未来。未来ねえ。明日のことをどうこう言うのも面倒なのにさあ、未来なんて。せいぜい鬼でもくすぐって、そこらで爆笑させとけば? 人間は時間に逆らえないし、時間を追い越すこともできない。未来に希望をなんて言うけれど、そんなものより今眠ることを考えたらいい。別に希望を持つのが悪いなんて言わないけど、希望を持ちたいのは不安だからでしょ? 太陽のない時間に考え事なんてやるのは、その不安に餌をやるのと同じこと。
だから、今はおやすみ。未来なんてそんなもの、ただの白紙の日記帳に過ぎないんだからね。
「未来」
一年前の夏も暑かった。
ソーメンを啜る夜にふとそう思った。めんつゆから持ち上げたソーメンを一時停止させて、それからめんつゆの中に帰した。生たまご入りのめんつゆ、おばあちゃんには受け入れてもらえなかったな。信じられないものを見る目で見られて、でも別に何をいうこともなく、一緒にソーメンを食べたっけ。
隣でカランと氷が鳴った。グラスいっぱいの水に緩んだ氷が鳴いたのだ。クーラーが効いた部屋でも、グラスは結露から逃れられない。冷たい水で喉を潤す。
一年前の夏、おばあちゃんがいない初めての夏だった。なんだか夏が空っぽになって、私にはもう夏は来ないのだと思った。実際にはそんなことまったくなくて、また夏は来て、私はこうやってソーメンを食べているけど。
一年前、一年前、一年前が積み重なって、ほんの一年分の過去を見ながら、きっと私は未来へ行くのだろう。
一年前の私が、一年前を見て泣きじゃくっていたように。今の私がソーメンを啜っているのを、来年の私は思い出すだろう。……たぶん。
「1年前」
好きな本ですって? そりゃもう山のようにあるわ。比喩でもなんでもなく、ほんとうにそうなのよ。家に置いた私の背丈よりも高い程度の本棚じゃあ全然足りない。学校の図書館の書架みーんな使ったって足りない。だから好きな本の中から泣く泣く厳選して選び抜いてやっと家に置くものを決めないと、私の家なんてそれはもう私の家じゃなくて本の家になっちゃうってくらいにはね。
でもね、ある詩を知ってね、そりゃあ私の家がそんなふうになっちゃうのも当たり前よって納得したの。
あなた、知ってる?
“世界は一冊の本”って。
「好きな本」
雨が降るのか降らないのか、どんより灰色に垂れ込めた雲の合間から、かすかにだけ差すやわい日差しの美しいこと。
うすぼんやりしたその光、鈍色の雲の向こうには確かに晴れ間があるのだと、そう教えてくれるあわいの足掻きか愛おしい。
だから、開かぬ傘を持ち、日差しもまばらな道をゆくのだ。
「あいまいな空」
雨が好きなので、傘を差してご機嫌。人がいないことを確認して、傘をくるくる回しながらご機嫌。濡れた道路の中で、水溜りになっていないところを注意深くスキップ。パラパラと傘を雨粒が叩く軽快な音が楽しくて笑った。雨雲を透過してやってくる日差しは、夏の兆しを纏ってもなお優しい。雨の日の特権、明るいだけの夏の太陽。足元からくる爽やかで、しかし湿った空気の中を踏み進む。すると、この季節の雨が一番似合う彼ら彼女らがお目見えだ。
ああ、この辺だとそういう気分なのね、と、訳知り顔で頷いてみてからふと笑う。美しい青。少しスモーキーで柔らかで、雨の滴を弾いて光る花々の連なり。向こうの子達は赤紫がかっていたけど、ここの子らはどこまでも青だ。
梅雨の雨足は強まるだろう。それに負けじと花々は上向き、一層咲き誇る。まんまるかわいい花束たちは、ただそうやって誇らしげ。
最近紫陽花が好きになったので、私は彼らに挨拶を。きっと空の雲から見たら、私のビニール傘だって、紫陽花模様に見えるだろう。
「あじさい」