目が覚めると僕以外の人間がいなくなっていた。
テレビには誰もいないスタジオを映っていて、ラジオは無音とノイズを流し続けている。まるでついこの前まで人がいたかのように。世界は静寂につつまれていた。うるさいのは嫌いだったのに、今は沈黙がとても怖かった。
外に出てみて、少し歩いてみてもやはり誰もいない。誰もいないはずなのに動き続ける電車を見ると、もしかしたら僕がいなくなったのかもしれないと思った。ゲームのバクのように、寝ているときにどこかをすり抜けて来てしまったのだろう。
このままだと困るな、と思った。
今日はあの子の配信があるんだ。こっちじゃきっと映らない。ガタンゴトン、ガタンゴトン。ノイズのない町に音が響く。そういえば今日は電車のゲームだったっけ。ガタンゴトン、ガタンゴトン。流行りの脱出ゲームだ。ガタンゴトン、ガタンゴトン。あのゲームも人がいなかったな。ガタンゴトン、ガタンゴトン。あれ、なんでこんなに音が近いんだろう。ガタンゴトン、ガタンゴトン。なんで僕は線路の上にいるんだろう。
目が覚めると、布団の上だった。テレビには美人なアナウンサーが映っていて、ラジオは饒舌な芸人の声を流している。世界は喧騒に包まれていて、僕の嫌いな世界に違いなかった。
やけに首が痛い、寝違えたみたいだった。
窓越しに見えるのは、ビル、車、ビル、踏切、人、たまに犬。みんなするすると流れていく。
いつも見ているはずなのに、なぜだかずっと見ていられる。
窓越しに見える街は、とてもいいものに見える。大きなビルがあったり、いろんな家が並んでいたり、買い物袋をぶら下げた人が歩いていたり、止まっているようで動いている。
窓越しに見ていた街に入ってみる。瞬間、残念なことに、僕は街に馴染んでしまって、つまらなくなってしまった。
窓越しに見えたのは、きっと夢の街。
ざあざあ降りしきる雨を見てから、家に傘を置いてきたことを思い出した。ついてない。バスを使えばあまり濡れずに済むだろうか。いや、今日は財布も置いてきたんだ。とことんついてない。
そんなふうに立ち尽くす私に、良ければ一緒に帰ろうかと言ってくれたのは誰よりも優しい君で。私はその言葉に甘えることにした。
「今日の数学のテストどうだった?」
「全然だめだった。知らん式出てきたもん。」
「ほんと?そりゃ大変だ。」
ざあざあ。降りしきる雨は周りの音をかき消して、君と私が切り取られたような気分になる。普段よりこぶし1つ分近くなった距離が妙にくすぐったい。
「…あ、そういえば、家ここら辺って言ってたっけ?道こっちであってる?」
「………あぁ、いやこっちだよ。もう少し先で曲がるんだ。」
「そっか。意外と遠いんだね。せっかくだから送ってくよ。今日は予定もないし。」
「めっちゃ助かる。ほんとありがとう。」
本当はここで曲がるし、その道だと随分な遠回りだ。優しい君、気づいてくれるなよ。
カバンをギュッと引き寄せる。中の折り畳み傘があたってすこし痛かった。
空から女の子が降ってきた。
自由落下してきたので優しくキャッチするなんてできるはずもなく、俺は見事に押しつぶされた。セクハラだなんて言うなよ、ちくしょう。
彼女は見たところ高校生くらいで、若いのに大変だなぁと感じてしまう。まあ、俺が言えたことでは無いが。どうしてここに来たのかと聞いてみれば、階段から落ちたんだと言う。なんともそそっかしい理由だ。俺が何も言えないでいると、彼女はのこしてきた母親が心配だと泣きだしてしまった。
勘弁してくれ、こちとら十数年前に子供をあやしたきりなんだ。わたわたとハンカチをとりだし、彼女に差しだす。あ、鼻水拭いた。まあいいけど。
ふと彼女が俺のハンカチを見て何事かを呟いた。
「あれ、これ…」
突然、ぐるり!と彼女が回転する。そうしてそのまま空に落ちていった。
あまりにも急なことだったので、湿ったハンカチが頭に落ちてきてようやく我に返った。来るときもそそっかしければ、かえるときもそそっかしいのか。まったく誰に似たんだか。
「…ま、母さんによろしく。」
『また明日!』
こんな話を知ってるか?明日というのは永遠に来ないらしい。明日を夢みて床についても、目を開ければ待っていたのは「今日」でしかないんだよ。明日はまた先に行ってしまう。「昨日」からしてみれば今日は「明日」かもしれないが、僕たちは過去には戻れないわけだからやっぱり「今日」は「今日」でしかない。結局「明日」なんて僕たちの妄想に過ぎなくって、実際は「今日」がずっと続くだけなんだろうな。まあ、つまり何を言いたいかと言うと
「また明日。」