二人ぼっち
「君となら、この世界に二人ぼっちも悪くはないね。」
「きっと何もなくてつまらないよ。」
「そうかな?もし本当にこの世界に二人だけ残されたら何をしようか。」
「なにもしない。ただぼーっと何かを考えるわけでもなく日が昇って鳥が鳴いて、花が咲いて、木の葉が枯れて、日が落ちていくのを見る。」
「それだけ?」
「それだけ。」
「…本当は君の言う“それだけ”が一番難しいことなんだよね。」
「わかってるじゃん。」
こんな会話をしたのはいつだったかな。
あなたはいつも本気なのか冗談なのかわからないキザなことを言うから、その度に返事に困るんだ。
あのときもそうだった。
「“この世界に二人ぼっち”か…」
あなたは春にこの世を去った。気づけばもう冬で、春も目前。
結局私だけが取り残されてしまった。
あなたがいない世界は何もなくてつまらない。
何をしていても何を考えていても、無意識にあなたがいた頃の記憶を漁ってしまう。
記憶の中の世界は優しく鮮やかで、現実の痛ましさが際立つ。
「あなたと二人ぼっちの方がましだったかな。」
日が昇って日が落ちて
花が咲いて葉が枯れて
鳥が鳴いて、あなたが笑っていた。
そんな夢をいつまでも見ていたかった。
もうあなたはいない。
夢が醒める前に
白い光の奥、花の舞う野原に立つ人影があなただとわかったのはすぐだった。
風になびく艶やかな髪に、あなたがいつもつけていた翠のリボンの髪飾りが揺れる。
「ねえ待って───」
お願い、どうかまだ消えてしまわないで。
まだ何も話していない、何一つ伝えられていない。
夢だと気がついてしまったから、こんなにもすぐにお別れをしなきゃいけないなんて。
さよならをするぐらいならいっそ、夢のままでいい。醒めないままでいてほしい。
ねえ、覚えてる?
あなたはずっと一人だった私にお花の冠を作って頭にかぶせてくれた。
四つ葉のクローバーとシロツメクサと変なお花。
あなたがあまりにも真剣に走り回ってお花をつむものだから私、その姿をずっと見つめてた。
なにしてるんだろうって、木陰に座ってね。
あなたは屈託のない笑みを浮かべながら走り寄ってきて、私の前にお花の冠を差し出した。
「これ、あなたに!とてもきれいでしょう?」
本当に嬉しかった。
今でもあのときの無邪気な笑顔が思い浮かぶの。
あなたの髪はいつも翠のリボンが飾っていたから、私は冠ではなくてお花のネックレスを作った。
あなたにはどんなお花が似合うか考えながら。
きっとどんなものも似合ってしまうんだろうけれど。
私が首にかけてあげたお花のネックレスを見て、あなたはとても喜んでくれた。
緩やかにカールしている赤茶色の髪にネモフィラの水色がよく似合っていた。
あなたの消え入るような透明感が美しくて、儚くて、私はいつかあなたがどこかへ行ってしまうような気がしていた。
悔しいけれど、その予感は的中してしまった。
一緒に過ごした野原にも、お気に入りだった湖のベンチにも、あなたの姿はなかった。
もうずっと会えていない。
「もうどこにも行かないで、そばにいて…」
自分でも我儘だとわかっていた。私はあなたの手を取った。
「私ずっと後悔しているの。あなたに出会えて、私を見つけ出してくれて、本当に嬉しかった。私は自分の気持ちを言葉にするのが下手だから、きっとずっと伝えられなかった。ありがとうも、ごめんなさいも愛してるも全部。本当にごめんなさい。もうあなたには会えないかもしれない、それでも言わせて欲しいの、愛してる───」
「夢が醒める前に、私をどうかもう一度見つけ出して…」
そんな叶わない願いをして、あなたを抱きしめた。
あなたの優しい匂いがした、
あなたの柔らかい髪が頬を撫でた、
あなたの温度に触れた、
あなたの声がした───
「夢じゃないよ。私、ここにいるじゃない。」
瞑っていた目をそっと開けるとそこには、あのときと変わらない無邪気な笑顔のあなたがいた。
私は長い夢を見ていたようだった。
胸に咲いていたネモフィラはもう枯れてしまっていたけれど、それでも。
「やっぱり、なんでも似合っちゃうのね。」
私はあなたを強く抱きしめた。
胸が高鳴る
鼓動が鳴り止まない。
昔から緊張にはめっきり弱かった。
深呼吸しても肺がまだ震えてる。
大丈夫、歌えば緊張も晴れるって心の中で何度も唱えて誤魔化す。
