうだとしても、諦めるべきではない。逆さまにしたいのなら、逆転させたいのなら、できるものからやっていけば良い。
できないものを逆さまにすることはできない。必要なのは見極めること。見極めなければ逆転することはできない。徒労に終わるのだ。
この世には逆転することで成功を掴めた者と、不幸を招いた者がいる。
逆さまにしようとして失敗するのは、相手を変えようとしたこと。相手を変えるより、自分のこと。自分のことを逆さまにしようと努力すれば何らかの形で報われるだろう。
正しい世界というのはどういう世界なのか。あなたにとっての正しい世界と私にとっての正しい世界。それは両立しうるものだろうか。
捕らえることが正しい世界と抜け出すことが正しい世界。相反するものが両立できるだろうか。
自分だけの世界というのは、コインのようなもの。幸せの表と不幸の裏。何度もコイントスをしなくてはならない。何がコイントスに当たるかは人それぞれ異なるものである。
さて、冷めゆくぬるま湯は逆転できるのか。傍観者としては見物であるがねーー。
ーー冷めゆくぬるま湯。それはブラックよりも濃いブラックに墜ちていった企業のこと。
熱意を失い、冷めた鉄を鍛えることはできるだろうか。新たな熱もやがては冷めゆくばかり。
傍観者はただ見るだけ。何も力も知恵も与えることは無いのだからーー。
好きなものこそ上手なれ、と先人は言った。それは諺として今も伝わっている。
だがしかし、眠ることを忘れて熱中してしまうものがあるのを、先人は見越していただろうか。
眠れないほどまでに熱中する。良くあることかもしれない。けれど、眠れるなら寝たほうが良い。
睡眠とは回復のためにあるもの。睡眠をしなくては負債のように積もり積もってしまう。
睡眠というのは返済できるならしたほうが良いものだ。
何になるかは私は知る由もない。けれど、一つだけ道標として言うならば、負債者になるよりも返済者になりなさい。
そうなれば、身体にも良いし、富にも恵まれるだろうから。
健康を害して富を得たとしても、治療のために飛んでいってしまうもの。そのためだけに富を得たわけでは無いだろう。
それが嫌ならば、返済者になる努力をすることだ。たとえそれが地道なものであったとしても。
その地道な努力を積み重ね続けた先にこそ、本当の意味での健康と富は巡りやってくるものだからーー。
ーー眠れないほどまでに熱中できるもの。それを持っているのは、果たして何人だろうか。
多くの人は熱中していると思っていても、本当の意味においてはできていないのかもしれない。
あるいは、熱中していると錯覚しているのかもしれない。
削除されれば、アンインストールしてしまえば、何も残らないデータの掌の上で転がるようにダンスしていると、気づいていないのか。それとも、気づいているのか。
真相は転がす者の掌の上なのかもしれないーー。
懐かしき夢と現実の単調さに飽き飽きしている。
けれど、夢は懐かしさを損なうことなく、今も鮮明さを帯びている。
現実はただただ単調でしかないというのに。
単調な現実に相反するかのようにして、懐かしき夢は日々鮮明に色彩を放っている。
一体どういうことなのだろう。何かの病気なのだろうか。
それとも、夢からの何かしらのサインなのだろうか。それは自分には分からない。
しかし、この相反さを楽しんでいる自分に気づく。
日ごとに鮮明さを強めていく夢と、日ごとに単調なつまらない現実。
何時のころからか、夢を見ていることを楽しんでいる自分がいた。
そして、堕ちていくことに気づかないまま、夢と現実が逆転してしまった。
けれども、それも仕方ないのかもしれないのだと思う。現実のほうがあまりにも単調でつまらないのだから。
つまらない現実よりも楽しい夢のほうが良いだろう。
そうして、ついにはつまらない現実はなくなり、色彩豊かで楽しい夢だけが残ったのであるーー。
ーー現実がつまらないと感じ、夢が楽しいと思うのなら、気を付けたほうがいい。
夢と現実が逆転するとは、即ち、生と死が逆転するということなのだから。
彼がどうなったかなんて、聡明な者にとっては、思考を巡らすだけで分かるだろう。
つまらない現実の単調さは、別の単調と同調することによって、ただの単調さから抜け出せるはずなのだからーー。