ふと、側に立って見下ろした時。
決まって「なに?」と、俺より背の低い彼女は顔を上げて、目を見つめてくる。
その、瞳。
俺に対する愛で満ちた、心底幸せそうな瞳。
俺だけを映す、愛しい愛しい瞳。
それだけが見たくて。
それだけを見ていたくて。
今日も俺は彼女の側に立つ。
しみるような優しい眼差し
愛のこもった柔らかい声音
肌が触れ合ったところから伝わる温もり
どうしてこうなった
なにを間違えた
いつから、おれは
ねぇ、いつもみたいに名前、呼んでよ
いつもみたいに笑ってよ
優しく抱きしめてよ
ずっと、ずっと一緒にいてよ
おれの太陽そのものなんだ
もう元には戻れないけど、それでも
『 』
「同情は決して悪いものじゃない」
メガネちゃんはそう言って、黙々とインスタを見ている。私も横から覗き込んでみたけど、画面にずらりと並ぶ投稿のゴテゴテした感じにうんざりした。
だから体勢を戻して、さっきメガネちゃんが言ったことを考えてみる。
「……『可哀想』ってさ、明らかに下に見てるのに?」
「受け取る方が卑屈になってるだけ。もちろん本気でそう言ってる人もいるかもしれないけど」
逆になんで全員が全員、そうだと思うの?とメガネちゃんは首を傾げた。
確かにそうかもしれないけど。
勝手に寄り添われてもなぁって感じだから、私は同情ってよくないと思う。
「やっぱり同情はよくないんじゃないかな?」
「でも同情って、相手の気持ちを想像して理解しようとすることでしょう?さっきの例は置いといて、それって悪いことなの?」
「んー……それって共感じゃない?」
「じゃあ、同情と共感の違いってなに」
言葉に詰まる。
どっちも相手の気持ちや苦しみを理解して、寄り添うこと寄り添おうとすること。
二つの違いは何だろう?
もし誰かに寄り添ったら、『同情はやめて』って言われるのかな。自分はその人の気持ちに共感しているのに。
「メガネちゃんの言う通り、受け取り方の問題かも」
「どういうこと?」
「受け取る人が『同情だ』って思ったら同情で、『共感だ』って思ったら共感なんだよ」
メガネちゃんが顔を上げて、ちょっと私を見つめてから眼鏡をとった。
「またひとつ、答えが見つかったね。パーマちゃん」
***
皆さんは『同情』と『共感』の違いはなんだと思いますか?
なぜ共感は良いイメージがあって、同情には悪いイメージがあるのでしょう。
誰かと話してみると、結構楽しいかもしれませんよ。
「ねぇ、ここどこ?」
いつのまにか周囲の景色は、見慣れた公園から不気味な神社へと変わっている。
公園で遊んでいたら、男の子が一人、声をかけてきた。
もっといっぱいあるところに連れて行ってあげる。
ほら、と見せてくれた手のひらには、きらきらと輝くガラスの破片。佳子が集めていたモノよりも角が丸くて綺麗で、まるで本物の宝石のようだった。
大喜びで男の子に手を引かれるまま、こうしてやってきたのだけれども。いつのまにか日は暮れかけていた。空の端に見えるオレンジ色の空に佳子の不安が募る。木が風に吹かれてざわざわと、まるで意思を持っているように揺れた。
足元の枯葉がカサカサ音を立てる。
ふと佳子は気づいた。
男の子の足元からは、何の音も聞こえないことに。でも枯葉は同じように踏んでいる。だから、音は出るはずだった。
いや、出ないといけない。
「ね、ねぇ!ここ、どこ__」
「もっといっぱいあるところ」
振り向いた男の子の、顔の部分にあったのは
スプレー缶を振る。カラカラと撹拌玉が軽快な音を立てた。
黒と緑、それから白を使って壁に絵を描く。無機質な灰色がアートに塗り替えられていく。
「あなた、なに、描く?」
振り返ると一人の東洋人がいた。壁に背をつけて、笑顔でこちらを見つめている。
「俺に聞いてる?」
「うん」
東洋人は俺の作品を指さして、「かっこいい」と真剣な表情で言った。
嬉しいけれど、これは立派な犯罪だから少し居心地が悪い。肩をすくめて作品を仕上げた。スプレー缶をリュックに入れた。缶を入れるとどうしても汚れる。メッシュ素材のリュックはバレやすいけど後処理が便利だ。
「行こうぜ」
きょとんとしていたが、「来ないのかよ」と聞くと顔を輝かせてついてくる。童顔なのもあって犬みたいだと思ったのはここだけの話だ。
午後の街はいつもより時間がゆっくり流れる。道端に座ってもよかったが、ケイゴが物珍しそうに見回すので、結局案内することにした。
東洋人の名前はケイゴ。俺より少し背が低くて、目が少し細かった。日系というわけではないらしく、肌が黒いのはすっかり日焼けしているだけだという。
「なんでここにいんの?旅行?」
「あー、親の仕事、一緒にきた」
「ふぅん。何の仕事?」
ケイゴは顔を顰め、しばらく唸ってから「ジャーナリスト」と一言呟いた。説明できるだけの語彙がなかったらしい。
「かっこいいじゃん」
お世辞のつもりだったが、ケイゴは嬉しそうに頬を緩ませた。
「俺はさ、アートが好きなだけだよ」
プロ並みのテクニックを披露するスケーターたちを見ながら、俺はいつのまにか話し出していた。
「他の人たちみたいな、『街を作りたい』『認めてほしい』ってのはないかも」
「でも有名。なりたい。違う?」
「当たり前だろ。有名になったら仕事になる」
俺がやっていたことが仕事になる、というのが結び付かなかったのだろう。ケイゴはしばらく考え込んでいたが、すぐに答えに辿り着いた。
「あ、大きい絵か。ビルの」
ビルの壁はキャンバスだ。
行政に認められて、堂々と自分の傑作を作り上げていける。それができる人たちに憧れた。俺もいつか、絶対描き上げたい。
「仕事にできたら、今日みたいにコソコソ描くのとはもうおさらばだ」
「……ストリートで描く、やめたい?」
「やめないけど。これは俺の原点だし」
軽くリュックを蹴ると、缶どうしがぶつかって高い音が響く。ケイゴはずっと楽しそうにしていた。しばらく無言が続いたけど、俺たちは気にしなかったし、気まずくなんてなかった。
「君が有名になったら、俺が取材する」
「マジ?じゃあ頼むわ」
俺たちは拳をぶつけ合った。
今日という日にさよならを。