冬野さざんか

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 あたしの故郷は田舎町。見渡す限りの田園風景、遮るものは何にもないから、遠くの山に霧がかかるのも、それが晴れるのさえみーんな見えた。その霧の隙間にみかんの木があるのまで、みーんな。
 バスに乗って、電車に乗り換えてガタゴト揺られて合計一時間くらい、あたしの故郷の近くでは、一番大きな街に行けた。初めて行ったときにはびっくりしたな。山が見えないの。ビルの背が高すぎてね。ほんと、目が回るかと思った。どこにもここにもあたしの故郷くらいに濃密な緑は見当たらなくて、その代わり、細っこい街路樹が窮屈そうに、まるで申し訳程度の彩りのためにちょびっと添えられたパセリくらいの緑色をしていた。ああ、ここが都会なんだなって思った。花の色の代わりにショーウィンドウのマネキンがカラフルを誇示して、畑の実りの代わりにあっちこっちのカフェが競うようにコーヒー豆を挽いていた。これが都会なのか、って、そう思った。
 最初はね、そのキラキラが羨ましくて、羨ましくて、あたしもいつかはここに、なんて、思った。思ったことがあるの、意外でしょ? そうでもない?
 まあそうか、今、あたしはここにいるものね。
 でもね、時々、本当に時々、無性に恋しくなるの。胸を掻きむしりたくなるくらい、遠くの山にかかる霧が。

 女は一つ息を吸って、ふぅ、と、紫煙を吐き出した。

「街」

6/11/2024, 3:20:57 PM