子供の頃、高いところから落ちる夢を頻繁に見ていた。
場所は様々で学校の屋上だったり、家の屋根だったり、はたまた全く知らない建物だったりとその時々で違う場所に立っていた。
そして、自分の意志も虚しくまるでこれから散歩するみたいに簡単に足を踏み出すのだ。
落ちて、落ちて、そして、、、
ドンッ
と地に落ちたところで目が覚める。いつもその繰り返し。
不思議なのは、ドンッという音がはっきりと聞こえるところだ。夢ではなくまるで現実で落ちたみたいに鈍くて重いものが落ちる音が聞こえていた。
当時の私は幽霊か何かが私を持ち上げて、落として遊んでいるのではないかと疑ったほどだ。
親や隣で寝ていた兄弟に聞いても「何も聞こえなかった」と言われる。
夢と現実の区別がつかなくなることはしばしばあるが、その夢ではいつも地面に体がつく直前で目が覚める。そして、その後にドンッと音が聞こえて体に衝撃が走るのだ。
落ちた衝撃の正体は未だにわからない。それすらも夢だったのかもしれないと思ってしまう。
高所恐怖症の私はとにかくその夢が嫌いだった。
嫌で嫌でたまらないのに、見る夢は選べない。その上、私は見た夢を必ずと言っていいほど記憶している。
一説によると落下する夢は体が成長する際に見る、とも言われているらしい。
また、夢占いでは場所やシチュエーションにもよるが私の場合は「プレッシャー」を抱えている、らしい。
大人になってから落ちる夢は見ていない。子供の頃によく見ていた「何か」に追われるような夢も見ていない。
最近は、体の一部が醜くなるとか、歯がボロボロ崩れるとか日常の中で自分の体が変化する夢を見る。
落ちる夢は高所恐怖症なので嫌いだが、基本的に夢を見るのは好きだ。なぜか理由はわからないが夢の中というのは安心する。ずっと夢の中にいられたらいいのになと昔からずっと思っている。
昨日のお題は「1年前」で、今日は「未来」か、、。
また本の話になってしまうが、中国のSF小説をまとめたアンソロジーを読んだことがある。その小説では多くが「未来はすでに決められている」という深層心理のもと書かれていた。中国ではそういう思考が一般的なのだろうかと不思議に思った。
未来がすでに決められているとしたら、私はなんの努力もしなくても良いということになる。何もせずに何もなせずに死んでゆく。それが私の未来として決められていたことになる。
努力しても、その結果はすでに決められていたということになる。
なんだか、横暴な理論に思えてきたな。結局、結果論じゃないか。
けれど、未来は変えられる。未来は自分次第だなんて無責任に言われるのも嫌いだ。
人間以外の動物には未来や過去という概念は持たないと言われている。クマは冬眠前に食料をたくさん食べておくし、リスは冬になる前に食糧を隠しておく、これらは未来のためにやっていることではないのだろうか?
多くの学者は本能でしかないという。ならば、人間の行動も本能でしかないのではなかろうか。
昔に手話ができるサルがいた。そのサルは「死ぬことについて」聞かれると「苦痛のない穴にさようなら」と答えたという。そのサルは死の概念も理解していた。自分が死ぬ可能性についても、「年をとって、病気で」と回答している。
これは話せないから人間と比べて思考が劣っているということにはならない証明の一つだと思う。
未来は何もわからない。映画「猿の惑星」みたいに別の種族に支配されるのかもしれないし、火星へ移住しているかもしれない。
まあ、すぐすぐの話じゃないが、。
直近で言うならば、事故で死ぬかもしないし突発性の病気で何かしらの障害を抱えるかもしれない。
私は未来に関して、「シュレディンガーの猫」だと思っている。生きているか死んでいるか、箱を開けてみるまで分からない。それが、未来というものだと思っている。
それ以外の過程なんて些細なものだ。それこそ、選ばれなければ人生が大きく変わるなんてことは無い。地道な努力でせいぜい平凡に生きて死ぬだけだ。それが大多数だ。
未来は生きているか死んでいるかの2択でしかなく、その他の過程に至る選択肢だけが私達に委ねられている。
どう生きようが、最期はみんな同じだ。好きに生きるといいと思う。
1年前ぐらいに「アディ・ラルーの誰も知らない物語」という本を読んだ。
主人公のアディは小さな村の古いしきたりだとか女らしさを求める村の人々に嫌気が差していた。子供らしい反抗的な態度だけれど、活発な明るい少女だ。
アディは成長し、村の多くの女性と同じように結婚しなければいけない年になった。結婚式当日、アディはとうとう村を逃げ出し暗い森の中で悪魔に祈ってしまう。
「ルールやしがらみにとらわれない自由」を。
悪魔はその願いを叶えてくれた。アデイは自由を手に入れたのだ。永遠の自由を。
そう、アディは不老不死になった。それも、「誰の記憶にも残らない」というおまけ付きで。
アディはその後、永遠の命とともに長い長い旅をする。苦しみ悲しみ時には願いを叶えた悪魔を呪ったりしながら、、アディは強く生きていく。
誰の記憶にも残らないアディだが、2巻で転機が訪れる。なんと、アディと同じように悪魔に願いを叶えてもらった青年と出会うのだ。青年はアディとは逆で出会うすべての人に好意を向けてもらえる代わりに1年しか生きられないという契約をしていた。
私は青年の話を読みながら酷く心が痛んだ。
私も悪魔に願いを叶えてもらえるならきっと青年と同じ願いをすると思ったからだ。たとえ寿命が1年になるとしても。
皆はアディと青年どちらに共感するだろうか?もしくは違う願いを持っているのか、そもそも願わないという選択肢もある。
私は青年に共感した。多くの人に好かれたい。出会うすべての人に愛されたい。これは私の心を充分に満たしてくれる。家族からは信頼され、友人からは親友として認識され初対面の人から笑顔で話しかけてもらえる。それは私にとって理想の人生だ。
死ぬ間際には、きっと1年前の契約のことを思い出すだろう。
私は、私だったら1年前に契約したことを後悔するだろうか?
