七雪*

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5/19/2023, 2:03:25 PM

 かがみの裏側の世界。

 それは。僕らと同じようで異なる形を成している。
レタスとキャベツ、小松菜とほうれん草。同じ色に似た形。けれども、決して同一にはならないのだ。レタスはキャベツには成れない。僕らが鏡の向こうの人間に成ることが出来ないように。

 まがいものとは何だろうか。時に、僕らはどうやってそれを区別する?僕らは日常的に信じている。鏡に映った僕も、今此処に存在する僕も、同じ「僕」という存在だと。鏡の僕は、本物の僕そのものじゃない。鏡という性質上の問題ではあるが、鏡の僕は本物の僕を歪めたものに過ぎない。

 でも、やっぱりそれも「僕」だろう?
まがいものだろうが、僕という存在の一部だ。

 異なる形を成していようと、それの本質は僕で在ることに変わりは無い。僕という人間は、鏡の向こうの僕には成れないけれど、鏡の僕もまた、僕という存在を共有する生き物だ。

 僕という存在がなくなれば、鏡の僕も息絶えてしまう。僕らは謂わば、最も身近な運命共同体なのだ。

5/16/2023, 11:39:14 AM

 朝が来ると、夜はいなくなっていた。
それは、足音も立てずに去っていった。朝は、鳥の声に急かされてやってくるというのに。色素の薄い青の上に星は見えない。月はまだいるだろうか。窓を開けて、早朝の空を仰ぐ。哀を溶かした藍染の空は、澄んだ色に変わっていた。風に吹かれて届いた朝の匂いが鼻腔を擽る。自然と心は凪いでいた。昨日の僕が眠ってしまう前に、夜の下で感じたツンとした感覚は朝に掻き消されてしまった。夜におやすみを告げて、朝に挨拶をする。そして、今日の僕によろしく、と。

5/15/2023, 12:11:13 PM

 君って枠に当てはまる?

自分の一部を切り取って、既存の仲間に入れようとしてたり。

最近のニュースのトレンドにもならない?

それはそうかも。

いつから自分って探すものになっちゃったんだろう。

君は知ってる?

探すってことはさ、もう在るってことだよね。

君はたくさんある? 君の「答え」ってなんだろう。

正しさって、それにあるのかな。

僕? 僕はね、自分のことは探さない。

見つけてるって意味じゃないよ。

まだ、創ってる途中なんだ。

5/11/2023, 10:08:17 AM


 その日、蝶が春の空を泳ぐのを僕は窓越しに眺めていた。

 すっかり見慣れた病室の白。それはあまりにも潔癖で、自分が異質な黒い染みの様に感じた事を覚えている。あれから何日が過ぎたのだろう。僕の足は未だに動かないし、意識ははっきりとしているというのに、声は形を作らない。病室を忙しなく動き回る看護師さんを見て、自分は何処か別の世界に迷い込んでしまったのかと錯覚してしまう。今日はいい天気ですよ、と厚めのカーテンが開かれた窓の外には、陽の光をいっぱいに浴びた黄緑色の木の葉たちが、ぐんと背を伸ばして風に身を揺られている。チチチ……と鳥の囀りが聞こえ、僕は猛烈に外が恋しくなって……、されども、動かない身体に絶望した。

 何とか動く首を窓の方にもたげて外を覗く。すぅっと窓の外をよぎった白に、僕ははっと目を見開いた。それは、蝶だった。僕を包む白い空間よりも、幾分か自然に塗れた白色。春の空を泳ぐ名も白い蝶……あれは、モンシロチョウだ。蝶は白い羽根をちらちらと羽ばたかせ、窓の近くを舞っていた。窓からは花の一輪も見えない。自由なのに、何処か縛られた様な蝶を見て、僕は何とも言えない思いを胸に抱いた。

 迷い込んだ蝶は、しばらく病室の窓の外を円を描くように飛ぶと、やがて陽に向かって飛び立っていった。窓の向こうに映るのは、水々しい葉と、青に染まった空。跡も残さなかった蝶を想って、僕は優しい日の光に身を委ねる。いつか、空の下でまた逢えるように、と願いながら。

5/9/2023, 1:43:38 PM

 三つ葉の群集の隣に咲いた青い花は、どんな香りだったか。花の中心からまっすぐと伸びる藍の色は はっきりと目の奥に焼き付いているというのに、記憶の中の嗅覚は意味を成さないようだ。

 先日の事になるが、久しぶりに里帰りをして、ふらりと家の裏手にある野草の群生地へと足を運んだ事があった。記憶のそれよりも随分と狭く思えた思い出の場所は、何ら変わらない様子でそこに残っている。それが随分と懐かしく思えて、三つ葉の辺りをちらりと見てみれば、名も知らぬ青い花が一輪、風に吹かれて揺れた。

 何十年ぶりに見たその花は、かつてよりも繊細な色持ちで可愛らしくその花弁を風に遊ばせていた。何気なしにじっと見つめていれば、どうやら青と一言に括りつけるには惜しい色をしていると感じる。透き通った藍の色を、雪の上に流した様な淡い色。その様が何となくカワセミの羽に似ているような気がして、この花の色をかわせみ色と名付けてみた。

 風に乗って届いた香りは、幼き日の故郷の匂いによく似ていた。

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