「ドクター、貴女を愛しているんだ」
彼は確かにそう言った。しかし、先程から勢いは衰えず、フードまで外される始末だ。
「待って、将軍……それ以上は」
さよならを言う前に
自分の顔や肌を隠すのが習慣になって、いつしか晒すことが恐怖に変わっていた。信頼できる相手にもそれは変わらず、誰も私の顔は知らないまま。
テラを離れた今もそれは変わらない。刀剣男士はともかく、審神者たる者は黒や茶色の控えめな色目の髪や瞳が多い。
それもあって、変わらず隠していた。
誰にも見せることなんてもうないと、思っていたはずだったのに。
「主、ちっくと聞きたいことが……」
髪の毛を乾かしていた時、背後から声をかけられた。鏡越しに目が合って、何も考えずに振り返った。
「おお!おまさん、綺麗な顔立ちをしちゅーやいか」
心臓が止まるような感触がした。
「鏡」
「まさか本当に“天使”になるなんて、誰が思うんだよ」
その棺の蓋が固く閉ざされ、花一つ添えることも叶わず。男はただ静かに送り出すことしかできなかった。
持ち主を失った麦わら帽子は燃やされることなく、助手席に在り続ける。
かつて人が行き交った水の都。
欠け落ちた柱は水路に突き刺さり、城は蔦に覆われている。通りすぎた戦禍すらも、過去のものになろうとしている。
「エノの傍は落ち着くんだ。苦しい気持ちも和らぐし、涼しくて心地いい」
騎士は見つめる。隣に座る魔女は、かつて仲間として戦っていた魔法使いだった。彼らは今、廃城の屋根に座っている。
「それは良かった……。その、ディートヒさんはどうしてこちらに?」
「俺のばあちゃんがここの出身でな。その、まぁ……あんまり長くないらしくて。もう一度だけ行きたいと言っていたらしい」
二人は辺りを見下ろす。建物や道路は根元から崩されており、辺りを歩くのは得策とはいえないだろう。
「さすがに箒に乗せるのは……どうしたものか」
悩む騎士の横顔、その向こう側の丘には教会が建っていた。
「ディートリヒさん、教会までなら移動できるかもしれません」
「そうか、そこがあったか。歩道も整備されているし……なんとかなりそうだ、ありがとう」
解決の糸口が見えたと同時に、澄んだ鐘の音が響き渡る。
「もうこんな時間か。どうした、エノ」
「いえ……なんでもありません。今日こんな風にお会いできたのが嬉しくて……」
「はは、まるでまた別れるみたいじゃないか。安心しろ、お前と一緒に西の森へ帰るつもりだ」
騎士は皆を逃がすために囮になり、姿を消した。生きているのが奇跡と言われ続ける中、魔法使いは奇跡を信じていた。堕落した仲間を戒め、ただ一人で依頼をこなし続けた。
「すまなかった。俺がいない間、ずっと一人で頑張ってたいたんだろう?」
魔女の頬に落ちた雫を、騎士は指でそっと拭う。
「帰ろう、エノ。お前には俺がいる」
『福音と雨音』
「鐘の音」
「こんばんは、お嬢さん。月が綺麗な夜ですよ」
二十歳の誕生日を迎えた零時、開け放っていた窓。枠に収まるようにして、紳士は体を滑り込ませた。
「……ジャック?」
姿形など知らぬはずなのに、咄嗟に出た名前。親の目を盗んで交わしていた文通の相手。私と似た銀の髪に、透き通る青い瞳。臙脂色の外套を羽織る姿は、誰もがイメージする英国紳士そのものだ。
「えぇ。準備はよろしいですか?」
差し出された手を迷いなく取る。
『差し込む自由』
テーマ
「鳥かご」