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3/30/2024, 5:04:46 AM


時に人生とは残酷である。

私は友人の話を聞きながら、酷く同情していた。所謂、痴情のもつれである。


この友人には恋人がいた。
随分長い期間、惚気話に付き合ってきたし友人は相手に信頼を置いているのが手に取るようにわかったからこそ応援していた。

まあ、その相手の話を聞いていて引っ掛かることがなかったわけじゃない。だから正直、潤んだ声で「裏切られた…」という友人に対して、まぁそうか、と何処か冷静に受け止めていた。

応援していた、と先述したが実は私は何度か友人に「本当にいいのか」と声をかけていた。確信はなかったが、そう思わざるを得ないポイントが少なからずあったのだ。



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友人は事細かに話をするタイプである。状況や時系列などを詳細に話す。

他からは“話が長い”と一刀両断されることもあるらしい。

私は友人のあっちこっちする話を整理するのを謎解きのように楽しんでいたから長いと感じたことはなかったが、確かに電話の履歴は1時間は当たり前に超えてるものばかり。

だから友人は惚気話をするときも、相手に言われた言葉を一言一句違わずに伝えてきていた。


「あ、楽しいじゃなくて楽しくてしょうがないだったかな?」


なんて、正直どっちでもいいよって言いたくなるような訂正も少なくなかった。

だから相手が言った話を私は事細かに知っている。



私が引っかかったというところを一つ例を挙げると、「私の好きなところを10個教えて」というなんともまあこちらが恥ずかしくなるようなやり取りをしたという話のとき。


相手が挙げた好きなところのうち一つ、「家族や友達に紹介するのが恥ずかしくないくらいいい子」というのがあったらしい。



「…それはいつも通り一言一句違わず一緒なの?」と問うと

「え?うん勿論」と返ってきてあぁ…と肩を落とした。



───人に紹介する時に“恥ずかしいか”という評価軸があるタイプか。モラルのないことをしたとかではない限り、一緒にいる人のことを“恥ずかしい”と感じたことなんてないけどな。

非常識な行動をとる人と付き合った経験でもあったのだろうか。それにしたって、君は一緒にいて恥ずかしくないなんてこと相手に伝えるのはいかがなものか。

もしや、恋人を自分のスペックやアクセサリーという感覚でいるのではないか。





なんて、そんな一抹の不安を抱えながら、幸せそうに話す友人を眺めていた。



私は友人が再現する相手の言葉の端々に、相手の価値観や思想の根底が見え隠れする度に伝えるべきか迷い続けた。


だから私は「本当にいいのか」と見直すきっかけしか作れなかった。

強く押せなかったのは、その相手と向き合っているのは私ではなかったから。私のエゴで2人の関係について口出しはできなかった。




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友人に「相手に裏切られた」と言われた時、今までの私の判断はいかがなものだったのだろうか、もっと最善の方法があっただろうかと自分の過去の立ち振る舞いが頭をよぎった。


暫しの沈黙が続く。



その沈黙を破ったのは友人だった。

「ごめんね、応援してくれてたのに。聞いてくれてありがとう。」

そう言ってこの日は解散になった。







後日、友人から連絡をもらい、私は友人宅へ向かっていた。

何を話していいか分からなくなりそうだったから、話のネタになりそうな話題のお菓子を手土産に。

「いらっしゃい」と出迎えてくれた友人は付き物が落ちたようなスッキリした顔をしていた。



「いやぁ、付き合ってる時は楽しませてもらったし、結婚する前に相手のロクでもないところを知れたし。直後はショックだったけどさ、この経験で得たもの多いなぁってふと思えてさ。」
 
そう言ってブラックコーヒーを啜る。



「強いね」というと

「ふふ、でもそう思えてても感情が伴うかは別だからさ。しばらくは頼むよ。」

そういって友人は笑った。




この数日で友人はこの出来事をハッピーエンドに変えた。その上で、悲しさや辛さをさらけ出し人を頼れる。


私の手助けはいらなかったか、と手土産のはずのお菓子に私が先に手をつけた。


#ハッピーエンド

3/23/2024, 12:18:18 PM


マヤ暦をご存知だろうか。

少し前(ということにしてほしい、年代がバレそうだ)にマヤ人による世界滅亡の予言が話題になりマヤ文明という存在が浸透したことで知った人も多いのではないか。私もその1人だ。

