【風鈴の音】
小学生の頃に風鈴ちゃんという友達が居た
「風ちゃん」と呼んでいた
風ちゃんは大きなお兄さんお姉さん二人……かな?働きに出ているお兄さんとお姉さんと中学のお姉さんがいたと思う、思うと言うのは中学のお姉さんしか見たことがなくて、そう聞いていた
中学のお姉さんがいない時、
一度お姉さんの部屋で風ちゃんと遊んだ
私は「大丈夫?本当に怒られない?」と何度も風ちゃんに尋ねた
直に部屋を出られなかったのは
外から見ると斜めに倒れそうな風ちゃんの家から想像もしないくらいキラキラしてて
お部屋は広くて光がいっぱい入って
風ちゃんは今流行りのレコードを次から次と流してくれて、夢心地になって離れられなかった。
風ちゃんはよく此処から1時間半の大きな街に大きなお姉さんは17歳で子供を産んで住んでいると言う、中学のお姉さんも中学を出たら
同じ街へ行くと言っていた
そのお姉さんが家を出た頃から
風ちゃんの家は暗く斜めにひっそりと建って見えるようになった、本当のボロ家になりつつあるのは風ちゃんの家の貧乏度が増したからだと思っていた。
ある夏の日、風ちゃんと遊んでいて裏口から
家にお邪魔した、小窓が1つあって薄暗かった
風ちゃんがくれた茹でて冷えたトウモロコシを二人で食べた、美味しいけど寂しい感じがした
風ちゃんの口ぐせは「私が中学校を卒業したら家族で、お姉さん達の居る大きな街へ行くんだ」と嬉しそうに話す事だった
風ちゃんのお父さんは足を大怪我したとかで
もう働いていないと、風ちゃんが一度言っていたのを思い出して「お父さんが家に居ても大丈夫なの?」と小声で風ちゃんに聞いた
私は未だ食べかけなのに「もういいよね」と言って私の手からトウモロコシを取って片付けて
家の外に出た、光が眩しくてちゃんと景色が見られなかった、直にキレイな青空が目の前に広がった……風ちゃんは中学校を卒業どころかその半年後、突然一家で居なくなった、私の家からは当然だけど【風鈴の音】1つ聞こえなかった
私は裏口からトウモロコシを食べるまで
大きな街へ行く風ちゃんが羨ましかった
大きな17歳のお姉さんがキラキラした街で子供もいて憧れに近いものがあった
けど17歳で高校も行かないのは風ちゃんと話をしていると当たり前だったけど
風ちゃんが居なくなると魔法がとけたみたいに「高校へ行かないのはどうしてだろう」とずっと心の中で引っかかっていた思いが大きくなった
空っぽになったのか家の中は見ていない
傾いた家は左斜めに倒れそうなのを持ち堪える様に建っていて
風ちゃんの「お姉さんの居る大きな街へ行く」と言う口ぐせが風ちゃんを持ち堪えさせていたのかとそんな風に思って……もう誰も居ない風ちゃんの家を見ていた
【心だけ逃避行】
心は走る、街並みの人を避けて森を抜けて
あの湖まで駆け抜ける
誰にも見つからないように、声をかけられないように、湖の淵に立つ
青空と白い雲が湖に映る、そんなありきたりな表現しか出来ないけど、此処は幼い頃に父と釣りに来た場所
愛犬と走った場所
母と腕を組んでお喋りして歩いた場所
もう誰にも会えないけど
此処は私の心躍る場所
【冒険】防空ごう編
小学校の裏の神社は古く、行く道の木の階段は朽ち果てていて、階段が埋め込まれた土を踏みしめて登って神社まで上がる
神社の裏は暗く小学生の自分たちは神社の前で遊んでいた
その日は秋も深まり枯れ葉をカサコソガサゴソと靴で鳴らしながら高鬼をしていた
日が暮れかけて来て気味が悪くなって来たので
帰ろうと声を掛け合っていた時に
かんちゃんが神社の裏から
穴に入って大人の男性と話してきたと言う
「どんな人?」「帽子被った兵隊さん」
「エッ?!それって幽霊?」「違うよ!
