秋恋
「難しいなぁ。」
紀久代は「秋恋」と右端に書かれた巻物を、ポイっと放り投げた。
今日作る話のテーマは秋の恋。先生から出されたお題だ。
「なによ、秋の恋って。秋にしたって冬にしたって恋は恋で変わらないし。だいたいそんな言葉聞いたことないし!」
ばたん、と畳の上に身を投げる。大の字に寝そべれば見慣れた天井が視界に入った。
ぼーっと木目を眺めていると「できたかー?」と縁側の方から先生の声が聞こえてきた。
あぁ、まずい。出来てないと知られたらまたゲンコツだ。
「よいしょ」と体を起こし、また机に向き合う。
紀久代は考えた。
「先生、焼き芋好きかなー」
彼が焼き芋を頬張る姿を頭の中で思い描き、くすりと笑う。すると、不思議と心が弾んだ。
「さーてと、どんな話にしようかなぁ。」
静寂の中心で
月が雲に隠れた。音もなく、ただただ静かに。
不快ではない。
自然は好きだし、雲が風に流されただけで雲自身の意思ではない。月明かりがなくなったって、蝋燭に火を灯せば、それで良い。それで良いのだ。
「紀久代。」
風の音も、虫の声もしない。静寂の中で一人呟いた。
私の胸元に、無遠慮に顔を押し付け、寝息を立てる紀久代。顔はほんのり火照っている。
すぐ側の机にはお猪口が二つ転がっていた。これだから、あれだけ止めたと言うのに。最近の者は話を聞かないから困ったものだ。私の前でなければ、一体どうしたことやら。
外を見る。明かりがなく、辺りの様子は伺えない。
まるで、自分と彼女だけが静寂の中心にいるかのように錯覚する。
髪を撫でると、彼女の長いまつ毛が微かに揺れた。
風が吹き、月が姿を表す。
彼女の額にゆっくりと口付けた。
創作物語
「紀久代、私の愛する女性はお前だけだ。」
その日は秋晴れ。形の良い鱗が空に広がっていた。しかしながら、秋らしく肌寒い風が吹き散るもので、薬木は外に出ることを酷く嫌悪していた。
「先生ー!外に出ましょうよー!今日は散歩日和ですよ!」
紀久代の声が張り上げるたびに「うるさいー」と布団を頭まで被った。寒い日は布団に入ってずっと永眠していたいと言うものが薬木の本音であり本性だった。紀久代にはその本音を恥じることなく見せつけている。
「なぜなら、紀久代だけには己の素を出せる、という熱い信頼があったからだ。それから…」
「ちょっとストップ。」
「はい、なんですか?先生。」
「…私はそんなこと言わないぞ。」
紀久代はそれまでのつらつらと書き連ねた文章が載った巻物を畳の上に置いた。「えー」とあからさまに不服そうな顔をしている。
「でも先生。こう言う創作物語も勉強の一部なんですよ。」
「んなわけあるか!!」
ガツンと紀久代の頭を打った。
Moonlight
月明かりは二人を明るく照らす。
守られなかった女と守れなかった男。心のうちのどこかが欠けていた男女は、肩を並べて月を見た。そばには三色団子が三本ピラミッド型に積み重なっている。女は澄んだ冷たい空気を吸った。
___先生、今日は…
「今日は月が明るいですねぇ。」
紀久代はハッと横を見た。そこには、町で櫛屋を営む家族の一人息子がいた。白玉を頬張って月を見ている。
「そう思いません?紀久代さん。」
「…」
一人息子は女に問いかけたが、返答はない。不思議そうに目を丸め、また木のスプーンで一つ白玉を頬張った。
女は上の空のように月を見上げた。それは半月だった。
「きれい。」
気づけば女はそのように口にしていた。一人息子は驚いたようにスプーンに乗せた白玉を「つるん」と器に落とした。それを気にすることなく、女のそばに体を乗り出して、
「ですよね!キレイですよね!」
月よりも輝いてしまうような笑顔に、女は眉を下げて笑った。
「うん。キレイだよ。」
女は瞳に、また半月を映す。半分は光、半分は影。女は、その影の中に何かがいないかと目を凝らした。見えるわけない、いるわけない、もういないと分かっていながらも。
「あの時はね、満月だったんだよ。」
「…あのとき?」
「そ、あのとき。」
んー?と顎に手を添える一人息子を横目に、紀久代は笑った。
「また見せてくださいね。先生。」
肩を並べた二人は笑った。
ページをめくる
毎日元気をくれる、大切な本。
出てくる主人公の名前はアキ。彼女は、辛く居心地の悪い自分の学校生活に光を分けてくれた。
毎日朝、ページをめくるたびに新しい表情をした、新しい言葉を放つ君がいた。ある日は満面の笑みでピースサイン。ある日は「今日も1日頑張ろ!」と応援メッセージ。でも、いつだって君は笑っていた。そんな君を見ていると、自分も自然と笑みが溢れてきた。アキちゃんはすごい力を持っている。自分にとってページをめくる作業は、眠るときよりも幸せで、どんな大金よりも大切なものだ。ページをめくる作業は楽しいし飽きない。
だって、そこには君がいるから。
今日も笑って僕を迎えてくれる。そうだよね?アキちゃん。
いつものようにページをめくる。
そこには、アキちゃんがいた。
川に沈んだアキちゃんが。
アキちゃんは、川に溺れて死んでしまいました。
おしまい。