koromo(全てフィクションです)

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胸が高鳴る

鼓動が鳴り止まない。
昔から緊張にはめっきり弱かった。
深呼吸しても肺がまだ震えてる。
大丈夫、歌えば緊張も晴れるって心の中で何度も唱えて誤魔化す。
「間もなくです。出番は次の───」

舞台袖は想像よりも暗くて孤独だ。
でも寂しいなんて言うのはきっと違う。
ステージに立てば、そこには私以外誰もいない。
小さい頃に考えていたものとは全てがかけ離れていた。
お客さんの顔は自分へのスポットライトで見えなくて、どこまで入ってるのかも分からない。
目の前は淡白な光だけに包まれている。

私の中に一つだけ鮮やかな記憶があった。
「歌はいつもあなたのそばにある。それに不思議な魔法の力を持ってるんだよ。たとえあなたが一人でも、歌えば誰かと繋がれる。その曲を作った人、その人の人生を彩った人、あなたが曲に重ねる人。想いは言葉にしなきゃ伝わらないけど、伝えようと努力すればそれはいつか伝わるんだ。伝わらなくていい想いなんて、ひとつもないからね。」

あなたと歌うとき、目の前にたくさんの人たちが思い浮かんだ。
どの人も私の空想の中の人だった。
たった一人を除いて。
歌詞や曲調のイメージだけで想像した、曲を作った人、その人の人生を彩るたくさんの人たち。
そして、私の想いを伝えたいあなた。
空想の人たちでも、彼らはそれぞれの人生を歩んでいて、一人ひとりが伝えたい大切な想いを持っていた。
誰か一人でも欠けてしまったらこの曲は生まれない。
なにより、あなたがいなければ歌にはならない。
あなたに想いを届けたいという気持ちが生まれて、初めて歌になった。

あなたの歌はどこまでも自由で、輝いていて、たくさんの想いが伝わってきた。
私はそんなあなたの歌が大好きで、いつかあなたのように歌えたらと思っていた。あなたの歌に救われていたから。

「一人じゃない…」
はっとした。私は今まで大切なことを忘れていた。
ステージの上は確かに孤独かもしれない。だけど、歌うことで私は一人じゃなくなる。
あなたが教えてくれたんだ。
この曲が背負ってきたたくさんの人たちの想いを歌にするのは私。
伝わらなくていい想いなんてない。
届いてほしい。

いつもと変わらないステージのはずだった。
けれどそれはまるで違うものだった。
目の前に広がるのは淡白な光などではなく、暖かくて柔らかい色の光。
希望という言葉を色で表すことができたら、きっとこんな色なんだろう。
お客さんの顔は見えなくても、この曲に思いを乗せるすべての人たちがいた。
その想いが伝わるべき人たちがいた。
そして、あなたがいた。
胸が高鳴る。
私も伝えたい想いを乗せて歌うよ。

あなたへ。

3/19/2024, 1:59:46 PM