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1/8/2025, 12:25:49 PM

RingRingRingRingRingRingRingRingRingRingRingRingRingRing
携帯の着信音が鳴る。
「(うるせぇ...こんな夜中になんなんだ)」枕元にある携帯を手に取る。着信相手は(過去の自分)と表記されている。気味が悪いと思ったが、眠気からか判断力が鈍っていた彼は、電話に出る。
眠さと、そこはかとない怒りのある声で答えた。
「もしもし?」
「あの時は、〇〇だったよね〜?」
少年の声で昔、彼に起こった出来事を話してきた。
「え?」
困惑を隠せない彼に、続けざまに伝えられる。
「この時は、〇〇だったよね」
と、また同じだ彼に起こった出来事を話してくる。
困惑の色もあったが彼は気付く
「(そうか...これは俺の後悔している出来事の話だ。)」と。
今になって痛いほど後悔している古い記憶。
まだ過去が忘れられないだろうと、語りかけてくる。
これは、呪いか、罰か、または警鐘なのだろうか。
この音が鳴り止むまで、過去を清算することはないだろう。

「Ring Ring...」

1/7/2025, 11:41:06 AM

その風を感じたとき、貴方の眼前に広がるのはどんな景色だろうか、
絶景、見慣れた街並み、あるいは崖を見る人もいるだろうか。
駆け、歩き、止まり、時には後退する人生の道のりで、追い風を感じた時、人は盲目になると私は思う。

追い風を感じた時、それは物事が上手くいったとき、物事が上手く行き始めるだろう瞬間に違いない。
絶景なら喜んで進むだろう、見慣れた街並みなら、軽快に歩み始めるだろう、崖であれ進むことを惜しまないだろう。「進んでしまえ。」そう思ってしまう程力強い風。そう感じた事がある。

そうだ、私は谷底まで落ちてしまった。踏み鳴らす力強い足音、目まぐるしく変わる景色、胸弾む高揚感に五感をすべて囚われ、置き去りにした現実。突如、隔絶された道。気付く間もなく崖から落下した。
追い風をもう感じることは無い。この隔絶された道とも呼べない道で、あの日越えられなかった対岸の崖を上がるために必要なものは
あの日と同じ様な力強い風。

もう落ちることはないだろうか....不安と共に盲目に崖を登る為、
谷風を待つ。

「追い風」

1/6/2025, 11:15:11 AM

..........書きたくない。

「君と一緒に」

1/5/2025, 12:31:45 PM

「(一生分のあけおめ聞いたわ〜って、これ毎年思ってんな...。)」
私は今春、都会に出てOLをやっている22歳。
「(地元に帰ってきたのは、いつぶりだったっけ、夏は帰ってこれなかったんだよな...。)」
学生の時は正月とゆうだけで、はしゃいでいた事を思い出す。
美味しいご馳走に、年末の特番、普段会わない親族からのお年玉。
「(うん、今でも響きだけは最高だ)」
今となっては、親族を見て、未来に不安を感じたり、お年玉をあげる立場になったりと、少々息苦しい事を胸につっかえさせながら、昔の通学路をトボトボ歩っていると、よく帰り道に3人で買って帰っていた自販機の前についていた。
「も〜...ヒヨリも、シオンも予定決まってて、初詣一緒に行けないなんてさ!(家にいても暇だから散歩する羽目になったじゃん)」
ちょっとした文句を垂らしながら、あの時から変わらず好きな、ココアを慣れた手つきで買う。ガコン!少し大きな音に寝ぼけていた目が覚める。ココアを拾い上げながら、青春の帰り道がフラッシュバックする。
「(あん時は、楽しかったな〜恋バナとか、部活の愚痴とか散々したっけか...。)」
寒さに赤くなった掌にココアの缶を転がして暖める。カチッ、プルタブを開け、自販機にもたれかかる。
ふと、目尻に映った綺羅びやかな、白銀に顔を向ける。
ハッとする。覚めた目に燦然(さんぜん)とした銀雪が飛び込んでくる。
スッとココアをすする「(まぁ、大人も捨てたもんじゃないかなぁ〜いや、私も年取ったな、こんな雪綺麗に見えたりしなかったのに。)」

「よし、帰るかぁ〜」行きよりも少し軽快な足取りで、青春の帰路に手を振ってやった気分で言う。
やはりいくつになっても正月は普段より満足感がある。

「冬晴れ」

1/4/2025, 2:21:45 PM

ソレはありふれている。
されど、際限なく広がる人の欲望から、ソレに到達することはない。
「コレが欲しい」、「コノ人と居たい」、「コレを失いたくない」。
幾つ手に入れてもまだ足りないと渇望する。何が手に入ればソレに到達するのか、きっと誰も知らない。
見る角度によってソレは如何様にも変わり、価値を変動させ続ける。
戦争を知らない人間と、平和を知らない人間とで、著しくソレの価値を変えるように。深い深い欲望の先にあるのは、また深い深い欲望なのだと私は思う。人はソレを体感する事なく一生を駆け抜け、今際の際、ほんの少しを鮮烈なスローモーションとして微かにソレに触れ、生涯に幕を閉じるのだと私は信じてみてたい。

コレもまた、深い深い欲望。

「幸せとは」

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