好きな色? そうだなぁ。
きつね色、っていいよね。焼き色とかの表現で言う、少し黄みがかった茶色。ふっくらつやつやしたパンケーキの表面がきつね色だよ、ってだけで嬉しくなる。
黄色もいいよね。ほとんど白ってくらいの、薄黄色が特に好きかな。そうそう、バターくらいの色。あったかいものの上で、じわじわ〜と溶けて白いのが広がっていくのなんて最高。ヴェールをかけたみたい。
レタスの黄緑とか、トマトの赤とかもいいよね。オレンジなんかは、最近はビタミンカラーって言うんだっけ? いいよね、ビタミンカラー。まさに栄養たっぷり!って感じ。見てるだけでも活力湧いてくるよね。
「もしかしてお腹すいてるの?」
「あなたがいたから、頑張れました!」
「あなたがいたから励まされたんです!」
「あなたがいたから満足ゆくまでやりきる事が出来ました!」
「あなたがいたから挑戦出来ました!」
「あなたがいたから!!」
全部、過去形。
それなら今ここに居るわたしって、なぁに?
ぷつんと音がするまで、電源を押し込んだ。
高いところが怖い、と言うと、恋人は面白がるように笑った。
「何だよ、『ガラス張りの床』とかならともかく、こんな柵がしっかりした展望台まで怖いのか?」
彼は怖がる私の反応を面白がって、わざと柵に両手をかけて、上半身を乗り出してみせる。
「ええ、怖いの。どうしようもなく────だって、ほんの一瞬気を抜いたそれだけで、落ちてしまったら怖いじゃない。こんな風に」
とん。押す手に力は殆ど入れなかったけど、彼がバランスを崩すには十分だった。
「え?」
彼のガラス玉みたいに真ん丸く見開かれた瞳が視界に入らなくなるまで、ずっと見下ろした。
たとえば。
明日、配偶者が倒れて死んでしまうかも知れない。
明日、父親が事故に遭って、歩けなくなるかも知れない。
明日、母親が事故を起こすかも知れない。
明日、兄がアパートを追い出されるかも知れない。
明日、妹が恋人と結婚出来ない法制度に泣くかも知れない。
明日、友人が「離婚したい」と相談してくるかも知れない。
悲観主義者のようだけれど、どれも「絶対に有り得ない」なんてことは無い。むしろ、自分自身に起こる可能性だって、十分にある。
どれも起こりうる「明日の私」の姿だ。
「明日の私」を否定しないで済むように。「明日の私」を追い詰めずに済むように。
やさしく生きたい。
ちょうど一年前、私は彼とふたり家族だった。
今は別のひととふたり家族。
一年間って、長いようで、早いようで、何とも絶妙だ。
例えば彼がいなくなってしまったことはまるで昨日の出来事みたいに胸を苛むのに、一昨日の朝ごはんに何を作ったかなんてそんなことは思い出せないのだから。
窓から射し込む朝の光に目を細めていると、ぱしん!と頬を叩かれる。眉を寄せてゆっくり体を起こした。
「んー⋯⋯まぁ!」
「もう、叩かないでってば」
彼そっくりのくせっ毛を直してやって、よいしょっと掛け声をつけて抱き上げる。随分と重くなった。
一年前は影も形も無かった癖に。
「朝ごはんは何にしようかなー」
「ぱぁ、あぶー」
とりあえず。彼のことを忘れるのには、一年じゃあまだ足りないみたいだ。