手に取り選ぶのは出先にちなんだモチーフや花が印刷された便箋。たまに事前に用意することもあるがよっぽど特別な時だけで基本は現地調達だ。今回訪れた店に置いてあった便箋は無地で何の印刷もなかった。観光地でも商業が盛んでもないから無理もなく。物珍しく店主に見られながらそれを買い上げた。
何も描かれていないシンプルな便箋は久々だ。といってもモチーフが入ったタイプだってワンポイント程度。話題の提供に役立っていたが、一ヶ所に印刷されているかいないかの違いで便箋が大分広く感じる。故郷の雪原みたいにまっさらだ。
ここは町と離れているから、きらびやかな場所も有名な場所もないが、食事処で出される料理はどこか温かみのある味で君が気に入りそうだ。俺が考えたこの場所のモチーフを同封しようか。書くことを頭のなかで整理して書き出しの文を考える。
一目で俺と分かる封蝋が付くから差出人が誰なのか困ることはない。ある程度文はまとまった。ペン先を便箋に置けば『無色の世界』にインクが染み込んで、新雪に足を踏み入れる心地だった。
開花宣言が発表されてから季節に似合わぬ突風に大雨が続き、変化が早かった。満開の桜はあっという間に桃色から緑へ。早き替えを見せられているようで自然にいじわるをされている気分。
「ゆっくりお花見したかったなぁ」
連れて行ってもらったが、ひらひら舞落ちる花びらをお団子を食べながらじっくり眺めてみたかった。あまりに早い葉桜の登場に肩を落としていると
「じゃあ今回のおやつは君にぴったりだね」
彼がトレーから私の目の前に和菓子と湯飲みを置く。ねりきりと口の広く開いたガラスの湯飲みはどちらも
「桜…?」
ねりきりは桜の形、湯飲みのお茶には桜の花が咲いていた。彼からの出張土産だそうで大人気で買うのが大変だったそうな。半透明の花びらがゆらゆら揺れる。意外と何でもお茶になるらしい。
「満開って訳じゃないけどゆっくりお花見はできるだろ?」
彼の言葉で全体をばかりに気を取られてひとつひとつを疎かにしていたんじゃないかと手もとの湯飲みを覗いた。湯飲みに閉じ込められた私だけの桜をたっぷり目で満喫した後
くいっとあおぐと口から鼻腔へほわりと広がるお茶と微かな桜の香りが体を解す。見映えの良い透明な器に花開いた『桜散る』
「もっと平和な別の世界だったら私たちって出会ってなかったのかな」
「平和って?」
「あなたの好きな戦いとか魔物とかいない世界…?」
少し疑問系になっているのは君の中でも平和な世界の定義が出来上がってないからだろう。
「君と出会ったきっかけがない世界、か。想像もつかない」
俺がこうしていられるのは戦いあっての事だった。少年の時の体験が運命を変えたと言ってもいいほど戦いと切り離せない。それをごっそり削られた世界で俺に何が残る?せいぜい人当たりの良さそうな青年か?
君が隣にいることが当たり前になっているのに何て酷な話題なんだ。
「急にどうしたの?他の男に目移りしちゃった?」
「ううん、たまたま出会ったのが私だっただけで違う世界なら別の誰かと幸せになってるのかなぁって。…ちょっと考えただけなの」
自信なく目が伏せられた。『ここではない、どこかで』も君と一緒にいたいと思っているのに。きっかけがないなら作ればいいだけだ。
「俺の事だから君を探すだろうね」
知る前と知った後じゃ全てが違う。隣に君がいないと例えどんなに恵まれていようが、人生は味気ないものに成り果てる。
「君がいないとつまらないよ」
『ここではない、どこかで』も君と出会って恋をしたい。
ずっとずっと伸ばしていたけど、どんなに手を伸ばしても指先一本もかすらない。見えているのに、すぐに掴めると思っていたのにこんなに苦労するなんて…。
「そろそろ限界…」
なぜあんなに遠くにいってしまったのか私には原因が分からない。『届かぬ想い』をクッキー缶に抱いてる。無機物なので声をかけても返事はなく、動かないのは当たり前で…。缶には手作りクッキーがいれてある。彼のお手製クッキーが好きな私が「おやつ用に欲しいな」と溢したのが発端で、とても嬉しそうに缶に詰めてくれたというのに取れないまま奥に鎮座している。コンロのヤカンがカタカタ音を鳴らし湯気がのぼる。
「お湯もできちゃったよ…」
私へのご褒美おやつを閉じ込める缶を睨んでしまう。子どもじみているけど心から楽しみだった。でも腕も足も伸ばし続けて数十分ほど粘って得たものは腕と足の痛みのみ。きっと缶も彼のクッキーの虜なのだ。
「届きそうな棒を買ってきてリベンジするからね」
今回は諦めておしゃれな缶にリベンジマッチを取り付ける。ご褒美おやつは次に持ち越しで。お茶を飲みながら腕と足のストレッチをし始めた。
まさか缶の蓋も開けられず、「兄弟たちがすぐ食べてしまう時の癖で強く閉じちゃったみたいだね。悪かったよ」苦笑した彼に開けてもらう事になるとは…。缶も私も想像もしなかった。
任務に行く時、君は躊躇いがちに必ず決まって「気をつけていってらっしゃい」と声をかける。
「気をつけて」の中には「怪我をしないで。何かあったらすぐに知らせて。危ない事に巻き込まれることなく無事で帰ってきて欲しい…」他にももっと俺を心配するたくさんの言葉がひとつに集約されている。俺を見送ったあと君は『神様へ』俺の無事を願いに神像のもとに赴くのだと先日、友人がうっかり口を滑らせたことで知った。多く望んではいけないと君は思っているんだろう。だから短くしている。
「うん、気をつけるよ」
俺はそれに言葉ひとつで返すんだ。すると一瞬、ホッとした顔を見せて抱き締めてくれる。元気を分け与えられるような力一杯の抱擁。俺もなるだけ、折ってしまわないよう君の柔い体を覚えるように腕を回す。これがいつもの見送る前の挨拶になっている。
終わりがはっきりと分からない長引きそうな任務、俺の我が儘は聞いてもらえるだろうか?
「たまにはさ、いってらっしゃいのキスが欲しいな」
「…お帰りなさいのキスしかしません」
ふいっと顔を俺の胸に埋めていき頑なに拒まれてしまった。任務で疲れきった体を引き摺って君のもとに帰ると晴れやかな顔で迎え入れてくれるが、それではいつもと同じだ。ごにょごにょ口ごもって
「帰ってきたら好きなだけ、してもいいけど…」
「それ、ほんとう?」
「長くなるかもしれないんでしょ?楽しみは帰って来たら。ちゃんとここで待ってるから」
クリアな声に視線を下げると見上げる君と目があった。眉が下がってとても心配だと顔に書いてある。一歩間違えば今生の別れに成りかねない、だから君は熱心な信者でもないのにその時だけ『神様へ』願いに行く。それを知ってしまったら益々いとおしく、離れがたくて。やっぱり、今キスがしたいと思う俺がいる。
「ごめん」
がしりと体を固定して身を屈ませて君の髪に、前髪を払いのけ額に。目もとに両頬に次々と唇を落としていった。
「ちょっと、」
「口は楽しみしてるからさ。あとはここだけ」
「…いっ!」
服を脱がなければ見えない場所に強く強く吸い付いた。君はわたわたと腕の中で暴れるけどなんのことはない。赤く咲いた花は白い肌によく似合う。出来ればこの痕が薄くなってすっかり綺麗になる前に、早く君のもとへ帰りたい。