「あら、珍しい」
保健室に入った私たちを見た先生が開口一番、そう言ってきた。
保健室の先生なんて職員紹介の時ぐらいしか見たことがないけど、男子生徒からも女子生徒からもファンが多いらしい。その理由はキリッとした整った顔立ちと話術だと噂好きな友達が言っていた。
ここに来るのは初めてだ。ということはさっきのは先輩に向けての言葉?
そう思っていると先生は先輩をイスに座らせておでこの傷を消毒し始めた。
「こんな傷こさえてしかも涙の跡……さしずめ失恋ってところかしら」
「……違う。……わからないことがわからないんだ」
「なるほど。私に恋愛のいろはを学びに来たってことね」
「違う」
「わかるわぁ。私も愛するあの人との恋愛成就のためにどこにも書けないこととか色々やったのよ。だから様々なおまじないや恋愛テク」
「違うと言っているだろう!!」
悲鳴にも似た叫びがビリビリと鼓膜を震わす。思わず目を瞑って身を固くしてしまったほど、感情が籠りすぎた声だった。
先生も先輩のその声に驚いたようで目を丸くしてぱちぱちとまばたきをしていた。
「こんな時ぐらい親身になってよ……何かあったのって訊いてよ……お姉ちゃん」
「へっ!? お姉ちゃん!?」
私のリアクションに先生がちょっと照れくさそうに笑う。
いやそこ照れるとこじゃないでしょ……と思ったけど、それが先輩との血縁を感じさせてものすごく腑に落ちた。
……でも先生と先輩、あんまり顔は似てないような気がする。まあ言うだけ野暮だから黙っておこうかな……
「……あなたからお姉ちゃんって言葉が出るなんて。これは中々の重症ね。
……そこの生徒さん、るりちゃんがこうなった原因をご存じ?」
「これだ」
先輩がスカートの隠しポケットから四つ折りにされた一枚の原稿用紙を取り出した。
先生はそれを広げて、そこにあるリンドウの押し花とKissマークを見て目を伏せた。
「……なるほどね。あの子たちの懸念は当たっていたのね……」
「何か知ってるのか!?」
先生は何も言わずに一枚の紙を先輩に手渡した。
私も後ろから覗き見したけど、喫茶店の情報が書かれているごく普通のショップカードだった。
「次の日曜日、そこに行きなさい。店には私が連絡しておくから」
有無を許さない圧を感じて私も先輩も思わず頷いていた。
先生はニコッと笑って、先輩のおでこに絆創膏を貼り付けた。
「せっかくの可愛い顔なんだからこれっきりにするのよ。るりちゃんのファンも多いんだから」
「……別に、興味ないし」
「まあまあ。
それじゃ日曜日、忘れないでね。時間はまた伝えるから」
「あ、はい。……ありがとうございました」
私と先輩は揃って保健室を後にする。
先輩と先生のことを訊きたかったけど、先輩から訊くなオーラが出ていたからとてもじゃないけど怖くて訊けなかった。
そして、あっという間に日曜日がやって来た……
【いつか見た花 5/10】
「なあ君。私はどうしてこんな口調なんだ?」
「……何かの哲学ですか?」
「いや、そういうわけではないのだが……」
むーっと頭を抱えて先輩が眉間にシワを寄せる。
こんなの先輩らしくない。おかしい。
先輩は明るく快活で竹を割ったような性格で裏表が全くないけど人の話を聞かないし、興味のあることにまっしぐら。やると決めたことにはすぐに取りかかるけどそれ以外のことは全然なのだ。
こんな何かに悶々と悩んでじっくり考える先輩なんて、見たことがない。
先週二日も休んだりしてたけど、その前から何かあったのかもしれない。
忘れていたことを思い出したとか言ってたけど、それが原因とか……?
「……口調というのはその人の環境や気質もあるが、何よりも感銘を受けたものに影響されやすい。
中二病とかその最たる例だな。
……私の周りにいたのか? それか私が忘れているだけでこれまで呼んだ本にあったのか……?」
ものすごく難しそうな顔をしてブツブツ言う先輩に何と声をかけたら良いかわからなくて、でも何も手につかなくて。
先輩の独り言と時計の針の音だけが部室に響く。
「なぜだ!!」
急に先輩がそう叫びながら頭を机に打ちつける。
突然なことに呆気にとられていたけど、何度もゴンゴンと叩きつけるのを見て、やっと思考が追いついた。
「先輩っ! 何してるんですか!?」
乱心した先輩を羽交い締めにして、どうにか止める。
でも先輩は力ずくで私から離れて、今まで見せたことのない涙に濡れた顔を見せた。
「わからない、わからないんだ!!
大切なことがあったはずなんだ! 私に多大なる影響を与えたはずの何かが!
だって! 私は一年の時文芸部なんかに興味なかった!
なのに二年になって、なんでこの部を無くさないように奔走したんだ!?
口調だってこんなんじゃなかった! もっと普通の話し方をしてたんだ!
私は……私は何を忘れたんだ!?
わからない……わからなくてどうにかなりそうなんだ!
