『脳裏』
頭の奥の方に何かがあった。
表面からの認識では、目立ったものはない。
表ではなく頭の中の方、そう脳の裏ともいえるであろうところに若干の白い違和があった。
新しいものではない。少なくとも2・3年は経っているだろう。
脳の裏面に平たくこびりついているようだった。頭を回すと中から金属音が響いているのがわかった。
湿気はなく、乾燥している。決して柔くはないが、石のように硬いわけでもない。澱粉のりが裏面に乗せられ乾いたような、そんな感覚だった。
しかしこれだけの時間が経っているというのに何故今更になって意識の縁に触れたのだろう。
思考すればする程、比例するように白濁した違和は私の脳に根を張った。そのうち痒くなってきた。掻きむしる程のものではなく、喉の奥に皺のよる痒みに近かった。
頭の中に違和感を覚えて一月が経つ頃には、遂にその存在に安心感を感じるようになっていた。肥大化する違和感に蝕まれていくことに心地よさを覚えた。
違和感が取れた。
次に「私は泣いている」と認識した。
瞳から白く滲んだ線が堰を切って溢れ、粉を吹いた私の掌を潤す。
涙の海に腰まで浸かった私は、寂しさを感じた。わんわんと声をあげて泣く度に大切な何かが昇華される感じを覚える。寂寞の裏に懐旧が覗いていた。
頬を最後の感情が伝った時、ちりちりと目の奥が痛んだと思うと、手の内に母から継いだ銀白色の首飾りが握りしめられていた。
『声が枯れるまで』
「どうしたの、坊や」
少年の前に現れたのは髪の白い少女だった。
「いた、い、、、痛いの」
少年が紡いだ言葉を笑顔で受け止めると、彼女は少年の胸へ手を当てがい、その声を使用した。
それは空気の震えであり、精神の滲みであり、透けた琴線。
滑らかな糸は少年の鼓動を縫い、撫であげる。
少年は再び大きく命を吹き上げた。
「ありがと、お姉ちゃん!」
少年はきっと、明日にでもなればこの不思議な出来事を忘れてしまうのだろう。
少女は立ち上がると、チリと痛んだ口の奥を噛んだ。
誰が知るだろう。彼女はもう500kmを己の足で歩いてきたのだ。
「ねぇ知ってる?あの女の子よぉ、声で治るだの何だの、ほら」
「あぁあぁいたねぇそんな子そういえば」
「でもあれなんでしょ?最期は声のない子の声帯治して死んだとかって...声もしゃがれて、もうダメだったんだろうね」
(もしかしたら加筆するかもです)
『秋晴れ』
夏が落ちた後の晴れは春の陽気より綺麗であった。
どうやら、春の晴れの方が秋の晴れより少々『汚い』らしい。
ただ、厳しい寒さと豪雪を乗り越えた後の春は、これから白の季節を迎える秋の晴れより綺麗に見えるのだろう。
風に戦ぐ黄金色の遥か遠くで送電塔が斜に構える。
虫の声はとうに聴こえなくなり、砂利道は私の歩くリズムを刻んでいる。
あと数週間もすれば、雪が降る。
この乾いた快晴はもうじき見えなくなる。
18回目の秋を終えようとしていた。
ここに帰ってくるのは、今度はいつになるのだろう。
今まで当たり前の様に見上げてきた宙色が、今更になって涙の海に揺蕩う。
いつか、また
『忘れたくても忘れられない』
返却されて叫喚
こんなの親に見せられない
やっぱりもう
こんな関係終わりにしようぜ?三角関数
長い付き合いだったね
え?離れられない?
冗談キツいぜ
受け入れられない現実
準備が不十分だった私の過失
いいぜ
これからも宜しくな
三角関数
『やわらかな光』
私は特異体質を持っている。
人の感情が手に取るように分かるのだ。
これだけでは特別感が微々たるものであろうからもう少し説明を加えよう。
言葉の通り、内発的な心理変化を物理的に感触として捉えることができるのだ。
余計理解不能になった?ではそうだな、近頃起きた出来事を、この不思議な体質の説明として語らせていただこう。
東暦20141年 13/12(Wen) 14:58
その頃私は大学のレポート作成に追われていた。
旧暦の地球の文明を研究していたのだが...ビデオ?ばんそうこう?ペットボトル?訳のわからない言葉ばかりだ。
古代文明を0から学び始めて1年弱、研究に入り浸る私の唯一の友達はこのとっくに冷め切ったクソ苦いコーヒィであった。
精神的疲労が爪先まで到達しようとしたその日、彼女は私の存在を繋ぎ止めた。
「ねぇ、何の勉強してるの?君」
彼女の口から出た言葉は、その時の私にとって最早音の羅列にしか聴こえていなかった。
「おーい、だいじょぶそ?」
徐々に本来いるべき世界へ意識がコネクトする。
「へ?あ、う、うん」
自分でも情けないくらいの腑抜けた声が出た。
私が返事をすると彼女は安心と好奇心を含んだ瞳で私に向かってはにかんだ。
「お、生きてた生きてた!いやぁさっきから君瞬き一つもせずにいるんだもの。座ったまま逝っちゃったのかと思ったよ」
彼女は流暢に喋り出す。
「でね、実は君に一つ聞いてほしい事があるんだけどね」
「う、うん」
「私もその研究に尽力させてもらいたいの」
「うん、うん............う.............................ん⁉︎⁉︎」
彼女は私にとってのメシアであった。
「へぇー、こういうことやってるんだね...へぇ...」
彼女は、私が研究に捧げた時間が決して無駄ではないのだと分からせるかのように全てのことに好奇の気持ちを向けてくれた。
それでいて彼女が私に向ける感情は、とても温かだった。
今までに汲み取ってきた数多の感情とはどこか違う。
心地良い温みと、春の陽光の様な柔らかさ。質の良い光を想起させる、そんな触り心地の感情であった。
そんな彼女と私は今、過去の時空と現在の時空を一時的に繋げることに成功している。
そこの君、2023年を生きているので合っているかな?
私の話を聞いてどう思ったかな?
君達のテクノロジー、ましてや私たちの技術を持ってしてでも、実は未だ人類の感情を認識する事は不可能なんだ。
だから、こんな特異体質を持って生まれた私にしてみたら「感情を推測する」という行為の重要さが分かりかねるんだ。
気持ちを汲み取るのはとても疲れる事だろう。皆がそう口々に言うよ。
でも出来るなら気持ちを分かろうとすることをやめないでほしい。ある意味、感情は人間のアイデンティティの要素であり、それが誰か他者に伝わって初めてその人のパーソナリティが確立すると思うんだ。
感情を理解することをやめてしまったら、人間が人間でいられなくなる。だからどうか、この鮮やかな「人間」という生物を心と心で捉えてほしい。
で、でも!無理に分かろうとはしないで!それで君の心が壊れたら大変だ。何事も無理は良くない。ちょっとずつ、ちょっとずつでいいから...。
それじゃ、君にもやわらかな光が訪れますように。
未来で待っているよ。
...