足もあった」「なんて話してたの?」
「木村カヨさんを知っていますか?会いたいんです」って言ってた
カヨばぁは今年92歳、こんな神社まで来られない「穴から出て来て貰って、神社の下まで来て貰ったら?」
「自分は出られないからカヨばぁを連れてきてほしいって」
そんなの無理だよね、と私たちは顔を見合わせて言った……「ねぇ、家の人に話してみようか?」小学生の私たちにはどうも出来ない
みんなで穴へ行ってすぐには無理だけど
会えるようにしますって言って来ようと言う話になった
恐る恐る初めて神社の裏へ行った
神社の裏はあっけないほどに綺麗に草も刈られ
整えられていた
かんちゃんが「ここは凄い草で少し下った所に穴があった」と説明した
探しても探しても見つからない
これ以上、探すと真っ暗になってしまう
帰ろうとしていたその時に、かんちゃんは
さっき会った兵隊さんの帽子らしい物を見つけた、会った時よりもボロボロで最初は何か分からなかった
「きっとカヨばぁに会いたいんだよ」と
それを持って木村カヨばぁに会いに行った
カヨばぁに事のいきさつを話すと
帽子を抱いてポロポロと泣いた
そして私たちに何度も何度もお礼を言った
「子供たちに連れてきてもらったのね」と嬉しそうに空をみつめていた
私たちはカヨばぁが喜んでくれたから
これで良かったと微笑みあった
翌日からカヨばぁは玄関を掃き
軒先の花に水をあげられるまで顔もにこやかに
元気になった
「一人じゃないからもう寂しくないのよ」と笑っていた
カヨばぁが元気になったならそれで良かったと
この話はその時いたメンバーの秘密にした
何となく話さない方が良いような気がした
秋の深まった青空がそれで良いと言っていた
【冒険】
大なり小なり冒険をする時は
気乗りしないなら、しない事だ
自分から提案した事ではない
その日は疲れているから、一度は「行くつもりは無い」と伝えた
誘った相手は心外だと言い私が行くのが当たり前だと思っていた
私だって体力の自信の無い、気乗りしない日はある、テンションはだだ下がりでいる
深水後、腹痛にあえいだ私は海へ沈んで行った
自宅以外で胃腸炎になる事は初めてだった
『やっぱり来なければ良かった』と心の中で呟いていた……自力で浮上する体力などある訳もない……ただひたすら「NO」と言えない自分を呪った
【届いて…】
水曜日になると息苦しくなる
そんな症状から始まった
下の血圧が高くなる
私は不安が強くなると下の血圧が
高い
不安症は酷くなって行った
耳が聴こえなくなる
毎日点滴に通院し脳波も撮った
不安症が酷くなると薬も不安で飲めなくなる
飲んでは悪心、吐く、全ての薬が副作用を起こす自分の心で
点滴も入っていかなくなった
『点滴が入っていかない…』どうしたら良いんだろう……
最後の頼みの綱だった点滴…これもダメになった
私は病院で過呼吸を起こした
そのまま夜になった……22時
夜は主人か病院に迎えにきてくれた
アナタの夢は私の夢、アナタの目指す者が私の協力で叶えられるなら
そんな思いで四人の子供を独りで育てて来た
単身赴任のアナタには心配かけてお仕事の邪魔をして申し訳ない気持ちだった
みんなが出来る事が私にはできない
子供を育てるなんて、みんなしてることなのに
それでももう限界だとカラダが耳が心が言っている
「アナタにお願いがあります
少しだけ子供達を連れて一緒に住めませんか?」
アナタは「難しいな……1人で頑張って」と
何でもない事の様に……言った
【届かない…】私の思いはアナタに届く前に空になって消える
漠然と『死ななくちゃいけない』と思う私に向かって「1人で頑張って」と言った
この人には私の声は届かない
次の日、私は自分が死んで仕舞わないか不安だった…だって死ななくちゃいけないと
頭の片隅で私が言っているんだもの
次の日から私はアナタに一切頼らなくなった
この人は私を助けてはくれない人
あの時……次の日、死なずにいた
人は最後の希望を絶たれた時
どちらかになる事も知った
【あの日の景色】小学生編
私の育った小学校は田舎の奥まった山々に囲まれたひっそりとした村にあった
校門に施錠無しグランドを挟んで建つ中学校にも施錠なし、どころかグランドの周り
小学校から見て右は細木、左はプール
向かいは教員住宅と不法侵入て何ですか?のレベル、どこからでも入って来られる
ある日、小学校のグランドへ降りる土手に
大きな外国人が大の字で寝ているのが見えた
ガリバー旅行記の大きな人みたいだった
さながら私達、小学生は小さな国の人で
初めて見る外国人に興味津々だった
今、思うと何故先生達はこの外国人に気付かなかったのか不思議だ
小人達である私達小学生は外国人にそっと近付き「どこから来たの?」と尋ねた
ヨーロッパ辺りの国の名前だった記憶がある
「何しに(この村に)来たの?」と小人達は遠くから聞く
「旅行なんだ」と大きな外国人はにこやかに答える
理解出来たと言う事は日本語を多少話せたのだろう
「良い所だね」的な事を言っていた気がする
私の初外国人は土手に大の字で寝ている
無精髭のガリバーだった
【あの日の景色】
20歳で出会った友は男性の気を引きたい可愛がられたいそして、それが「困っている」と友に相談の様に話したい女性で
40歳になっても口癖の様に話す
そんな自分でいたいのかな?と意地悪な気持ちで見るようになった
60歳になっても言っている
否否、その気にさせている
そして、もっと上を行く無意識にそれをしてしまう友よりもちょっと若い女に
周りの男の気を全部持って行かれて
友がその若い女の仕草や話し方を細かく説明して罵詈雑言
生まれ持った性格って死ぬまでなんだろうなぁと思って聞いていた
その若い女が私のサークルに入ってきた
『あ〜なるほどね~
女も凄いけど、このニヤけた男性の顔が嫌だと
弄んでいると言っていたな〜』と思いながら真面目にテーマをミーティングしていた
『友よ…この女性がうわてだったね〜』と心で呟いていた
あの日の午後、窓から見える新緑の綺麗な静かな景色