「間もなくです。出番は次の───」
舞台袖は想像よりも暗くて孤独だ。
でも寂しいなんて言うのはきっと違う。
ステージに立てば、そこには私以外誰もいない。
小さい頃に考えていたものとは全てがかけ離れていた。
お客さんの顔は自分へのスポットライトで見えなくて、どこまで入ってるのかも分からない。
目の前は淡白な光だけに包まれている。
私の中に一つだけ鮮やかな記憶があった。
「歌はいつもあなたのそばにある。それに不思議な魔法の力を持ってるんだよ。たとえあなたが一人でも、歌えば誰かと繋がれる。その曲を作った人、その人の人生を彩った人、あなたが曲に重ねる人。想いは言葉にしなきゃ伝わらないけど、伝えようと努力すればそれはいつか伝わるんだ。伝わらなくていい想いなんて、ひとつもないからね。」
あなたと歌うとき、目の前にたくさんの人たちが思い浮かんだ。
どの人も私の空想の中の人だった。
たった一人を除いて。
歌詞や曲調のイメージだけで想像した、曲を作った人、その人の人生を彩るたくさんの人たち。
そして、私の想いを伝えたいあなた。
空想の人たちでも、彼らはそれぞれの人生を歩んでいて、一人ひとりが伝えたい大切な想いを持っていた。
誰か一人でも欠けてしまったらこの曲は生まれない。
なにより、あなたがいなければ歌にはならない。
あなたに想いを届けたいという気持ちが生まれて、初めて歌になった。
あなたの歌はどこまでも自由で、輝いていて、たくさんの想いが伝わってきた。
私はそんなあなたの歌が大好きで、いつかあなたのように歌えたらと思っていた。あなたの歌に救われていたから。
「一人じゃない…」
はっとした。私は今まで大切なことを忘れていた。
ステージの上は確かに孤独かもしれない。だけど、歌うことで私は一人じゃなくなる。
あなたが教えてくれたんだ。
この曲が背負ってきたたくさんの人たちの想いを歌にするのは私。
伝わらなくていい想いなんてない。
届いてほしい。
いつもと変わらないステージのはずだった。
けれどそれはまるで違うものだった。
目の前に広がるのは淡白な光などではなく、暖かくて柔らかい色の光。
希望という言葉を色で表すことができたら、きっとこんな色なんだろう。
お客さんの顔は見えなくても、この曲に思いを乗せるすべての人たちがいた。
その想いが伝わるべき人たちがいた。
そして、あなたがいた。
胸が高鳴る。
私も伝えたい想いを乗せて歌うよ。
あなたへ。
不条理
「確かにこの世の中は不条理なことだらけだ。
けどね、それを割り切って考えられる人は本当の強さを持ってる。」
そうあなたが言ったから、私は割り切って考えるようになった。
「人間だから仕方ない」
人との据も失敗も、間違いも全部。
見えないように隠してたものが見えてしまったときもそう。
今まで見ないように努力した自分を褒めながら、「仕方ない」と割り切ってきた。
いつの間にかそれが普通になって、私は冷たい人だと思われるようになった。
それはどこかで事実だったのかもしれない。
けれど心が少し痛かった。
この世は言葉や感情で割り切れないものの方が多いから、そこに私が区切りをつければみんなが争わずにすむと思った。
「価値観のすれ違いはあって当然。人間だから。」
そうやって全て受け入れてきた。
ときには自分の意見を押し殺した。
争いごとは嫌だから。
「それじゃあ、君の意見はどこにあるの?」
あなたはいつも優しかった。
胸がドキッとした。
今まで見て見ぬふりをしていたのは、そっと押し殺してきた自分の意思だった。
仕方ないと言って割り切って捨てていたのは私の中身だったんだ。
一番捨てちゃいけないものだった。
「私は強くはなれないみたいだね。」
少し間を置いてあなたは言った。
「君は強い。もう見える世界が違うはずだよ。君は今まで人の価値観を尊重して、いろいろなものの見方を身につけてきた。それでも君の一番真ん中にあるのは君自身だ。君がそっと内にしまってきたものが静かに磨かれて、今一番光っているよ。」
あなたは私の心を指さした。
泣かないよ
あなたが消えてしまって
その声や温もりを忘れてしまっても
巡り巡る季節の中にあなたを見つける。
そこにお別れがあったとしても
きっといつまでも続くんだろう。
そうしてまた違う世界で必ず巡り逢う。
だからまだ泣かないよ。
あなたもずっと笑っていてね。