「それ、外さねぇの」
彼に指摘され、彼女は振り返る。
胸元で光るドックタグ。
ランプの灯りに反射して、彼の目を刺す憎い光。
彼女は決して彼のものにはならないのだ。
「ねえ、来てよ」
彼の醜い心のうちなどお見通しだとばかりに彼女は腕を広げた。
あけすけな誘いには応じず、彼はつ、と指で冷たい金属のふちをなぞる。
それは、本当に憎らしいことに、彼女の心臓の上にあった。
「分かってたでしょう?」
彼女はずっと前から彼奴のもので、これからもずっと彼奴のものだということ。
「分かってるでしょう?」
それでも、彼は彼女の側にいることを選んだということ。
返事の代わりに舌打ちをこぼし、ランプの灯りを消した。
光源などない暗闇の中で、しかし彼にだけは胸元で光り輝いている彼奴の証が見えたのだった。
「楽しかったか?」
「ヒトの命をモノみたいに扱うの、そんなに快感だったか?」
「邪魔だから消すって、ガキかよ」
「おれが宇宙の中心なのか?全てはおれのための駒か?」
「なぁ」
応えろよ。
おまえのためにわざわざ、地獄から這い戻ってやったんだから。
答えろよ。
なんのためにおれのおとうともしまつした?
「この、バケモノめ……」
こたえろよ
はやく
毛穴ひとつない美しい肌。
目は強気なカラーで丁寧に彩って。
アイラインは目尻を少し跳ね上げる。
淡い桃色のチーク。
ハイライトは適度に自然に。
完璧な保湿のおかげでふわふわの唇にとっておきの赤を乗せる。
何度か唇を擦り合わせて最終調整を。
そうして鏡を覗き込み、惚れ惚れする。
「あぁ…すごくキレイだよ、姉さん」
鏡の中の姉さんが、蕾を咲かせた花のように柔らかく微笑む。
ありがとう。本当に自慢の弟ね。
口が動いて、これ以上ない褒め言葉をくれた。
「そろそろ時間だから、行かなくちゃ」
気をつけて。急いでいると危ないから。
「大丈夫だよ姉さん。僕はちゃんとやれるから」
そう、それは楽しみね。
僕の姉さんは、わらっている時が一番美しい。
1つだけ、なんでも手に入れられるなら何が欲しい?
「世界。」
予想外の規模の大きさ。冗談を言っているのか、本気なのかは目を見れば分かるけれど、それにしたって世界なんて。
「1つだけ、とかセコくないか。おれには欲しいものがたくさんある。1つだけじゃ満足できない。」
おまえだけで満足、とは言ってくれないの。
「それはおまえの気持ち?それとも存在?」
……どっちも。
「ふざけんなよ。おまえと過ごすためには生きなきゃならない。一緒に過ごす時間も、金もいる。全然足りない。」
だから世界なの?
「世界だ。おまえだけで満足しろって言われて、はいって言えるような出来た人間じゃないんでね。おれはおまえも、その他も全部欲しい。」
まさに俺様。ジコチュー。子供みたい。
「なんとでも言えよ。おれは諦めねぇから。」
知ってる。
「なら、いい」
にぎられた手のひらが、じんわり熱くなった気がした。
「おれはお前を愛してるから、何も言われなくたって分かる」
「お前がおれを『愛してる』って」
「だから、おれは愛して欲しいなんて思わない」
「言葉だっていらない」
「でもな」
「最期になるのなら」
「一度でいいから、言葉で聞きたいと思うんだ」