曇り
晴れは好き。晴れ具合によって気分が明るくなるから。
雨は別に嫌いってわけじゃない。たまには濡れたくなる日もある。
でも曇りは嫌いだ。
晴れでも雨でもない状態が中途半端に感じてしまって好きになれない。
でも曇りから太陽がのぞいてきて、天使が降りてきたような光が自分に降り注いだ時私は曇りを好きになる。
先が見えないような中途半端な状態は好きじゃない。
それでもそこから光が見えた時の感動は計り知れない。
経過も含めて結果を楽しむというならば、私は曇りも好きなのかもしれない
bye bye…
今日は高校の卒業式
3年間通い続けたこの学校とも、共に過ごした友人たちともお別れである。
友人たちとは離れたくなかったが、それよりも離れたくなかった人がいる。
高校2年生の時から憧れていた人。好きになってはいけない人。叶わないと分かっていたけれど、ずっと目で追い続けてきた。誰にも明かさなかった秘密の恋。
同級生のイケメンでもない。部活の先輩でもない。
受験勉強をサポートしてくれた歴史の先生だ。
想いを伝える気も、その勇気も私にはない。
だから
「今までありがとうございました」
と花のブローチを付けた私は笑顔で先生に向かって言った。
これが私が出来る最大の告白だ。
先生は何も気づかずにただ
「頑張れよ」
と返す。
震えそうになるのを抑えて
「はい」
と精一杯答えて後ろを向く。
先生
2年前からずっと好きでした。あなたは私の青春だったんです。…どうかお元気で
bye bye…
君と見た景色
ふと見た夕焼けに見覚えがあった。
どこからみても同じようなオレンジと黄色とピンクがグラデーションになった夕焼け。
近くにいた女の子たちが「きれ〜」と叫ぶ
確かに綺麗だ。綺麗だけれど…何か違う。
二、三歩ゆっくり歩いてみた。
私の体に少し冷たい風が吹いた時、タイムスリップしたかのような感覚に襲われた。
「綺麗だね」
忘れられないあの人の声が聞こえた気がした。
そうだ。
ここは、この目の前の夕焼けは、君と見た景色だ。
あの時は一段と輝いて見えたあの景色は、「こんなものか」と少しがっかりするような景色になってしまった。
…いや、景色は大して変わっていない。
きっと私と君が変わってしまったんだ。
手を繋いで
「百合華、危ないよ」
そう言って祖母は私に手を差し出す。私も
「はあい」
と答えて手を握る。
こんなことがあったのは一体何年前のことだろうか。
私的には数年前のように感じるが、数えてみるとおそらく十数年、いやもっとかもしれない。
あの時私に手を差し出した祖母は、私の目の前で少し苦しそうに寝込んでいる。祖母が寝たきりになってもう1年以上になる。
苦しい姿を見ていると早く楽にしてあげたい、神様もう良いではありませんかなどと思う。
しかし同時にまだ一緒にいたい、話したい、旅行に行きたいなどと未練がましいことを思う。
私の矛盾している感情を祖母が知ったらなんて言うだろうか。もう話せないから答えは聞けないけれど自分の中で予想を立ててみたりする。
そんなこんな考えているうちに心電図モニターの数字は減っていく。
いざその時が来てしまうと、どう自分の感情を処理して良いか分からなくなるなあと毎度のこと思う。
こんな複雑な感情は祖父の時も私の中に姿を現した。
こんな時、そばにいる者たちはなにをするのが正解なのだろうか。
逝かないでと泣くことか。
それとも無理矢理にでも笑うことか。
人によって正解は様々あるだろう。
私の正解は相手がしてくれたことを出来る範囲で返すことだ。
祖父は会うたびに嬉しそうに私の名前を呼んでくれた。
だから祖父が危篤状態になった時、「じいじ」と呼び返した。
目の前で苦しんでいる祖母は私に手を差し出してくれた。
だから私は布団からあの時とは少し色が悪くなってしまった祖母の手を取り出して精一杯繋ぐのである。
どこ?
他人の迷惑にならない、みんなの輪から外れない
私は幼い時からこれを意識してきた。
自分が友達に遊んでいたおもちゃを取られても泣き叫んで先生を困らせるわけにはいかないから、まぁいいかと言い聞かせて別のおもちゃで遊んだ。
意地悪な子に何か言われても反抗せずに「あはは、そうかも〜」と当たり障りのない返事をした。
それは少し違くない?と思っていても周りが納得していたら、少しずつ自分が良くなるように促していけばいいかと何も言わなかった。
こうして私は生きてきた。そうして特に何の問題も生まれず、理想通り迷惑になることも輪から外れることもなかった。
ただ、私が出会ってきた中の2割くらいの他人は私の理想とは異なる生き方をしていた。
嫌なら嫌だと言う、ごねる、泣く。
どうみても悪口なのに余裕で言ってのける。
周りから離れて行動する。
そんな人たちを見て気を遣ってばかりいる私は、単純になんでそんなことができるかと不審に思ったし、周りを気にせずに悠々と生きているなんてと信じられないと思った。
しかしそれと同時にある意味幸せそうだなと思った。
迷惑にならない、輪から外れないようにするためにはかなりの体力と精神力がいる。
そのため家の外でずっと気張って生きていると家に帰ってから屍のようにことも度々あった。
でもこうなることは自分が社会の中で何事もなく平和に生きていくためには仕方のないことで、妥当な代償だと思っていた。というかそう思うしかなかった。
しかし、ある一定数の人はその代償なしに生きている。
その人たちの理想の生き方を実現しようとしている。
その人たちを幸せそうだなと思う私の理想は、あそこまで気を遣って生きることなのだろうか。
理想の私はどこにいるのだろうか…。
おそらく私は理想の自分を見つけることができないだろう。
もし見つけても周りから冷ややかな目で見られてしまうだろう。私はそれが怖くて仕方ないのだ