マヤ人は高度な文明を持っていた、それだけ賢い人たちが予言したのだから本当に世界は滅亡してしまうのではないか…そう、未熟で好奇心ばかりが先行する年齢だった私たちはヒソヒソとこの話を楽しんだものだ。



そんなマヤ文明では、暦を19種類使い分けていたという。

その中でも260日周期のツォルキン暦と呼ばれるカレンダーを中心に考えたものが現代では「マヤ暦」と呼ばれているらしい。


(ちなみに私はあくまで素人で、セッションという診断のようなものを受けただけなので多少の間違いは見逃していただきたい…)


260日周期で巡るカレンダーで見たときに、その日に生まれたからその日が意味する役割や意識を持って生まれたということらしく、つまりは260種類のタイプがあるということになる。


マヤ暦を見るとき、他の人との関係性なども教えてもらえるのだがその中でも特別な関係性にあたる「鏡の向こう」なる存在がいる。

この存在というのは1/260で相当シンクロ(偶然の一致)が起きないと出会えない、互いに祝福しあう存在、覚醒しあう存在…というマヤ暦ではとても希少な存在らしいのだ。





知り合いが“マヤ暦アドバイザー”だということを知り、興味本位でセッションをお願いした。きっと奥深いのだろうと思い、気兼ねなく質問できる相手なら色々調べるより確実だと思ったのだ。


そこで類似、反対、ガイド、神秘と私にとってどういう存在か、そこに当てはまるタイプはどれかを丁寧に教わり、「鏡の向こう」なる存在を知った。


セッション中はエンタメとして楽しんでいたので、ほうほう面白いなんて言いながらサラ〜っと聞き流していたのだが、帰った後にふと思いついた3人を検索して調べてみたのだ。


1人は神秘に当てはまり、もう1人は類似の中でも特にこのナンバーの人が類似すると教えてもらったピンポイントのナンバーで「お!」と思わず声を出た。

家族であってもどこにも当てはまらない場合もあると聞いていたからこそ、当てはまっただけでもなんだかテンションが上がったのだ。



そして、最後の1人は『鏡の向こう』だった。



これには流石に言葉も出なかった。
マヤではいかにこの存在が凄いかというのを十分に聞いたばかり。

小5で出会い、中学では部活が同じでずっと一緒で、同じ高校に進学したあの友人が。

住んでる場所も随分遠くなったのに、不思議とずっと縁のある相手。

こればかりは流石に“奇跡”だと思った。




身近で何気ない(特別視してなかったわけではないが)相手が、急に輝いて見えた。なんとも表現し難いが、また違った見え方になったのだ。


…とはいえ、この事実は特に相手には知らせずにいつも通り何気なく過ごしている。

今までの積み重ねではなく、“これを知ったから”大切に接する、重要視するみたいな関係性にはなりたくなかったからだ。…そう思える時点で、確かに彼女は特別な存在だったのだと思う。





マヤ暦というものを信じるも信じないも、楽しむも楽しまないもの自由だが、私は間違いなく、“特別な存在”がいたというこの事実をマヤ暦を通して気付かされたのだ。

マヤ暦の話が偶然でしかなかったとしても、大きな気付きがあった、私にとってなくてはならない経験だった。そう思う。






ちなみに、興味を持ったのならの話だが。
ネットでもある程度調べられるが、あまりに奥が深いのでセッションを受けてみるのをオススメする。



#特別な存在




(今回は事実を元に小説調で書かせていただきました。マヤ暦自体はエンタメとして私は楽しませていただきました。文中にも記載しましたが信じるも信じないも自由なので、この話もご自由にお受け取りください。)