腐っても相手は悪魔だ。良い思いはしないのかもしれない。けれど、私は悪魔にすがってしまうだろう。
永遠の自由と愛に溢れた短い人生。あなたはどちらの方が良いと思う?
好きな本は?と聞かれれば真っ先に出てくるのは「ダレン・シャン」だ。
小学校3年生のときに読んで以来いまだに読み返したいと強く思う。学生時代は1年に一周ダレン・シャンシリーズを読み返していた。
無論、同じ作者の「クレプスリー伝説」「デモナータ」「痩せっぽちの死刑執行人」「The City」も大好きだ。
大人になってから読んだ本で好きなものはと聞かれると、あまり多くは読んでないから悩むが、東山彰良の「ブラックライダー」は衝撃を受けた。東山彰良の作品を一度全部読んでみたいと思っているほど文章の書き方が好きで、物語自体もかなり奥が深くよく練られている。キャラクターも個性的な面々が揃っているうえに、あまりにも先が読めなくてページをめくりながら何度も(こうくるか!!)と感嘆してしまった。考えながら読むダークファンタジーが好きな人に特におすすめする。
それから、SFを読むきっかけとなった宮内悠介の「エクソダス症候群」だ。SFは難しそうという理由で敬遠していたのだが、図書館で題名に惹かれて読んだのが始まりだった。現実味のある書き方で科学的に有り得そうな描写が多く、その中での精神病院を舞台とした異質な作品。人間心理から科学技術まで細かく設定にこだわりが見られる。火星に移り住んでいるから未来の話なのだが、どうしても今現在進行形でこの物語が火星で紡がれているのではと錯覚してしまうほどリアリティのある作品だった。
大人になってからはあまり読書ができていないが、世の中には私達の想像を超える作品がまだ山のようにあるのだろう。
それらをこれから見つけていけたらいいなと思っている。私の大好きな作品を今後、もっと増やしていきたい。
特にダークファンタジー、SF、哲学にも興味が出てきたこの頃だ、読みたい本の幅が更に広がったと感じている。これは大人になる醍醐味なのではないかと思う。
読書は私にとって娯楽だが、私が思っている以上に読書によって私の人生は変化している。
良い方にも悪い方にも変化するが、どちらも無意識のうちに楽しんでいるのは確かだ。
少しずつでも、月に1冊でも読書を続けていけたらいいなと思っている。
今日はどうしようか。マクドナルドにするか、すき家にするか、モスバーガーにするか、コンビニにするか。
そう考えながらそれぞれの店の前を通り過ぎていく。
優柔不断。そんな言葉が頭の中をよぎる。今日の晩ごはんどうしようか?みんなもこれぐらい悩んだことがあるだろう。
ものが飽和しているこの時代。何物にも代わりがあって数え切れないほどの選択肢が提示される。たくさんの選択肢からようやく選んだのに、、それから
「アレのほうが良かったかもな」
「やっぱりこれじゃなくてもいいな」
なんて思ってしまう。特に他人を見ていると強くそう思う。
隣の芝生は青く見える、なんて言われるが隣に移ったとしても結局また隣の芝生のほうが青く見えるのだ。
下らないことで悩んで、意味のないことに心を消耗させる。
友達が言った言葉が頭に残っている。
「それが普通だよ、なんて言わないで、みんな違って皆良いって言って。普通なんて誰も分からないんだから」
普通なんて誰もわからない。確かにそうだ。誰かがこれが普通ですなんて言ってくれるわけじゃない。何となく当たり前だと思ったことを普通だと信じてるだけだ。
ある偉人の「常識とは20歳までに集めた偏見のコレクションだ」という名言を思い出す。
普通も常識も本当はこの世界には無いのだ。けれど、私達は当たり前や常識にがんじがらめに縛られて生きている。一歩でもはみ出してしまえばお前は当たり前の事すらできないのかと怒られる。
暑い日差しにシャツで顔の汗をぬぐう。
空はこんなに青いのに、海の底にいるみたいに苦しい。
未だに今日の晩御飯は決まらない。今日の仕事も反省することだらけだ。
息がしずらい。
この世界はあまりにも生きづらい。
青い澄んだ空にため息を混ぜる。曖昧な心に呼応するように空の青色も朱色が差してきていた。