【降り積もる想い】
横断歩道を渡る。右足から入り、白線のみを踏んで渡る。14歩で渡り切る道である。
清滝潔(きよたききよし)は道路舗装会社のライン工である。
彼は降り積もった雪の上からでも、白線の位置を把握することができた。寸法を覚えているのだ。
対岸へと渡り切り、来た道を振り返る。学生らしき女性が横断歩道を渡ろうとしている。
清滝はそれとなく彼女を見守る。そう、右足からだ。その位置でいい。女性が4歩ほど歩いたところで、清滝は異常を察知した。歩幅が合わない。このままでは女性は黒いアスファルトを踏んでしまう。彼女には雪の下に隠れた白線とアスファルトの境目が見えていないのだ。
「危ない!」
清滝は横断歩道を走って戻り、女性を突き飛ばした。女性は後ろ向きに転んで雪の積もった地面に手をついた。女性は震える足でなんとか立ち上がり、脇目も振らず逃げていく。
清滝は女性を追わなかった。自分は当然のことをしたまでだ。お礼を言われることでもない。
翌日、清滝は傷害罪の疑いで逮捕された。
【心の片隅で】
※ホラーの要素があります
朱肉は人の血ではない。そんなことは誰でも知っている。では何の血か。それは市役所前の石像脇に打ち捨てられたマスコットキャラの成り損ない、その血だ。
○○市には他の多くの市と同様に、市の鳥というものがある。○○市の鳥は文鳥だ。それをもじって、マスコットキャラの名前はブンチッチ。ブンチョウの頭三文字のブンチをとってブンチッチ。その残りはョウ。市役所脇には成り損ねたョウが倒れている。
ョウは半端なところで切られて血を流しているが、まだ生きている。ドクドクと流れた血を市役所の職員が回収する。職員と言っても短期のバイトだ。この仕事は正気で長くは続けられない。マスクをしても、腐った柿に酢を混ぜたような臭いに中ってしまうから。
回収された血は、煮沸消毒された後、濾されて朱肉となる。これが全国に出荷される。○○市だけで全国の朱肉の90%を賄っている。
市役所の前を通る度、心の片隅でョウのことを考える。
婚姻届に捺印する。うっかり人差し指の先に朱肉をつけてしまった。酸が鼻腔を突いた気がした。
【雪の静寂】
レベチのNoNameさんがいる。
場面設定、語句の選択、心理描写、その他文章から滲む魅力諸々が非凡すぎる。
あなたは名のある作家で、戯れにNoNameで書いているのだろう。そうでなければ説明がつかない。
「もっと読みたい」をタップする。広告が流れる。
書き出しの「レベチのNoName」に敬称をつけた。
外は雪ではないし、静かでもない。
【凍える指先】
「若者たちの【ネオダジャレ】が気になる」
「ダジャレが進化 若者が使う「ネオダジャレ」とは?」
「若者が使う『ネオダジャレ』の実態」
「ダジャレ」で検索すると、ダジャレが流行していることについての記事がたくさん出てくる。
ダジャレは寒いものという考えがなくなって、禁忌感が薄れてきたという感じだろうか。
寒いと言われてきたかつてのダジャレは、自分がウケようとするためのものだったように思う。機転のきく面白い自分を見てくれという雰囲気が、寒いと言われることにつながっていたのかもしれない。
ダジャレと似た概念に掛詞がある。
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」 小野小町
「ふる」が、時が経つ、老いるという意味の「経る」と、雨が「降る」という意味の掛詞になっている。また、「ながめ」が「眺め」と「長雨」の掛詞になっている。
意訳すると次のようになると思う。
花の色は移り変わってしまったな。むなしく時を過ごして、長い雨が降る中、ぼんやりと遠くを見ている間に。
文章をおしゃれに見せるための修辞法という意味で、ダジャレと掛詞は共通している。むしろ、ほぼ同一のものなのかもしれない。
掛詞には寒いという認識はないが、あまり修辞を凝らしすぎると嫌味に見えるということはあるだろう。ダジャレも掛詞も、かっこいい自分を演出しようという意図が見えると寒くなりそうだ。
相手との会話をスムーズにしたり、会話を和やかにしたりする目的なら、素敵な趣向になるのだと思う。
ダジャレが流行っていると見て、無闇にダジャレを連発することにはリスクが伴いそうだ。相手の気持ちを重視しての運用が望まれるだろう。
このまま、ダジャレの流行が続いてくれると個人的にはうれしい。
でも、流行っているからと見て、「やばたにえん」や「了解道中膝栗毛」といったダジャレを、相手のことを考えず連発していては、せっかく再流行したダジャレがまた寒いと言われてしまう日が近づいてしまいそうだ。
これらのダジャレ自体は素敵でも、運用が独りよがりだと印象が悪くなってしまう。
とは言うものの、ダジャレとは難しく考えず自由で楽しく、気軽なものであってほしいとも思う。どのあたりを取るか、難しい。
外に出ると指先が冷えて仕方がない。そーとー寒いからね。
これは、寒いダジャレの例だね。(二重の意味で)
【雪原の先へ】
屋根から垂れ下がったつららを、スコップで叩いて落とす。
「大きくなると落ちたとき危ないから」
父はアパートの廊下を移動しながら、順につららを落としていく。
3歳の僕は「自分もやってみたい」というようなことを言ったはずだ。力が足りないから、父が握るスコップに手を添える程度だったのだと思う。それでも、つららを叩くガンッという手応えが伝わってきた、ような気がする。
これは、僕が思い出せる限りで最古の記憶だ。幼い頃の記憶だから曖昧で、時系列上、本当に最古なのかは自信がないけれど。
産声を上げたときのことは全く記憶にない。そこからつらら落としの間の記憶も定かでない。だから、僕の人生は、実質、このつらら落としから始まったのだ。
父が紐でソリを引く。僕はソリに乗っていただろうか。あるいは、ソリに載っていたのは落としたつららだったろうか。
雪の降り積もった道を、父と進んだ。