3/19/2024, 3:30:58 PM


大人びていると言われ続けていた幼少期を過ごしてきた私は、大人になって自分の好みが子ども染みていると気がついてしまった。

不思議なもので、当時は大人びていると言われて喜んでいたし好みもそれに沿うように子どもらしいものは身につけてなかったように思う。

だからこそ、尚更周りは私を大人びていると評価したのだろう。

しかし、今はなぜか子ども向け番組をワクワクして観ているし、ぬいぐるみでベッド周りはいっぱいである。

これを昔馴染みの友人たちに見られるのにはとても抵抗があるのだ。

だからこれは私の小さな城に留めておく。
家の中でくらい、胸を高鳴らせるものたちに囲まれていたい。

これが私の生きる術なのだ。


#胸が高鳴る

3/18/2024, 11:54:07 AM


ふと、“不条理”と“理不尽”について考えた。

検索するとどちらも「道理に合わない」という意味で「どうしようもない問題に直面し、絶望しているような状況」に使われるらしい。

違いと言えば、“理不尽”は個人的な感情を比較的強く含むのに対し、“不条理”は個人の域を超えた、世界情勢などの社会的なことに使われる傾向にあるということ。

“不条理”というのは随分と主語のスケールが大きいようだ。




昨日同じ部署の同僚にあらぬ疑いをかけられたときに「大体あんたの指示は不条理だ。みんなそう思ってる。」と言われてズキっと心が痛んだ。

勿論、そんな事実はないと分かっていながらもそう思われていたことにショックと、そう思わせた事実に猛省し、私は身を縮ませた。

寝て少し忘れていたはずなのに、会社に近づくにつれて足取りが重くなる。

そして、ふと考えたのだ。
“不条理”ってなんだろう、と。

もやもやしたまま、自分の席に着くと昨日その場にいた後輩からのメモに気がついた。


『自分の立場に甘えて、昨日発言できませんでした。私は先輩がそんな人だとは思ってないし周りからも聞いたことがありません。そう思っていながら、反論することを躊躇ってしまいました。申し訳ありません。』


メモを読み終える頃、上司とメモ書きの張本人がやってきた。

「高橋、お前昨日大変だったみたいだな。近藤から報告受けた。」
「ちはる先輩、すみません。昨日は何も行動を起こせなくて。」

上司の一歩後ろで申し訳なさそうにする後輩に、私は首を横に振った。


「この件についてはこちらに任せろ、あいつ関連の報告他にもいくつかあがってるんだ。

あいつ、主語を大きくして都合のいいこと言う癖あるだろ。近藤があの場にいた他の人にも話を聞いてくれたみたいだが誰1人賛同するやつはいなかったそうだ。

大体、主語が大きいやつは自分の意思がないから意見を補強するために他人を巻き込んだ言い方をするんだ、気にするな。」



“みんな”そう思ってる。

その言葉に私は酷く狼狽えたが、確かに振り返ってみれば、あの場にいた人は誰も口を開かなかった。あの時喋っていたのは同僚だけだ。

意味をわかってか、それともたまたまか、
“不条理”といったのも自分の話を強くするための補強だったということか。


まだ不安そうにする後輩に、私は軽く微笑んだ。

「心配かけてごめん。もう大丈夫。」

その言葉に少しだけ後輩の緊張が解れたように見えた。






1週間経ち、同僚の主張は“理不尽”だったと私の中でも処理できて、今では完全復活してバリバリ仕事をこなしている。


ちなみに例の同僚は部署異動になった。

どうやら他で起こしていたトラブルがかなり大きなものだったらしく、休日明けには既に同僚のデスクが綺麗になっていた。

実質の左遷らしい。
もぬけの殻になってると風の噂で聞いた。

問題解決のために動いてくれた上司に感謝を伝えると

「自分の意思を持ってないやつが主語を大きくしてハリボテの意見を主張したところで、身ぐるみを剥がされると何も残らない、空っぽだよ。あんな風にははなるなよ。」

とヒラヒラ手を振りながら振り返りもせず歩いて行った。


#不条理

3/18/2024, 6:18:08 AM


この台詞は人生で一度も言ったことがない。
それくらい涙脆いのを自覚している。

大人になったら泣かなくなると思っていたら、大人になった今はさらに涙腺が緩くなっている。

私にとって嘘でしかない言葉。

私は今からこの嘘をつく。
「嘘だ」って言われるために。
「こっちむいてみ」と強引に手を引かれるために。

あなたの気を引くために。


涙脆さは変わらずだけど、随分強かになったものだ。


#泣かないよ

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