この歳になってまで、花びらに気持ちを託すことになるなんて思わなかった。好き、嫌い、好き、っていう、花占い。小さい頃はよくやってた。玄関前のマットを花びらだらけにしてはお母さんによく叱られたけれど、最後には笑って許してくれた。お母さんもやったことあるの、なんて。
嫌い、好き、嫌い。
ねえ、フィボナッチ数列って知ってる? ううん、大した意味はないんだけど。
ね、この花占いが終わる頃に聞いて。このマーガレットの花びらがみんななくなったら、きっと。
「好き嫌い」
あたしの故郷は田舎町。見渡す限りの田園風景、遮るものは何にもないから、遠くの山に霧がかかるのも、それが晴れるのさえみーんな見えた。その霧の隙間にみかんの木があるのまで、みーんな。
バスに乗って、電車に乗り換えてガタゴト揺られて合計一時間くらい、あたしの故郷の近くでは、一番大きな街に行けた。初めて行ったときにはびっくりしたな。山が見えないの。ビルの背が高すぎてね。ほんと、目が回るかと思った。どこにもここにもあたしの故郷くらいに濃密な緑は見当たらなくて、その代わり、細っこい街路樹が窮屈そうに、まるで申し訳程度の彩りのためにちょびっと添えられたパセリくらいの緑色をしていた。ああ、ここが都会なんだなって思った。花の色の代わりにショーウィンドウのマネキンがカラフルを誇示して、畑の実りの代わりにあっちこっちのカフェが競うようにコーヒー豆を挽いていた。これが都会なのか、って、そう思った。
最初はね、そのキラキラが羨ましくて、羨ましくて、あたしもいつかはここに、なんて、思った。思ったことがあるの、意外でしょ? そうでもない?
まあそうか、今、あたしはここにいるものね。
でもね、時々、本当に時々、無性に恋しくなるの。胸を掻きむしりたくなるくらい、遠くの山にかかる霧が。
女は一つ息を吸って、ふぅ、と、紫煙を吐き出した。
「街」
オルゴールの中身を眺めていたい。グランドピアノでもいい。
葉っぱの葉脈だけを栞にしたい。そこにそっとハルジオンを添えて。
浴衣着て下駄履いて神社の石段を登りたい。登り切ったらラムネを飲みたい。
夜道を一人で歩きたい。こわごわとでなく、堂々と。
丸一日ぐっすり眠ってみたい。一度も起きずに、眠ってみたい。
そして目覚めたその時に、やなことぜんぶ、忘れていたい。
「やりたいこと」
朝は嫌いだ。寝汚い私はいつも、携帯電話のアラームに叩き起こされるのだけど、そういう時はあと五分がお決まり。朝なんて来なきゃいいのに、それならずっと寝てられるのに、そんなおはようが恒例なのだ。今日だってそう。アラームに手を叩きつけるようにしてその音を止める。携帯電話に恨みはないし、それどころか常日頃お世話になっているわけだが、この瞬間だけは親の仇だ。許せ。アラームの音が止まってからも、少しだけぼうっと壁を眺める。そして少ししてから、のっそりと起き上がる。
嘘、アラーム設定時間からもう五分も経ってる。
毎朝こんな感じ。近頃は梅雨の気配がして、部屋の空気は少し重い。体を引き摺るようにして窓辺に立つと、一思いにカーテンを開いた。シャッ、と、遮光カーテンもレースのカーテンもいっぺんに。
途端、目を焼くのは朝の日差し。頬にぶつかる光。
うっ、と、目を細めて一秒間。そろそろと開くと、全く憎たらしいほどに青空。
恨みがましい私に口笛でも吹きそうなほど晴れ渡る空は、私の頬に朝日を投げて、私の鼻先はぽかぽかだ。
私の一日はそうやって、どうにかこうにか始まる。
「朝日の温もり」
そして未だ選べずに、ここにじっと立ち尽くしている。
「岐路」