ねえ、助けて……お願い……!」
そう言って泣き崩れた先輩を慌てて受け止める。
ボロボロと大粒の涙を流している先輩にいつもの姿はない。
それにすごく胸が締め付けられる思いがして、苦しくなる。
「……先輩。まずは一旦落ち着きましょう。
それから保健室に行って絆創膏貰いましょうか。
おでこに血が滲んでますから」
「……うん」
先輩がここまで取り乱すなんて、いったい何を忘れたんだろう? 過去に何があったんだろう?
だけどそれを一番知りたいのは紛れもなく先輩自身だ。だから私は出来ることをできるだけやろう。
そう静かな決意を固めながら私は先輩を抱きしめていた。
【いつか見た花 4/10】
今日は祖母の一周忌だった。
あれから一年経ったのか、と時の速さに少々驚く。
訃報を聴いた時は溢れる気持ちを抑えることが出来ずにただただ涙を流していた。
今は多少我慢できるようになったが、やはり祖母の事を思うと鼻の奥がツンとして泣きたい気持ちになる。
だけど泣いてはいけない。心配させるわけにはいかないから。
……それでもやっぱり、寂しい。
まだまだたくさんお喋りしたかった。相談もしたかった。また一緒にお茶したかった。
来年もきっと同じような感情を抱いて、ここに思いを吐き出すのだろう。
別に共感してくれなくてもいい。無理に評価してくれなくてもいい。
明日はなんとなく続いている連作の続きを書く予定だ。
通しで見ている方にはこの投稿がノイズとなってしまうが、どうか許してほしい。
あなたにとってはなんでもない日でも、私にとってどうしようもなく特別な日なのだから。
「やあ君、いいところに! ちょっとこれを見てくれ」
昨日と一昨日と学校を休んでいた先輩が、何事も無かったかのように私を手招きしてきた。
私は呆れたやら心配して損したやら安堵したやら、いろんな思いが胸を駆け巡り、なんかどっと疲れた気分になった。
「……何してたんですか」
ただそれだけを言うと、先輩は首を傾げてさも当たり前のように答えた。
「学校をサボっていたぞ? 考えたいことや調べたいことがあったからな」
「よく親が許しましたね……」
「体調悪いと言ったからな。自分で言うのもなんだが私は風邪を引いたことがほぼなくてな、親が一も二もなく休ませてくれたぞ。
実際頭が痛かったから体調悪いのは嘘ではなかったし、まあ大目に見てくれ!」
「別に怒ってませんよ……
で、何ですか?」
机の上に広げられていたそれは綴じられた原稿用紙の束だった。別段変わったところは無さそうに見えるけど、先輩が手招きするくらいだから何かあるのだろう。
「見たまえ」
先輩が一番最後のページを開く。そこにはリンドウの押し花と誰かのKissマークがあった。
押し花はともかく、Kissマークが異質すぎて思わず小さな悲鳴をあげてしまった。
「な、なんですか、これ……」
「わからない。私にはこれを作った記憶も、誰かから貰った記憶もない。
まるっきり謎の存在なんだ」
「え……まさか、呪いのアイテムとか……?」
「いや、そういう気配は一切ない。
むしろ……違和感を抱くことに特化した物のような……?」
先輩はアゴに手を当て、むむむと考え込む。
でもすぐにバッと顔を上げて「わからん!」と叫んだ。
「仕方がないから運動だ! ラジオ体操第一をするぞ!」
そう言ってすぐにラジオ体操の曲を口ずさみながら背伸びの運動を始める先輩。
……なんというか、これぞ先輩だなあ……
そんなことを思いながら私は図書室で借りた本を読み始めるのだった。
【いつか見た花 3/10】
「問おう。なぜ君は小説を書く?」
部室に来て早々、腕を組んで真剣な顔をした先輩が仁王立ちで私にそう訊いてきた。
その目はしっかりと私を見据えていて、まるで猛禽類のように鋭い。威圧感もたっぷりで思わず後ずさりしてしまった程だ。
変な返答したらどうなるかわからない。そう直感した私はしっかり考えてから言葉を出す。
「……私の書いた小説で誰かが楽しんでくれたら嬉しいからです」
「ほう。それは1000年先も楽しめるようなものか?」
「……それは、さすがに……」
「弱気になるな!」
いきなりの大声に体がビクッと跳ねた。
しかし先輩はお構いなしに言葉を続ける。
「自信を持て! せっかくの才能を自分が信じないでどうする!
胸を張れ! 自分の書いた文は未来永劫語り継がれるものになるのだと!
君なら成し遂げられる!」
ドン! という漫画の効果音が付きそうな威勢のいい声が部室に響き渡った。
てっきり怒られると思ったけど、これは……褒められてるのかな……?
「……ありがとう、ございます……?
でもなんで急にそんなことを……?」
戸惑いながらそう訊くと、先輩は少しバツの悪そうな顔をしてこう答えた。
「……忘れていたことを少し思い出しただけさ。
すまない、今日は早引きさせてもらうよ」
そう言い終わるとすぐに先輩はカバンを持って私の横をすり抜ける。
あまりにも突然だったから引き止める暇もなかった。
一人残された私はしばらく呆然としてたけど、このまま小説を書く気分になれなかったから私も家に帰った。
明日になればいつもの先輩になるだろうと思っていた。だけど、次の日、その次の日も先輩は部室に現れることはなかった。
【いつか見た花 2/10】